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第21話

 爪が小鼻に食い込む。鼻の穴が完全にひしゃげるにつれて、自然と唇の結び目がゆるんでいく。  と同時に、雄が歯列をこじ開けにかかる。口腔に侵入を果たす。 「ぐっ……」  いきなり、それも、もろに喉を突かれて嘔吐(えず)いた。ぺっ、と佑也は性器を吐き出した。 「もういっぺん無理やり押し込んでみろ、嚙みちぎってやるからな……っ!」 「阿部定(あべさだ)のひそみに倣うというのか。それも、また一興だ」    阿部定と、おうむ返しに呟いて、舌を爪でこそげた。 「阿部定とは、昭和の初期に日本中を震撼とさせた猟奇事件の犯人の名だ。他の女に奪われたくない一心で情夫(イロ)を扼殺したあげく、切り落としたイチモツを後生大事に抱えて逐電したのちに逮捕された。げに、すさまじきは女の妄念だが、度を超した情念は究極の愛といえる……俗に裏筋といわれるそこだ。そこを舐めなさい」    この男はいったいなんの権利があって、手を替え品を替えて自分を辱めるのか。  躰中の血が沸騰する。それでいて映画界に燦然と輝き、一世を風靡した男の、これが求心力というものなのか。  (はらわた)が煮えくり返り、にもかかわらず心の一部が橘にかしずく。  佑也は、泣く泣く雄を銜え直した。弾力に富んだそれを上下の前歯で挟んだ。  マジに嚙みちぎってやろうか……、と思いながら。  橘が隙を見せた機に乗じて彼をくびり殺そうとした過日、命乞いをしろと迫っても、頑として拒み抜いた橘のことだ。  血だまりに崩れ落ちて悶え苦しむことがあっても、佑也に泣きすがるくらいなら莞爾(かんじ)と微笑んで死に臨むだろう。 〝檻〟の扉を開閉する(すべ)を知る者は、橘のみ。橘に命運を握られている佑也は彼を殺めたが最後、永久に〝檻〟から出られない。  黄泉路をたどる橘の(むくろ)とともに、渇いて飢えて死ぬのを座して待つのは、ぞっとしない。  いっときの辛抱だ。佑也は、そう割り切ることにして睫毛を伏せた。努めて頭を空っぽにして、ぎこちなく舌を閃かす。  むくり、と雄が頭をもたげた。それが勇み立つ徴候に皮膚が粟立つ。  一度ぎゅっと目をつぶって、恐怖心をねじ伏せた。砲身の輪郭を舐めあげて舐め下ろせば、力を失う。

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