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不和とキス(がしたかった)#2
「倫太郎さん!」
慣れた声が聞こえて顔を上げる。スーツ姿の村瀬が目の前に立っていた。
「せいちゃん……! ごめん、おれ、よけいなことしたかも」
村瀬は坂木に向かいあって座ると、「父と会ったとか?」と尋ねた。
「う、うん。でも、もしかして偽物かも……。写真を見せられたけど。子どものきみと、麻里亜と写ってる写真」
「そうですか。右目の下にほくろはありましたか?」
「あ、あった! うん、セクシーだなって思ったから」
「じゃあ、父でしょうね」
「でも、ほくろって簡単に描けるし……」
怖いほど真剣だった村瀬の顔が、ふと緩んだ。
「お人好しの倫太郎さんにしては考察が鋭い」
「な、なんだよー! おれ、よけいなことしたかと心配で……だから……」
「心配してくれて、ありがとうございます」
村瀬は目を細めて笑った。坂木が目を瞬く。
「あ、その顔。その顔、お父さんもしてた。似てる」
「倫太郎さんの洞察力は侮れません。だからたぶん、あなたが会った人は父です」
「そ、そうかな……?」
疑う坂木。しかし、彼の会った人物は、本当に村瀬の父親なのだ。
「なにを話したんですか?」
「きみのことを訊かれて、今は立派になっているって話した。捜一の刑事をしてるとか、『皆殺しの天使』だとか……」
「そうですか。まあ、言ってしまったものはしかたがありません。父は二十一歳以降のおれを知らない。情報収集だったんでしょう」
「ご、ごめんな……」
しゅんとする坂木に、村瀬はくすっと笑った。
「デカい男がしゅんとする姿は、なんというか可愛いですね」
その言葉に、がばっと顔を上げる。
「可愛い?」
村瀬はばつが悪そうな顔になった。
「すみません。つい」
「いや、いいよ。おれもせいちゃんのこと可愛いって思ってるから」
そうですか、と言って、村瀬がうつむく。
あれ、なんか変な雰囲気だな。坂木がぼりぼりと頭を掻いた。春彦の言葉を思いだす。
「息子はゲイです。気をつけてください。あなたのことを狙っているかもしれない」
せいちゃんはゲイなのか? あんな言葉に引きずられるのも癪だけど、やっぱりちょっと意識はしちゃうかな……。
お互い距離感をはかっている天敵同士の獣のようだ。
「いや、うん。せいちゃんは可愛い。おれは浅はかだった。次、気をつける。ごめんな」
村瀬は笑って、「はい」と言った。
空気が和やかになる。お互いほっとしていたとき、背後から声が掛かった。
「あの、ちょっと伺いたいのですが」
話しかけられて、坂木は目を点にした。なにを言われているかわからなかったのだ。
英語だったからだ。
「なにか?」
素早く振り向いた村瀬が英語で問いかける。そこに立っていたのは、アスリートのように締まった体を白い麻のジャケットとスカートで包んだ、黒いショート・ボブの若い女だった。
ぱっちりした大きな茶色の目は知的に輝いている。漆黒の肌と透き通った白目が美しいコントラストを描いていた。憂いのある目が印象的だ。肌のきめが細かく、手足が長く、中背ではあるがモデルのように見える。背筋をぴんと伸ばし、隙がない。
「ハルヒコ・ムラセとお話していた方に、伺いたいことがあるのですが。わたくし、ロンドン警視庁のエルザ・リッチモンド警部と申します」
村瀬の目つきが鋭くなった。相変わらず目が点の坂木のほうを振り向く。
「ロンドン警視庁のリッチモンド警部だそうです。おそらく、父のことでなにか話があるようです」
「は? ロンドン警視庁……!?」
椅子から立ちあがった村瀬は、リッチモンドに自分が座っていた椅子を勧めた。
「ありがとう」
花のように微笑み、椅子に掛けるリッチモンド。じっと坂木の顔を見つめる。白いエディターズ・バッグからバインダーに挟んだメモ用紙とペンを取りだした。
