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不和とキス(がしたかった)#1

 待ち合わせ場所の<ライラック・コーヒー>は関西を中心に展開しているチェーンのカフェで、水出しコーヒーとパンケーキを売りにしている。  白い壁には薄紫でライラックの花が描かれていて、「映えスポット」として人気が高い(坂木は単に、便利だから行きつけにしているだけだが)。白いソファの中を進み、奥まった窓際の席でホットコーヒーを注文して、ふと気がついた。  春彦さんの顔がわからない。  しまった、と思う。特徴とか服装とか聞いておけばよかった。というか、先に注文せず外で待ってるべきだった。そわそわして、せっかく座った椅子から立ちあがる。  外を見てこよう。客席のあいだを入り口に向かって進む。  そのとき、店の空気が変わったのがわかった。  レジに立つ女性店員も、ソファでくつろぐマダムたちも、みんな入ってきた客を見ている。  あっ、と思った。お父さんだ。  そこにいたのは、村瀬とよく似た美男だった。  波打つ艶やかな黒髪と、すっきりと通った鼻筋。目に鋭さはほとんどなく、穏やかで優しい感じがする。右目の下に泣きぼくろがあった。唇は薄い。村瀬が騎士だとしたら、この男はその騎士が仕えている王族だ。高貴な感じがするのだ。背は村瀬と同じか、少し低いくらいだろう。  村瀬の顔に甘さがないのに対し、男はうっとりするような輝かしい美貌だった。しかし、似ていないようで、根は同じだとわかる植物のようだ。  間違いない。この人がせいちゃんのパパだ。  小走りに男の元に近寄る。 「あの、村瀬さんですか?」  男は快活に笑った。 「はい。村瀬です。坂木さんですか?」 「ええ。迷わず来られました?」 「なんとか。久しぶりで構内が変わっていて少し戸惑いました」  にこやかに話す春彦に、感じのいい人だなあと感心する。愛する麻里亜の夫だが、坂木の胸に不思議と嫉妬や罪悪感はわいてこなかった。女性陣の目を釘付けにしながら、春彦は坂木と奥のテーブルについた。  コーヒーを注文し、お互いお冷で一服する。  春彦の目が、まじまじと坂木を見つめていた。 「息子と同居されていると聞いたので、きっと同じ年ごろの青年なんだろうなと思っていたのですが、わたしと同じくらいのお歳みたいですね」 「は、はい。そうなんです。いろいろと、事情がありまして」 「事情?」  あなたの奥さんの内縁の夫なんです、だからいっしょに暮らすことになったんです、とは言えない。  冷や汗をかきつつ、坂木は笑顔を浮かべた。 「あの、ところで……村瀬君のお父様は、しばらく外国にいたそうですね」 「ええ」  春彦はにこっと笑った。コーヒーを運んできた女性店員が緊張していることがわかる。春彦は店員に目礼し、坂木のほうを向いた。 「しばらくロシアやブラジルにいました」 「お仕事で?」 「ええ。貿易関係の仕事をしています。坂木さんは、お仕事は?」 「作家です」 「凄い」  目を瞠る春彦。その目が濃い茶色だと気がつく。そういえば、麻里亜の目は灰色だ。せいちゃんの目は何色だろう。知らないことに気がついた。春彦は感心した顔だ。 「作家の先生なんですね。どんな本を?」 「『屈曲の乙女』とか、『永遠に雪を思う』とかですかね、代表作は」 「ああ、妻の本棚にありましたね」  ぎくっとする。愛想笑いを浮かべて、「へ、へえー……」と力のない返事をした。  春彦はそんな坂木の様子も気にしていないらしい。「ところで」と話題を変える。 「息子のことなのですが。清路と長年会っていないんです。どんな大人になっていますか?」 「え、ええと。礼儀正しくて、しっかりしていて、クールな男の子になっています」 「警察に就職した、と聞きましたが」  思わず、坂木が笑顔になった。可愛いせいちゃんのことを自慢したかったのだ。 「そうなんです。うちの県の県警の、捜一の刑事になっています」 「へえ。凄いな。