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第4話

 瀬戸の作ったビーフなんたらは美味しかった。よく分からない味だったけれど、少なくともコンビニ飯では得られない満足感を過剰に得ることができた気がする。  瀬戸はいつも、手を合わせて「いただきます」と「ご馳走様」を怠らない。育ちの良さが現れるこのちょっとした瞬間を眺めるのは、そう悪い気はしなかった。  瀬戸に倣って俺も手を合わせてみると、瀬戸が目を丸くして「うわ」なんて声を上げた。 「何さ」 「いや、光希ってそういうの知ってんだ〜って思って」 「ほんと失礼なやつだな」 「悪かったって〜。で? そういう時はなんて声掛けて挨拶するか知ってる?」 「……ご馳走様でした」 「はいお粗末様でした〜」  瀬戸が嬉しそうにふにゃん、と笑って、頬杖をついて俺の方を眺めてくる。 「美味かった?」 「うん」 「うれし〜」 「瀬戸が作れるって意外だ」 「そお? 俺わりと得意よ。おかあさん居ない時作ってるし」 「へえ、初耳だ」 「わざわざ自炊してるなんて言わないやろ、鼻にかけてるみたいでだせぇじゃん」 「そんなもんかな」 「いや〜知らんけどね」  瀬戸はもう俺に、手伝って、とは言わなかった。諦めたのか、純粋に俺の言葉で気持ちが満ちたのか、俺の知るところではないが、瀬戸は鼻歌を歌いながらカチャカチャと空になった皿を運び出す。  俺は暫く逡巡して、それから、瀬戸の背中に小さく声を掛けた。 「俺、やるから、瀬戸は風呂入りなよ」 「えっ?」  瀬戸が、ぎぎぎ、と音が鳴りそうなくらい、不器用な首の向け方をして、俺の方を見詰める。 「光希、なんて?」 「だから、俺やるから」 「……皿洗った事とかあるわけ?」 「無いけど、そんくらいできるもんだろ」 「絶対ヤダ。お前皿割るじゃん」 「そんなことしない」 「するんだよ〜」  瀬戸はへらりと笑って、そのままキッチンに入り込んでしまった。チクタク。壁に下げられた時計の秒針の音だけ、やけに大きく響いて居心地が悪かった。家より居場所があるけど、同時に無い。結局この家の主人は瀬戸に他ならないし、俺の隣に瀬戸が居ない時間は早い話手持ち無沙汰なのだった。  だんまりになった俺の心境が届いたのか知る由もないが、瀬戸が緩い言葉で俺の名前を呼んでくる。 「なん」 「テレビつけてよ。野球やってっから。見たいんだよね」 「キッチンからじゃ見えんだろ」 「実況聞けたら分かるもんなの〜」 「チャンネルも知らん」 「適当に回してみ」 「野球も分からん」 「分かった分かった。俺が隣に居ないと困っちゃうわけね。皿洗ったらすぐ行くからちょっと待ってなって」 「別に困ってない」 「はいはい」  瀬戸は狡い。何でも俺の気持ちを、俺が言わなくても分かってしまう。顔もかっこよくて、ユニークで、さらっと気障な言動が似合ってしまう。男が欲しいもの、を何でも持っている。  そう言えば俺は、瀬戸の深い部分を何も知らないことにふと気づいた。  瀬戸はあんまり自分のことを話さない。聞き出し方が上手くて、毎回身の上話をするのは俺ばかりだ。  だからこの時初めて、俺は瀬戸の事を、もっと純粋に、深い部分まで知りたいと思った。 「ねえ瀬戸」 「なん〜?」 「俺もっと瀬戸のこと知りたいんだけど」  がちゃん、と、キッチンの方から皿の落ちた音が響いた。シンクの中で暴れる欠片が、反響してぱりぱり煩い。 「……なんて?」 「? なん?」 「なに、俺のこと知りたいわけ?」 「そう言った」 「……馬鹿ねえ〜光希ってさあ」  瀬戸が深いため息を吐く。バシャバシャ水の音が響いて、瀬戸はこちらに戻ってきた。手首が数滴の水に濡れていて、褐色の肌がつやつやして見える。 「皿洗い終わった?」 「もうそんなんやる気にもならんわ。後でやる」  瀬戸はやれやれと言わんばかりの頭の振り方をして、リビングにあるソファに深く腰を下ろした。それから、前髪をくしゃりとかきあげて、俺の事をちょっと小馬鹿にした目で見てくる。 「光希ほんっと馬鹿。そういうこと、こういう時に言っちゃあ駄目なんだよ。そういう気持ちを持ってる男の目の前で、無神経にそういうこと言うんは絶対だめ。全部光希のせいにされちゃうよ」 「……? なん? ちっとも分からん」 「一生分からんままで居ればいい」 「そんな意地悪を言うな」 「……分からんままでおらんとお前は後悔するし俺の事嫌いになっちゃうよ」 「阿呆か? ならんわ」 「馬鹿だな〜も〜やんなっちゃうな〜」  瀬戸はそう言うと、ばりばり頭をかいて、大袈裟に天井を仰いだ。 「……光希さあ」  それから、ちょっと吹っ切れたみたいな顔をして俺を見てくる。 「じゃあ今日俺と寝てみなよ、したら嫌でも分かっから。そんで俺のこと嫌いになって友達辞めたらいい」 「なんやお前。ならん言うとるやろ」  瀬戸の物言いにイラッとして、つい刺々しい言い方で返してしまう。  瀬戸は草臥れた顔で笑った。 「そ。お前が言ったかんね。俺は絶対謝らんしお前との関係も辞めん。お前が嫌がっても呪いみたいに着いて回る。絶対やからな」  瀬戸はそう言って席を立った。 「どこ行く」 「とりあえず先に風呂〜。待っててねん光希ちゃん」  いつもの瀬戸だった。ちょっとほっとして、風呂場へ向かう瀬戸の背中を見詰めた。  俺とは比べ物にならないくらい、デカい背中だった。

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