「お時間を使わせてしまい、申し訳ありません。よろしければ、ハルヒコ・ムラセとなにをお話ししたか、お教えいただきたいのですが」
村瀬に通訳してもらい、うんうんと聞いていた坂木だが、ひどく不安そうな顔になった。
「あ……えーと。む、息子さんのことですが……」
「息子とは?」
「わたしです」
村瀬が引き取る。
「春彦の息子の、清路と申します」
大きな目が輝いた。
「まあ。息子さんですか。あなたにもお話を伺いたいわ」
「その前に。なぜ父のことを調べているんですか?」
鋭い目と、探るような眼差しが合った。リッチモンドは微笑んだように見えた。
「ある件を捜査しています。なんの捜査かはまだ言えませんが、あなたのお父様も関わっていると思われる節があるんです」
「……そうですか。おれも刑事です。口外できない事情はわかります」
「まあ。じゃあわたしの苦労もわかってくださるわね」
「だが、せめてヒントを。……殺人ですか?」
リッチモンドは教えてくれなかった。
また連絡します、とリッチモンドに一方的に言われ、連絡先を交換した。ちなみに、本当に刑事かどうかは身分証明書で確認したし、村瀬が直接ロンドン警視庁に連絡して確かめた。エルザ・リッチモンド警部は捜査で渡日中だと、彼女の上司が話してくれた。
村瀬はリッチモンドに、父親のことを話した。
歳は四十八歳。個人で貿易の仕事をしている。半年前に妻が亡くなったこと。その死が不審なものであることも伝えた。
あとで会話の内容を教えてもらった坂木は目を丸くしていた。
「え? 麻里亜の死が不審、って?」
「おれは母が階段から突き落とされたのではないかと考えています。おそらく、父によって」
村瀬が県警に帰る帰り道、歩きながら言われた言葉に、頭の中が真っ白になる。
「階段から足を滑らせた死だって報告書に書いてなかったか?」
「ええ。でも、その下に、『しかし、マリア・ムラセが突き飛ばされたと思われる証拠もあがっている。目下捜査中である』とも書かれていました」
しばらく沈黙が落ちる。
「きみはお父さんが突き落としたって考えてるのか? 悪いよ。疑ったら」
「でも、父が怪しい」
「証拠は? お父さんはロンドンにいたのか?」
「……わかりません。ただ、報告書にはホテルで母につきまとう男がいたとの記載がありました。おれくらいの背丈で、ハンサムな男だったと」
「でも、お父さんとは限らない。だろ?」
「……そうですが……」
整った顔が苦しげに歪む。坂木はさらに言った。
「それに、本当に麻里亜が殺されたと決まったわけじゃないんだろう? 捜査中だとか……」
そんな悲惨な死を遂げたなんて、考えたくなかった。
歩きながら、村瀬が振り向いた。目が据わっている。
「イギリスの警察は、殺人の線で日本の警察と合同で捜査をするようです。おれも加わりたいですが、身内の件なので担当はさせてもらえないでしょう。休暇をとってイギリスに渡ろうと考えています」
「そうか……」
うつむき、歩く村瀬に、坂木は言葉を掛けられなかった。
ふと思う。もしせいちゃんのお父さんが麻里亜を殺しているなら、殺人犯の息子として、せいちゃんは警察にいられなくなったりするのだろうか?
村瀬の足が止まる。振り向いて言った。
「すみません。おれの父が、あんなことして」
「いや……そうと決まったわけじゃないだろ? な? それに、せいちゃんだってつらいのはいっしょだろ」
騎士の顔がくしゃっと歪む。そこにいるのは、置いていかれて不安な子どもの泣き顔だ。とはいえ、村瀬は泣いていなかった。ほとんど表情のない目で坂木を見て、「行きましょう」と言った。
坂木もすぐに、村瀬に追いついた。
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