捜一といえば刑事の花形ですよね。ただ、子どものころは引っ込み思案で、おっちょこちょいなところがあったんです。刑事として無事に勤めているんでしょうか?」 「それは大丈夫ですよ。みんなに頼りにされているみたいです。それに、『皆殺しの天使』だから」 「皆殺しの天使?」 「せいちゃんのあだ名です。職務に際して非情で非人間的な切れ味を見せるから、だそうです。あ、非人間的っていうのは、パフォーマンスが凄いって意味らしくて。犯罪者たちに恐れられているんですよ」  春彦の口元に笑みが浮かんだ。 「へえ。息子は立派になったようですね」 「そうですよ」  にこにこしていた坂木だが、ふいに気がつく。  お父さんだと思って話してるけど、お父さんじゃない可能性は? 単に似てる人とか。整形とか。この時代、どこでどんなやつが悪事を企んでいるかわかったもんじゃない。  急に顔を強張らせた坂木に、春彦はくすっと笑った。 「大丈夫ですよ、坂木さん。おれは本当に清路の父です」  心の内を読まれ、引き攣った笑顔になる坂木。疑心暗鬼が止まらない。春彦はトートバッグから財布を取りだし、中に挟んだ写真を見せた。 「これ、清路と、妻と撮った写真です」  春彦と、その後ろに隠れる可愛い顔の男の子。そして、隣には麻里亜がいて、笑っている。  麻里亜。  思わず目頭が熱くなったが、今はほっとした気持ちも強い。  やっぱり、せいちゃんのお父さんなんだ。 「疑ってすみません。本物のお父さんですね」  春彦はにこやかだ。 「いえ、急に父親を名乗って見知らぬ男が現れたら、不安になりますよね。安心してください。……息子に、注意するよう言われているのではないですか? 刑事なら、そういったことを気にするはずです」 「いや、これはおれの独断で。でも、ほっとしました。ところで、お父さんはどうしてせいちゃんに直接会って話をされないのですか?」  春彦の顔が曇った。 「話をしたいのですが、息子とは折り合いが悪くて。あなたと暮らしていることを知って、じゃあ本人と話をするよりあなたに訊いてみようと思ったんです。清路の携帯の番号も知りませんし」 「そうなんですか。あ、じゃあどうして引っ越したことをご存知なんですか?」 「家に行ってみたら、貸家になっていて。不動産屋に問い合わせたんです」 「なるほど。でも、安心されたでしょう? 息子さんが立派になっていたから」 「ええ」  春彦は目を細めて笑った。 「ほっとしました。わたしには反抗する子でしたが、今では社会の秩序を守っているのですね。清路のところには、いずれ顔を出そうと思っています」 「そうしてあげてください。きっと会いたいと思いますよ」  そうならいいんですが、と春彦は寂しそうに笑った。  いつの間にか、春彦はコーヒーを飲み干していた。ありがとうございます、と言って腰を上げる。 「では、わたしはこれで」 「あ……はい。どうも」  急だな、と思いつつも、引き留める言葉もない。坂木も腰を上げる。 「あの、坂木さん」  春彦が坂木の耳に顔を近づけた。低い声でささやく。 「息子はゲイです。気をつけてください。あなたのことを狙っているかもしれない」  え、と春彦の顔を見る。春彦は美しい顔で笑っていた。  そのまま、彼は<ライラック・コーヒー>を出た。  言うか? あんなこと。息子のプライバシーに関わることだぞ。  ふたたび椅子に腰を下ろしながら、坂木はもやもやしていた。さっきの甘い笑顔が悪魔の笑みに思えてくる。  それから、急に不安になった。親子でも、親が子を陥れようとすることがある。せいちゃんのこと、ぺらぺらしゃべってよかったのかな。それに、おれは写真を見せられただけだ。偽物が本物から写真を奪って、おれに見せたという可能性は?  どうしよう。ますます不安になる。村瀬に電話しようと、バックパックの中に手を突っ込んでスマートフォンを探した。

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