21 / 22

第21話

ビル中のトイレを周り、柾は史を探した。 しかしどこにも、史も、白崎も見つからなかった。 昼休みはとっくに終わり、どの部署も午後の業務に取りかかっていた。 何も考えられず、柾はふらつく足で無意識に営業部へ向かっていた。遅れている時点で部長に小言を言われることはわかっている。それに加えて、持田を殴った。 が、誰に何を言われるかなどもはやどうでも良かった。 所詮、あのメールが回っている時点で、さんざん好奇の目で見られている。いまさらどう思われたってかまわない。 エレベーターが止まる。 5Fのランプが付いている。営業部は6F。5Fは、人事部がある。 入ってきた男をみとめた瞬間、柾は飛びついてその顔を拳で殴った。 白崎は柾に殴り飛ばされ、エレベーターの外に横転した。柾もエレベーターを降り、転がったままの白崎に馬乗りになった。 もう一度殴ろうと手を上げた瞬間、女性社員の叫び声がして、柾は我に返った。 その隙を見て、柾の下で唸っていた白崎が上半身を起こした。 柾は殴り返されると身構えたが、白崎は柾を押しのけただけで、立ち上がると不気味な笑みを浮かべた。 柾が面食らっている間に、周りは人だかりが出来始めていた。 「おい、お前たち何をしてる!」 「営業部の橋口と、人事部の白崎だな」 支社長室に呼ばれたのは、柾と白崎。そしてそれぞれの直属の上司たちだった。 「業務時間中に殴り合いをしていた理由はなんだ」 支社長の問いかけに柾は口ごもった。何を、どう説明しろというのだ。しかし横に立つ白崎は、落ち着いた声で飄々と答えた。 「私は、エレベーターで出会い頭にいきなり殴りかかられただけです。殴り合いではありません」 「そうなのか、橋口」 営業部部長の鹿島が口を挟む。部下の失態で、明らかに機嫌が悪い。 白崎の言い分は間違いではない。こうなることを見越して、殴り返さなかったのかもしれない。 柾は理由を説明することが出来なかった。 深く頭を下げながら、こう言うしかなかった。 「…申し訳ございません」 「鹿島くん、どうなってるんだ、君の部下は」 「大変申し訳ございません!しっかり言って聞かせますので…」 鹿島がぺこぺこと支社長に頭を下げる。 白崎は無表情で前を見ている。柾は拳を握りしめた。 支社長はいかにも権力が全て、といった風情の初老の男だった。本社の副社長、野瀬燿子を知っているからか、ずいぶん小物に見えた。 「そういえば…あのメールの件に、橋口、とかいう名前が出ていたな」 支社長はローラー付きの椅子に腰を下ろし、デスクの上のPCを開けた。 柾は横目で白崎を睨んだが、白崎の目は依然前を向いていた。 余裕がある、と言うレベルを越えて、不遜な表情だった。 「暴力沙汰を起こす、おかしな噂が出回る…君は、東京で勤務していたのだろう?ずいぶん使えない社員が送り込まれて来たもんだな」 鹿島が黙りこくった柾の代わりに、申し訳ございません、と繰り返した。 支社長はPCの画面を反転させ、面倒臭そうに言った。 「ゲイだかホモだか知らんが、そういう気持ち悪いのは勘弁してくれ。そんな男女にろくな仕事が出来るわけがない。どうなんだ、橋口?」 舌打ちしたくなったのをぐっと堪える。ありがちな蔑視。差別用語のオンパレード。隣にいる白崎も同じなのに、何も感じていない顔をしている。 柾にとって、ゲイであることを蔑まれることは、史を蔑まれることと同じだった。 反論したい。 でも、それをしてしまったら首を切られることになるかもしれない。危険な賭けだ。 暴力沙汰だけでも十分なのに、その上この偏見の塊のような支社長に理解してもらうなんて不可能だろう。 その時、白崎の上司、人事部長の松原が口を開いた。 「支社長、そのメールの件ですが、どうやら社内の人間による嫌がらせのようです」 白崎が、ぴくりと指を動かした。柾はその反応を見逃さなかった。 「社内?取引先じゃないのか?」 「ええ。今調べているところですが…今までも明るみには出ていませんが、何件かこういうことがあったと聞いております。その記録を調べると、全て社内の人間の仕業ではないかと」 柾は思わず松原を見た。 松原は、白崎の上司で、史の上司でもある。 物腰、言葉が柔らかく、どこか東京での上司の上田を思わせる。 「暴力に関しては言及されるべきかと思いますが、このメールについては、被害者の橋口くんを責めるのではなく、作った人間を特定して処分したほうがよろしいのではないかと思いますが…」 白崎がスーツの袖口の下で手を握った。拳が小刻みに揺れ、明らかに動揺している。まさか直属の上司に暴かれるとは思っていなかったのだろう。 「確かにそれは一理あるが、この暴力沙汰に関しては、今すぐ処分せねばならん。取引先で問題を起こされてはかなわんからな」 松原の援護射撃もこれまでだった。 どうして助け船を出してくれたのかはわからないが。 柾は解雇通告を覚悟した。 と、扉を強めにノックする音が聞こえた。 女性秘書がどうぞ、と扉を開け、来客者が支社長室に足を踏み入れた。 「失礼します」 柾は目を疑った。 史が、立っていた。 軽く会釈をすると顔を上げ、堂々と支社長を見据えた。 左頬に、小さな擦り傷がある。白崎にやられたのだろうか。 