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螺旋階段は同じ所を通らない(15)
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気付けば、四〇二の表示がある、マンションの一室の前に真壁は立っていた。
好きな人に告白する前だというのに、碌でもないことを思い出した。胸糞悪くなる。ただ、今だからこそ分かることもあった。
結局のところ、牛田は真壁のことが信用ならなかったのだろう。何せ、お互い学部もサークルも同じだったのだ。男と関係を持っていたという、隠したい秘密を握らせる相手としては、不適格にも程がある。真壁も、自分が周囲の目を気にするようになってしまってから、ようやく事の恐ろしさを理解した。牛田がおこなった裏切りは、牛田が最もされたくない行動だったのだ。自分の考えの浅さを呪わざるを得ない。
ただ、牛田の気持ちを理解した気になったところで、実際の彼が何を考えていたのかは分からないし、分かったところで牛田の行動を許す気にはなれない。ただ、真壁にも、多少なりとも打てる手があるはずだった。
例えば、北川に嘘を吐くのではなく、本当のことを言うべきだった。牛田に、面と向かって行動の意図を問い質すべきだった。友人一人一人に話をするべきだった。真壁のことを信じてくれる人がいたかもしれない……というより、今思い返すと、その候補は確実に存在していた。
当時の真壁には、かなり仲が良い女子の後輩がいた。親友と言っても差し支えなかったかもしれない。真壁を慕い、歌を好きだと言ってくれて、真壁のことを『誠実な友人』だとまで言ってくれた人だった。牛田にあんな仕打ちさえされていなければ、真壁は卒業後、彼女にだけは本当のことを話すと決めていたのだ。そんな友人のことすら信じられなくなっていた自分が情けなくて、目の奥が痛くなってくる。
全て後の祭りで、変えられない出来事だ。後悔するだけ無駄なことも分かっている。メールアドレスも電話番号も、主要な連絡先は全て、大学四年のあの頃に切り替えて、過去の痕跡を全て捨ててしまった。彼らと連絡を取ることは叶わない。
変えられるのは、此処からだ。
目を閉じて深呼吸していると、ガチャリと鍵の音がした。扉が独りでに開く。
「真壁さん、良かった。着いてたんだ。てっきり道に迷ったかと思ってました。迎えに行こうかなって思ってて、今電話しちゃったんだけど」
宮下が無邪気な微笑みを浮かべて、目の前に立っていた。彼を目の前にしただけで、胸が温かくなって、安心できる自分に気付く。それも、今日で終わりになるかもしれない。歪む視界の中にいる宮下の表情が、驚きに変わっていった。頬に涙が伝っている。しまったと思ったときにはもう遅くて、次から次へとこぼれ落ちていった。
「真壁さん」
宮下の気遣わしげな声が胸の内に染みこむ。止めなければと思っていた涙が、また勝手に流れてきた。俯いて嗚咽を噛み殺して、笑顔を作ってから顔を上げる。
「ごめん、あの……大したことは、ないから。はは、ごめん。これ、返すよ」
借りたものを返しに来た友人が突然泣き出したのだから、宮下も戸惑っているに違いない。心配をかけないような、怪しまれないような理由を考えたけれど、思いつかなかった。
こんな調子だと、告白は別の日にするしかない。けれど、せめてDVDだけは返さなければならないので、笑って誤魔化しながらビニール袋を手渡す。触れた手は温かくて骨張っていて、その体温にまた涙が出そうになるが、とりあえずの目的を達したことに真壁は安堵する。
しかし宮下は、袋の持ち手ごと真壁の手を掴んだまま離さなかった。
「真壁さん。この後、お時間ありますか」
宮下の声音がいつもより硬い。口は真一文字に引き結ばれていて、微笑みの影は一切見えない。
今の自分が万全の状態ではないことくらい、真壁にも理解できていた。今、宮下と時間を共にしても、下手を打つ未来しか想像できない。それこそ、以前宮下の家を訪問した時のように、自分で境界線を踏み越えておきながら疑心暗鬼に苛まれかねない。その連鎖を断ち切るために、想いを打ち明けようとしていたのに。冷静でない現状で内心を吐露しても、宮下への配慮を忘れて、ただ傷つけてしまう。それは真壁の本意ではない。
断っておくべきだった。時間はない、と言うべきだったのだ。
逡巡の後に宮下の顔を見た途端、真壁の決意は砕け散った。真剣な顔をしていてくれればまだ良かったものを、宮下は捨てられた子犬のような、弱々しい、期待と悲しみと切望に満ちた表情で真壁をじっと見据えていた。ここで断ったら、自分が全面的に悪者になってしまうような気配を真壁は感じる。この場には二人しかいないので、悪者になろうがどうなろうが一向に構わないはずなのだが、庇護欲と罪悪感を掻き立てられて、拒否の言葉が喉から出てこない。
手を掴む温もりが、真壁を強く絡め取っていく。
逃がしたくない、どうか此処にいてくれ、という思念を感じた。その切実さは、真壁の勘違いでも、自惚れでもない。
「ある、けど」
有無を言わせぬ緊張感に呑まれて、真壁は思わず肯定の返事をしてしまった。
宮下は一瞬頬を緩ませたが、その表情はぎこちない。
「とりあえず中に入ってください。立ち話もなんですから」
掴まれた手を離されることもなく、開かれた扉へ真壁は吸い込まれていった。
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