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第六話・悲しい過去の傷痕。(二)

 あの頃、褥での所作に不慣れだった大瑠璃は、お客が帰り、ひとりになると泣きじゃくり、情緒不安定な毎日を送っていた。  そんな時だ。彼――蘇芳 徹と出会ったのは……。  蘇芳は大手企業の息子で、二十七という年になっても色恋沙汰に無頓着だからと父親がこの花街に連れて来たのがすべてのはじまりだった。  彼はけっして男前ではなかったが、甘い雰囲気を漂わせていた。  その蘇芳が見世に出ていた大瑠璃を一目で気に入り、初日から同じ褥に入った。  他のお客同様、蘇芳も例外ではないと覚悟していたものの、けれども彼は自分のおかれた環境や家族のことなど、他愛のない話をするばかりで、その夜は大瑠璃に手を出さなかった。  次の日も、そして次の日も――。  彼はたくさんいる娼妓の中から大瑠璃を選ぶものの、やはり抱こうとはしない。  これでは大瑠璃の揚代(あげだい)(かさ)むばかりだ。  それなのに、彼は何を考えているのか。六畳一間に敷かれた、たったひとつしかない夜具に寝転び、他愛のない話に花を咲かせた。  それは楽しいひとときだった。  娼妓に成り立ての大瑠璃にとって、抱かれずにいられるこの時間がどれだけ救いになったか。  身体はすっかり汚れてしまったけれど、それでも一人の人間として扱ってくれたことが何より嬉しかった。  蘇芳と出逢ってからというもの、大瑠璃は明るくなり、よく笑うようになった。

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