史は柾に視線を寄越した。無表情に見えて、柾はその中の感情を読みとった。 僕を信じろ、と言っている。 白崎は驚愕の表情で凍り付いていた。 おそらく、つい今し方無理矢理組み敷いた相手が、平気な顔をして乗り込んでくるとは思えなかったのだろう。 「支社長、急に申し訳ありません。人事部の三澤と申します」 「三澤……?」 支社長はPCに目を落とし、文面を確認すると驚いた顔で再び史を見た。 「このメールの…三澤か。何の用だ、いきなり」 「一連の問題についてお話したいことがあります。橋口くんがなぜ、白崎さんに暴力を振るったのか、その理由です」 「えっ…」 柾と白崎が、ほぼ同時に身じろぎした。部長ふたりも固唾を呑んで、史を見つめている。 「理由?」 「はい。まず、こちらをご覧いただけますか」 史はUSBメモリを差し出した。支社長はPCに差し込み、ファイルを開いた。 柾と白崎は動けずにいた。史が何を持ってきたのか想像がつかない。 部長ふたりは画面をのぞき込み、支社長を挟む形でファイルの内容を食い入るように見ている。 「おい…嘘だろ…」 「これは…っ…」 支社長と部長たちが青い顔をして口々に驚きの声を上げる。松原は信じられないという表情で、史、そして白崎を見た。 「三澤くん…っ、君、どうしてこんな…」 松原が史に駆け寄り、肩を掴んで大きく揺する。目の前の松原に、史は小さく笑った。 「部長…僕は大丈夫です」 「しかしっ…」 史は松原から視線を外し、支社長に向かって言った。 「支社長、画面をこちらに向けていただけませんか」 支社長は、困惑した表情でPCの画面を柾と白崎に向けた。 白崎がびくん、と身体を揺らした。 画面いっぱいに映し出されていたのは、白崎が史を無理矢理犯す姿を撮影した動画。 画像が荒いのと、音声が入っていないのが幸いした。 それが、つい小一時間前のことであることが、時刻表示でわかる。 「ぅ…っ」 白崎が呻いた。それを冷ややかに見ていた史が、口を開いた。 「ご覧の通り、ここに映っているのは白崎さんと、私です」 「そっ…それは見ればわかる!これが、何だっていうんだ?」 「性行為を強要された私のために、橋口くんは白崎さんを殴ったのです」 きっぱりと言い切った史に被せて、白崎が叫んだ。 「強要したわけではない!これは双方合意のもと…」 「白崎くん、この映像が合意だと?とてもそうは見えないが」 白崎を制したのは松原だった。白崎は自分の直属の上司の冷たい視線に、言葉を失った。そして唇を噛んで、がくりと頭を落とした。 史はもう一度松原に微笑みかけ、軽く頭を下げた。そして声を張って言った。 「ここにいるみなさまに申し上げます。お察しのとおり、私は同性愛者です。私を無理矢理犯した白崎さんも、同じです。男同士でレイプなど、考えられないでしょうが、実際にあるということを知ってください。また、同性愛者という存在自体が社として受け入れることが出来ないのであれば、私は自ら辞する覚悟です」 支社長室にいる人間は、誰も言葉を発することが出来なかった。 まるで、取引先相手に魅力的なプレゼンテーションを繰り広げるような鮮やかさ。 その潔さに、柾ですら何も言えなかった。 「ここしばらく、私は白崎さんからのパワハラ、セクハラを受けておりました。今朝、社内を回ったメールもその一環です。白崎さんを幇助する社員もおります。営業部の持田といい、彼がこの画像を持っていました」 柾に持田が見せた写真は、この動画のスクリーンショットだったのだ。 もし動画を見せられていたら、柾は持田を殺していたかもしれない。 それにしても、史はいったいどうやってあの持田から入手したのか。 「そこにいる橋口くんは、持田くんからセクハラを受けております。白崎さんと持田くんは、お互いの利益のため、協力して私と橋口くんを貶めました」 支社長がやっとの思いで声を出した。 「ことの経緯はわかった…しかし、橋口が白崎を殴った理由は…三澤のためだと言ったな?」 「はい」 「君たちは…要するに…」 言いよどんだ支社長の言葉を、史が引き継いだ。 「橋口くんは、私の伴侶です」 吸った息がどこにもいけず喉で留まる。 柾はこの非常事態の真っ只中で、信じられないほど幸せな言葉を全身に浴びていた。 史の口から、伴侶と。 誹謗中傷を恐れず、史は柾を自分の最も愛する存在だと言ってのけた。 清々しいほどの表情で史は続けた。 「私と橋口くんのことで、ご迷惑をおかけしたことは謝罪いたします。 失礼ながら申し上げますが、支社長は、私どものような人間を理解することが困難だとお見受けします。ですが、今までもこういう被害に遭いながらも泣き寝入りした社員がいたと聞いております。私どもを解雇される際には、その原因となった人物の処分も、ご一考のほどお願いいたします。……私が申し上げたいことは、以上です」 史は深く頭を下げた。 支社長は苦虫を噛み潰したような顔で、史を睨んでいた。 白崎が、支社長の遠縁の者だったことを柾が知ったのは、このずっと後のことだった。 呆然と立ち尽くす白崎の前を通り過ぎ、柾の前に立った。 「行こう」 史は柾の腕を取った。 そして、支社長、部長、白崎の眼前で、柾に口づけた。

ともだちにシェアしよう!