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休日デートはうまくいかない#2
それでも真夏の空の下を機嫌よく歩く坂木の前に、停まった車から伸びた腕がにゅっと突き出た。
慌てて立ち止まるが、ふらついて腕に当たってしまう。
「す、すみません!」
頭を下げると、ドアが開いた。よく見ると黒塗りのベンツ。
中から出てきたのは一八五センチの坂木よりもさらに大きい、二メートル近い巨漢だった。黒髪を刈り込み、サングラスを掛け、高級そうなスーツを着こなしている。鼻が厳つく、口も大きい。体の脇で握った拳は岩のようだ。その威圧感に、坂木は後ずさった。
しかし、この男は坂木を見ず、その隣に視線を向けている。
「久しぶりだな、村瀬」
村瀬は坂木の前に出た。整った顔に冷たい笑みを浮かべている。
「久しぶりですね、藤堂さん」
え、なに知り合い、と思う坂木を無視し、二人は睨みあっていた。ただ、一七九センチの村瀬も藤堂に存在感で負けていないように見える。
熱風が吹き、村瀬の短い髪を揺らした。
「元気にしてるか?」
猫なで声の藤堂に、村瀬は軽くうなずいた。
「元気ですよ。あなたも元気そうですね」
「おれは相変わらずだ」
「城島さんも?」
「気安く口に出すな」
「いるんでしょう?」
ベンツに視線を向けると、藤堂はにやりと笑った。
「汚らわしいサツが見ていい方じゃないんだよ」
「おれも同じ空気は吸いたくないですね」
藤堂の手が村瀬の胸を小突いた。
「ナメてると痛い目に遭うぞ。いくら『皆殺しの天使』だろうと」
「おれはマル暴(暴力団対策を担う刑事)じゃない。凄まないでくれませんか」
マル暴。やっぱりヤクザ。震えあがる坂木を、藤堂がちらりと見た。
「そういや引っ越したそうだな、村瀬」
このときだけだ。村瀬が心底嫌そうな顔をしたのは。
「おれがどこに住もうと関係ないでしょう?」
「そこの男が同居人か? どうも、はじめまして」
人懐っこい笑顔でにこっと笑いかけられ、坂木も引き攣った笑みを浮かべる。
「は、はじめまして」
「作家の先生だそうですね。先生は……」
「その人は関係ない」
じろりと睨みつける村瀬の眼力も、藤堂はどこ吹く風だ。にこにこと笑った。
「大事な人なのか?」
「……一般人だ。関係ない」
コツコツ、と音がした。誰かがベンツの内側から窓を叩いているのだ。藤堂は背筋を伸ばし、穏やかな口調で「まあいい」と言った。
「ところで、おまえの親父の噂を聞いたぞ」
「父の?」
村瀬の目つきがさらに鋭くなる。藤堂さんも怖いけどせいちゃんの目も怖い、と坂木はますます青くなった。
藤堂は村瀬の顔に、ぐっと顔を近づけた。
「日本に帰ってきているらしいな」
「そうですか。おれは知りません」
「実の親父なのに冷たいな。帰ってきたら、城島さんのところに顔を出すように言っとけ。――なあ、おれたちは優しいんだ。おまえみたいなサツの父親があいつだと世間が知ったら大ごとだろ?」
「おれも知ってますよ。あなただっていい家の出なんですよね」
「可愛くないガキだ」
にやりと笑うと、巨大な図体を折り畳むようにして、ベンツの運転席に乗り込んだ。
車はあっという間に走り出していった。
「相変わらず鬱陶しい人だ」
不機嫌な顔で悪態をつく村瀬は、振り向いて目を丸くした。
「倫太郎さん?」
坂木が青い顔で震えている。かと思うと、がばっと抱きついてきた。抱きつかれて、思わずよろめく。
「……倫太郎さん? あの……」
「こ、怖かったよせいちゃん……! 大丈夫か?」
そっと大きな背中に腕を回した。
「大丈夫です。びっくりさせましたね」
「あいつら、ヤクザか? せいちゃんと敵対してるのか?」
「いえ。おれは捜一(捜査第一課)でマル暴ではありませんし、ちょっと顔見知りなだけです」
「『皆殺しの天使』だって知ってただろ? ほんとに敵対してないのか? 危ないことしちゃだめだよ!」
ふ、と村瀬は表情を緩めた。背中を抱いたままささやく。
「危ないことをしないのは、おれはむりです」
「う……。まあ、お巡りさんならある程度は仕方ないけど。警察内の事務職とかに異動できないのか?」
「刑事が天職だと思ってますから」
「そうか……」
ふと、周りの視線に気がついた。往来の真ん中で抱きあうデカい男二人を、道行く人々が好奇の目で見ている。上品な身なりの老婦人と目が合うと、彼女は坂木に向かってにこっと微笑んだ。
勢いよく体を離して、坂木は困った顔で笑った。
「まあ、天職に邁進するのがいちばんか。おれは、せいちゃんに危ない目に遭ってほしくないけど」
村瀬は目を細め、年上の男の顔を見つめた。
「おれは大丈夫です。でも、倫太郎さんが目をつけられたかもしれない」
「え……おれ!?」
どうしよう、という顔の坂木に、村瀬の顔も強張る。
「倫太郎さんの身に危険が及ばないよう、十分注意します。幸い、さっき絡んできた藤堂のボス――組長の城島とは、話が通じる間柄です」
「すご……」
「手を出さないよう、頼んでおきますので」
「うん、ありがとう。そういえば……お父さんと城島さんは知り合いなのか?」
村瀬の口元に冷たい風が吹いた。
「ええ。少し」
「どういう知り合いか、聞かないほうが……いいか」
村瀬は一度視線を伏せ、また坂木の目を見つめた。
「父はクズです。だからです」
それ以上は訊けなかった。
村瀬は目を細めて笑った。
「大丈夫です、倫太郎さん」
「……うん」
そっと村瀬の背を押し、日差しの照りつける道を歩き出した。
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