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休日デートはうまくいかない#3
二日後の月曜日。
村瀬は六時に起きていつも通り出勤した。
彼の作ってくれた味噌汁をすすりながら、ぼんやりとこの前の邂逅を思いだしていた。
藤堂さんも怖かったし、窓をコンコンした組長もなんか得体が知れなくて怖かったけど、せいちゃんも怖かったなあ……。
あの冷ややかな目に背筋が凍った。
しかし、そんな自分の思いに気がついて首をぶんぶんと振る。
せいちゃんは可愛い息子なんだ! いや、おれはお父さんにはなれないけど! でも、麻里亜の可愛い息子さんなんだ。いいほうに考えよう。
冷ややかな目のせいちゃんはそれは凛々しくて、竜を倒しに行く騎士みたいにかっこよかった。女の子はみんなせいちゃんにめろめろになるだろうな。
彼女とかいるのかな。
レンジでチンした冷凍食品の塩鮭を食べながら思いをはせる。
彼女がいるとかいないとか、そういう話はしてないな。フリーなのかな。
ほかほかの白米を口に運んだ。しっかり噛むと甘みを感じる。塩鮭との相性は抜群だ。味噌汁も美味い。しめじと油揚げの味噌汁。麻里亜の得意な味噌汁だ。
せいちゃんの味噌汁は出汁もしっかりとってあって、麻里亜に負けないくらい美味い。ただ、ちょっと味噌のパンチが強い。入れ過ぎてるんだろうな。
麻里亜のことを思いだす。向かいあって、朝食を食べていたころのこと。
「美味しい?」と尋ねる麻里亜に、「美味しいよ」と返す。よかった、と微笑む麻里亜の顔は美しくて、神々しい女神のようだった。
眼鏡を押しあげ、涙をぬぐう。
いつしか、村瀬のことを麻里亜の代わりのように思っていた。代わりというか、分身だ。地上に残った麻里亜の魂と肉が、村瀬という形をとってそこにいる。村瀬と暮らしていると、麻里亜が今でもまだそばにいてくれるように感じた。大きな目とふっくらした唇、淑やかでよく笑う麻里亜と、鋭い目で強面でクールな村瀬。
全然違う生き物なのに、村瀬は「麻里亜の着ていた服を身にまとっている」。坂木には見えていた、麻里亜の体を包む彼女だけの存在感(オーラのようなもの)を、村瀬も身にまとっているのだ。
同じ手触りの「服」をまとって、村瀬の存在に麻里亜の魂がダブる。ときどき、三人でいっしょに暮らしている気すらする。
そうそう、と坂木は思いだす。
向かいあって食事を摂るとき、村瀬はただ黙々と料理を口に運んでいる。食事はたいてい坂木の手作りか、買ってきたお惣菜だ。それでも、二回ほど村瀬が手作りしたことがある。
レシピを見ながら慣れない手つきで肉じゃがを作っていた姿。それを知っているから、テーブルに向かいあって座って食事をするとき、坂木は「美味いよ」と褒めた。
村瀬は目を見開いて、次に表情を緩めた。
「はい」とうなずいて、「ありがとう」と笑う。
可愛いよなーと塩鮭を食みながら思い返す。ふだんの凛々しい顔と笑顔のギャップ。きっと女の子はめろめろだ。いや、男だってハマるヤツはハマるに違いない。いい人を見つけて、せいちゃんには幸せになってもらいたいな。
あったかい味噌汁をすすり、おれにも父性があったとは、とまた感慨にふける。
ところで、本物のお父さんは今ごろどうしているのだろう。日本に帰ってきている、と藤堂さんは言っていた。海外で暮らしていたのか。失踪して、行方不明だったはず。
ぼんやりした目で味噌汁を飲む。眼鏡が湯気で曇る。
せいちゃんはお父さんと確執があるみたいだけど、会いたくはないのかな。お父さんは麻里亜が亡くなったことは知ってるのかな。
歯ごたえのあるしめじを噛みながらしばらく物思いにふけった。
そのとき、電話が鳴った。
腰を上げ、炊飯ジャーの隣に置かれた電話に出る。
