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第15話

  「姿勢を正しなさい。さあ、レッスンをはじめよう。先ほど渡した脚本を開いて、アンダーラインを引いてある科白を冒頭から順番に読みなさい」    居丈高にそう命じると、橘はステッキを巧みに操ってテーブルのかたわらをすり抜けた。  そして佑也の背後にたたずむと、教師然と後ろ手を組む。  佑也はテーブルに頬杖をついた。そのくせ橘の一挙手一投足に、神経を研ぎ澄ませつづけた。  橘は黙して語らない。さまざまな憶測が乱れ飛んだが、彼が俳優業を事実上引退するに至ったいきさつは、依然として謎に包まれている。  かつての橘は走行中の車から車に飛び移るなど、銀幕の中で抜群の跳躍力をみせたものだ。殊に山岳救助隊の隊長に扮したさいにクレバスをひと跨ぎに飛び越えた場面は、圧巻だった。  その橘が右足を多少、引きずる点に今更めいて好奇心をくすぐられた。 「あんたさ、前から気になってたんだけどその足……」  口ごもり、口をつぐみ、その口を真一文字に結んだ。  怪我か病気の後遺症で障害を負ったのか、なんて口が裂けても訊いてやらない。訊けば、わたしに特段の関心があるのか、と切り返されるに決まっている。  橘に心惹かれるものがあるというふうに曲解されるのは、癪だ。  いまいちど橘を睨めすえた。それから佑也は、脚本と称するものを渋々めくった。目についた科白を、つかえつかえ読んだ。 「『糖衣錠って甘いじゃない。甘いからって舐めてると苦いのがしみ出してくる。恋愛も、おんなじだ。つき合いはじめた最初のころは恋は盲目って感じだけどさ、相手のアラが見えだしてくると』──あぁあ、バカバカしい。学芸会のお稽古かよ」 「やめてよいとは言っていない。続けて」 「おれは、あんたの奴隷じゃない。ああしろ、こうしろには、うんざりだ。先生と生徒ごっこがやりたきゃ他を当たりな。だいたい〝透真、はるかを見つめる〟って、なんの冗談だよ、これ」 「わたしが監督を務める映画の脚本だ。今夜中に透真の科白を暗記しておくように」 「いやだね。あんたの指図は受けない」  鼻で嗤いながら、ダブルクリップを外した。  脚本をばらすと、手始めに表紙をふたつに裂いた。頭上に掲げて四つに裂き、八つに裂いた。  びりびりに引き裂いたそれを、紙吹雪よろしくまき散らした。

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