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第26話 幸せとは

 コトコトと、鍋を煮込みつつ薬を調合しているシャンティの後ろ姿を、ユウはボンヤリと椅子に座って眺めていた。  煮込まれているのが薬草でなければ、調理をする母親のように見えなくもない。長い髪は相変わらず雑に結えられていて、邪魔そうなのに何故だか切ろうとはしなかった。おかげで覗くうなじと首輪の色香が増している。ユウはシャンティの後ろ姿を見るのは好きだった。  それでも。熱に溺れてさえ、正面から交わることを許してくれないのは、やはり、他に愛している相手がいるからではないかと、ユウは思ってしまう。 「……シャンティ……」 「はい、なんですか?」  ぽろりと名を呼んでしまって、後悔した。声をかけたからには、続く言葉が必要だ。ユウは少しの間考えてから、あしらわれることを覚悟の上で、尋ねた。 「……シャンティって、どんな風に育ったの?」  それでも、直接的に『彼』のことは聞けなかった。だから、シャンティがどういう生い立ちで、『彼』を愛したのか、それを間接的に聞けたらと考えた。  シャンティは調合する手を止めないまま、少しの間何も答えなかった。これは聞けないかな、と諦めかけた時、彼は穏やかな口調で口を開く。 「当時はまだ、あの村ではあまりエルフへの差別はありませんでした。……まあ、エルフが珍しいことには変わりはありませんけれど。大陸の東では奴隷や家畜と化していたといいますが、私はそのような目には合いませんでしたね」  これは、真面目に答えてくれそうだ。ユウは真剣な表情で、シャンティの言葉を待った。 「私を育てたのは老いた薬草師でした。私の薬草学は、彼から学んだのです。彼は捨て子だった私を、孫と呼んで育ててくれました。……大事にされていたと思います」  ですが、私をよく思わない人も、確かにいたのです。  シャンティはちらりとユウを見て、微笑む。 「おじいさまの……本当の子供や孫達は、大陸の東に住んでいて、私がまだ子供の頃に、村へ戻ってきたのです。奴隷であるエルフが、家族になったことに彼らは大変に怒りましてね。私は居場所が無くなって、地下室に閉じ込められることになりました」 「そんな、酷いじゃないか。シャンティは何も悪くないのに」 「ええ。ですが、彼らも何も悪くないのですよ、ユウ」  彼らは彼らの常識に則って、私を家族と認めず、しかし私を追放もせず殺しもしなかったのです。  シャンティはそう言いながら、粉薬を瓶に詰めていく。青や緑に輝くような粒子が、煌きながら瓶へと流れ込むと、まるで夜空を閉じ込めたような美しい薬瓶へと変わっていった。 「私は幼少期、多くの時間を地下の調合室で過ごしました。私の友人は薬草や、薬を作る様々な道具達、その香り、暗い土壁と、優しいランタンの灯りばかりでした。おじいさまはよく私と会ってくれましたから、おかげで薬を作ることには早いうちから慣れたのですけれど。……孤独でした。人間ではありませんから、そう寂しいとは思いませんでしたが……。人間を愛するのが本質であるエルフには、少々生きがいのない状況でしてね」  そんなものですから。  シャンティは粉の入った薬瓶に蓋をして、コトコトと机の上に並べていく。注文の分だけ有る事を確認しながら、彼は言った。 「ある日、外に出る事を許されて、同じ歳の少年に手を引かれて村で遊んだのです。……その日感じた眩しさを、私は忘れられません。朝日が私を照らしたようでした。私の人生はその時始まったのだと、そう思いました。……私の手を引いてくれた彼は、名をヴィントと言いました。……貴方の、古い祖先です」    シャンティはヴィントと交流するうちに、たくさんのことを学んだ。人との付き合い方。ものを食べるということ。軽々しく人に触れてはいけないこと。彼に優しく触れられるのは、心地よいこと。  彼に抱く感情が愛だと知ったのは、思春期を迎える頃だったという。その頃、村に一年に一度訪れる魔法使いのエルフがいた。シャンティはそのエルフから、エルフとしての生き方や、魔法を教わったという。お守りの真鍮の扱い方を伝授してくれたのも、そのエルフだった。シャンティに愛や恋という単語を教えてくれたのも。  シャンティは、ヴィントに恋をした。ヴィントもまたそれに応じていた。二人は愛し合っていた。確かに、愛し合っていたのだ。 「でも、……俺がここにいる」  それはとても大きな疑問だ。ヴィントとシャンティが愛し合っていたなら、子供は生まれないはずだ。シャンティが女だったり、エルフの何か得体の知れないすごい力で子供を作れるなら別だが。  シャンティは困ったような笑みを浮かべて、ユウに背を向けた。煮込むだけの釜を覗き込みながら、シャンティは呟く。 「……愛は永遠です。けれど、命はそうではありません。しかし、血は続きます。永遠ではなくとも」  シャンティは少しの沈黙の後に、続けた。 「ヴィントには私から、別れを告げました」 「なんで? 好きだったんだろ?」 「ええ、好きでした。愛していました。ですが、……私は彼とは血を交えられません。でも、人間の女性ならそうではない……」 「だから別れたって? そんな……子供作らせるために? それでヴィントも納得したのかよ」 「ふふ、私の人生で最大の嘘を吐きましたからね。……ヴィントは優しい人でした。だから信じて、人間の女性と結婚することを選んでくれたのです。私もそれが、私と彼の幸せなのだと思っていました」  ユウはなんとも言えない気持ちになって眉を寄せた。シャンティがどんな嘘をついたのか知らないが、それに騙されるヴィントもヴィントだ。愛し合っていたのに、それを見抜けないなんて。 「それで……それでシャンティは良かったのかよ……?」 「……」  シャンティは俯いたまま、小さな声で答えた。 「ヴィントには3人の子供が生まれました。皆とても愛らしかった。健やかに育っていきました。姿の変わらぬ私をおいて、ある時ヴィントは寿命を迎えて死にました。人間だから当然です、死ぬとわかっていました。わかっていたのに……私は、ヴィントの、亡骸の前で、長い間泣き崩れました……」 「……」 「……そんな私の前に、ヴィントの奥方が。彼女は私に言ったのです。ヴィントは……ヴィントは……」  最期まで彼女と同じように私を、愛していたと……。  シャンティの背中がひどく悲しく見えて、ユウは彼を抱きしめてやりたいと思った。 「……私は、ヴィントの……みんなの幸せを願っていました。けれど、自分の幸せもわからず、しょせん人ではない私に、彼らの幸せなどわかるはずもなく……私は誰も幸せにはできず、……私は悔いました。とても……とても深く。私は……だから……」  彼の子孫を、その血が絶えるまで守り続けると決めたのに、それすら、己の心の弱さゆえにできなかった、……私は……私は……。  シャンティの言葉が、紡がれなくなる。ユウは椅子から立ち上がり、彼を背中から抱き締めた。  誰も。誰も悪くないのだ。誰も悪くないのに、この世界には悲しみが満ちているだけで。

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