「もしもし? 坂木ですが」
受話器の向こうで、音楽的ななめらかな声が驚いたように言った。
「坂木さん? 村瀬がこちらに住んでいると伺ったのですが」
お人好しの坂木もさすがに警戒した。村瀬が報復を企てられる『皆殺しの天使』であること、きのうの邂逅などから、村瀬に危害を加えたい人間か、彼の動向を探っている人間かもしれない、と思ったのだ。ここは慎重に。
「どちらさまですか?」
電話の向こうの声は、穏やかに名乗った。
「村瀬春彦といいます。清路の父親です」
坂木の目が丸くなる。
「お父さん? おれ、清路君と同居している者ですが」
「同居? お友達ですか?」
「いえ、あの……」
あなたの奥さんの内縁の夫です、とは言えない。電話の声は苛立っている感じも不審に思っている感じもなく、淡々としていた。
「清路は、今家にいないのでしょうか?」
「はい。仕事で出ています。八時は過ぎるかと思いますが」
「わかりました。あの……坂木さんとおっしゃるんでしょうか?」
「そうです」
「坂木さん。清路と同居されて長いんですか?」
「いえ、一週間くらいです」
「そうですか。あの、少し清路のことについて話がしたいのですが。もしよかったら、会って話ができませんか?」
「え……」
急な申し出だ。会わずに六年、いや、もっとかもしれない。息子に会っていない時間が長すぎて、父親は物怖じしているのだろうか?
「話、と言われても。おれも清路君のことはまだそれほど知りませんが……」
「いえ、かまわないんです。息子のふだんの様子など教えていただければ。どこか、喫茶店で話ができませんか?」
「じゃあ、<ライラック・コーヒー>はどうですか? 内崎駅の構内にあるんですが」
「わかりました。時間はどうしましょう」
壁に掛けられた時計を見る。九時過ぎだ。ご飯はゆっくり、よく噛んで食べないと。
「十時半はご都合悪いですか?」
坂木が尋ねると、電話の声は「大丈夫です」と言った。
「急なお願いで、申し訳ありません。でも、快諾していただけて有難いです。どうぞよろしくお願いします」
丁寧に礼を言って、電話は切れた。
お父さんはクズだってせいちゃんは言ってたけど、常識もあるし、礼儀正しいし、いい人っぽいけどなあ。また食卓に戻り、お茶を飲みながらさっきの会話を反芻する。
ふいに思った。せいちゃんのお父さんを騙る偽物だったらどうしよう。
その可能性に気づくと、なにかの罠なのでは、という気がしてくる。不安になった。そこで、村瀬に電話してみた。
出ない。留守電は入れず、メールを送ることにする。
「せいちゃんのお父さんだと名乗る人と会うことになった。内崎駅の構内の<ライラック・コーヒー>に行きます。なにかあったら連絡します。でも、いい人そうだったよ。せいちゃんは心配しないでな」
とりあえず、メールを送ってほっとする。もし本物のお父さんじゃなかったら、下手なことは言えない。そう思うと体に緊張が走る。なるべく情報を引き出して、本当のお父さんかどうか確かめよう。
村瀬に聞いた父親の見た目の特徴は、「父も顔はよかったと思う」ということだけだ。でもせいちゃんのお父さんなんだから、ちょっとは似たところがあるはず。心の眼を集中させれば、わかるはずだ。
いやでもなー、似てない親子もいるからなー。とも思いつつ、最後の塩鮭の切り身を口の中に放り込む。味噌汁でフィニッシュ。ゆっくり朝食をとっていたら、九時二十分だ。
きのう、髭剃っておいてよかったな。そんなことを思いながら食器をシンクに重ねて置き、帰ってきてから洗うことにする。
着替えるため、寝室に向かった。
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