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螺旋階段は同じ所を通らない(14)
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あれは、大学四年生の秋のことだったか。
就職先も決まり、単位も取り終え、目下の心配事は卒業論文。
教授からのメール攻撃と段階的に迫る締切に追われていた真壁は、恋人の牛田に最低最悪な裏切りを受けた。
牛田は、真壁が同性愛者であることを勝手に共通の友人達にバラした。しかも、真壁がストレートの牛田に執拗に言い寄っていた、という、趣味の悪い尾鰭を付けて。
真壁がそのことを知ったのは夕方、サークルの友人の一人である北川と会ったときだった。
「真壁、お前ゲイって本当か? 牛田にしつこく言い寄ったって聞いたんだけど。あいつ、すげえ嫌がってたしげっそりしてた。一緒に住んでるからって、あいつにその気はなかったんじゃないのか。やめてやれよ」
北川の瞳に怒りと軽蔑の色が見えたとき、真壁の心臓は一気に凍り付いた。
真壁は友人達にカミングアウトする気はなかった。それは、牛田からそう要請されたからだ。自分達が付き合っていることは秘密にしよう。バレたらサークルに居づらくなる、と言っていたのは牛田自身だったのだ。それなのに、卒業する前に――サークルメンバーとの関係が自然と希薄になる前に、最悪の形で事が露見しようとしている。
望まない相手に、望まない形で、話が広がっていた。
真壁は、北川にどう返答するべきか分からなかった。正確なことを伝えるのであれば、半分正しくて半分違うという解答になる。真壁が男と付き合っていることは本当だが、その相手は牛田その人だからだ。ただ、詳しく説明したとしても、どうあがいたとしても、幸せな結末にはならないと真壁は気付いていた。
牛田の言うことは間違っている、俺は牛田と付き合ってたんだ、などと正直に言おうものなら、水掛け論になることは必至だ。真壁が全てを正直に話したところで、あるいは事実と異なる嘘を吐いたって、それを丸ごと相手に信じてもらえるわけがない。ともかく、この場をとっとと切り抜けたかった。そのためには、目の前の北川をいなす必要があった。
嘘を吐くときは、真実を混ぜて伝えると信じてもらいやすくなる。以前読んだミステリに、そんなことが書いてあったのをふと思い出した。逆に言えば、真実に、それ単体での説得力なんてものは存在しないのかもしれない。馬鹿馬鹿しい話だ。
結局、北川には嘘と真実を混ぜて話を返した。「ゲイなのは本当だが、俺は別の奴と付き合ってる。牛田なんてタイプじゃねえよ」と。当の牛田が取った手段を利用するのは業腹だったが、北川は真壁の話を一応きちんと聞いてくれて、謝罪までしてくれた。胸に詰まった息が流れていくのを感じる。空いた胸には虚しさが広がったが。
ただ、北川は、ぎこちない笑みを浮かべており、まるで腫れ物に触るような態度だった。もう彼と元の友人関係には戻れないな、と真壁は直感した。
その後は硬い表情で社交辞令を交わし、足早に自宅への帰途についた。今、見知った顔に会いたくない。胃の中のものを全て吐き出してしまいそうなほどの不快感をどうにかしたかった。北川が意外と良い奴だったのは確かだが、それは何の慰めにもならなかった。真壁の脳内は、不安と恐怖で埋め尽くされている。足場が段々崩れていくようだ。
これから友人に会う度に、この話をされるのか?
他の奴はどう思ったんだ?
牛田の話を完全に信じた奴もいるんじゃないのか?
牛田と真壁は、同じアカペラサークルに所属していた。学部も同じで、共通の友人が多かった。
どこまで話が広がっているかは分からないが、北川の話を信じる限り、サークルメンバーには話が広がっているはずだ。そこには、真壁と同じ学部の奴もいる。
孤立無援という奴だ。味方を増やすにしても、まずは誤解を解かねばならない。それは苦痛を伴う茨の道だった。
家の扉を開けると、もぬけの殻、ではなかったけれど、牛田の私物が全てなくなっていた。真壁が講義を受けている間に全て片付けたのだろう。今日の牛田の様子がどうだったかなど、もう思い出せなかった。脳内の記憶を漁る度、頭が痛くなる。
このときの真壁は、牛田の行動の理由を全く理解できていなかった。確かに牛田は、この頃、精神的に不安定になっているようだった。だが、その理由を決して真壁に伝えようとはしなかったのだ。だから、こんな考えも頭を過った――もしかすると牛田は本当に、真壁のことを疎んで嫌悪していたのかもしれない、と。
結局、相手を恋人だと思っていたのは真壁だけで、牛田はずっと迷惑だと思っていたのかもしれない。雰囲気に流されていただけで、本当は男なんか好きじゃないのに、友人の間柄だから大事にしたくないと我慢させていたのかもしれない。考えたくないことだけれど。
だったら、この仕打ちも仕方がないのか?
自分の心の、柔らかくて脆い聖域を侵害されただけでなく、悪意ある噂まで立てられた。それでも我慢しなければいけないのか?
スマートフォンの着信音が、静かな家の中に響き渡る。煩いほどに鳴りやまない。メールの中身は、想像するだに恐ろしい。北川からぶつけられた第一声が、まだ頭の中に残っている。
真壁はその日以降、家から一歩も出られなくなった。
この家を発とうと思い至ったのは、それから一週間後のことだった。
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