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螺旋階段は同じ所を通らない(16)

 ぱたん、と閉じられた扉を背にして、宮下と向かい合う。繋がれたままの手が、緊張から湿っていく。ビニール袋が汗で滑るが、宮下が手を放す気配がないので、真壁もそのままにしていた。  宮下は室内に上がるように勧めてきたが、申し訳なさが勝ったので、真壁は丁重にお断りをする。宮下はぎこちない表情を浮かべたままだ。真壁を中へ入れた理由にも言及しないまま黙っていた。 「どうしたんだ? DVD以外にも、何か用があったんじゃないのか?」 「どうかしたのは真壁さんでしょ。何があったんですか」  しびれを切らせた真壁が切り出すと、宮下は憮然とした表情で空いた方の手を伸ばし、真壁の目の縁に触れた。残っていた水滴を拭い取られたことに気付いて、頬が熱くなる。真壁の涙を見なかったことにする気はないらしい宮下は、適当な言い訳をしたところで引き下がらないだろう。もう彼を誤魔化すことはできない。真壁は腹を括った。 「もう宮下くんには会えないなあと思ったら、あんなことになっただけだよ」  覚悟をしていたはずなのに、いざ話そうと思うと、声が震える。繋がる手から伝わる宮下の体温が、真壁に勇気と心細さを同時に与えてくる。 「どうして? 確かに俺は転勤になったけど、これからも宜しくって言ったじゃないですか。……まさか、真壁さんも転勤になっちゃったんですか?」 「俺の勤務先は変わらないよ。でも、これから先、俺は宮下くんと友達でいることはできない。一緒にはいられないよ」 「どうしてそんなこと言うんですか。嫌だ」  低く地を這うような怒りの声が耳に届いて、真壁は思わず怯んだ。握られた手が強く締め付けられて、鈍い痛みに襲われる。宮下の顔は、見たことがないほど苛立ちに歪んでいた。眉間には皺が寄り、口角が下がり、唇の隙間から見えた歯が噛み締められている。  だが、もう引き下がるわけにはいかなかった。恐怖で勝手に締まっていく喉から、声を絞り出す。 「俺は宮下くんのことが好きなんだ。勿論、ライクじゃなくてラブの方だよ。君と恋人になりたい。でも無理だろ。だからもう会えない」  一気に吐ききった息のまま、言った。言ってしまった。明るい声音になるよう心掛けたはずだが、宮下の心にどう届いたかは分からない。  また、涙が出てきた。怖い。どう思われただろう。傷つけていないだろうか。  視線はどんどん下がっていく。宮下の顔を見ることが儘ならない。それでも、詰め込まれた感情が解き放たれた後の胸の内は、不思議とすっきりしている。ただ中身が空っぽになっただけかもしれないけれど。  繋がれた手の温度が変わるのが怖くて、少しずつ力を抜いて、離していく。それを察知したのか、宮下の手の力が強くなった。 「今言ったこと、本当ですか」  落ち着いた、感情の見えない声がぽつりと響いた。顔を見る勇気は、まだ湧いてこない。指を絡めて手を握り直される。真壁は宮下の問いに頷いた後、玄関のコンクリートに広がる数滴の染みを見つめることで、胸のざわめきを抑えようとした。 「ごめん。黙って友人関係を続けられたら良かったんだけどな。宮下くんと話すのはとても楽しかったし、宮下くんのお陰で、人付き合いとか、昔のこととか、前向きに考えることが出来るようになったから。でも、借りたDVDを見た時とか、一緒に聞いた曲が流れた時とか……どうしても、君のことを考えてしまって」  喉の奥が言うことを聞かない。みっともない声をあげて泣き出しそうになるが、呼吸を整えながら抑えた。 「友達でいたいって気持ちも嘘じゃないんだ。でも、このままだと、前みたいにうっかり宮下くんに触っちゃったり、望まない、嫌な思いをさせるかもしれない。君を傷つけるのは、俺の本意じゃない」  相槌も返答もないまま喋り続けていると、流石に相手の反応が気になるものだ。顔を上げると、宮下は真剣な面持ちで、目を逸らさずに真壁を見つめていた。内心はどうあれ、表情を歪めたり、変に笑顔を作ったりしない彼の姿に、支えられているような気分になる。   「今までありがとう。宮下くんと会えて、仲良くなれて、本当に良かった」  今、目の前にいるのが彼で良かった。好きになったのが、彼で良かった。心の底からそう思えて、自然と笑顔が零れた。堰を切ったように涙も溢れたが、その源は安堵と達成感で、喪失の恐れではなかった。  とは言え、口から放たれた言葉はもう、真壁だけのものではない。宮下の耳に届いたそれらが、彼の心にどのような影響を及ぼすのか、真壁には想像がつかない。宮下の顔を正しく認識できないことが、これほど歯痒いと思ったことはなかった。  反省も後悔も後からするものだ。宮下の反応を待つ間、それらがずっと真壁の頭の中を巡っていた。手落ちはなかっただろうか。きちんと想いは伝わっただろうか。彼を好きだということ、彼と会えたことが人生の転換点だと思っていること、今まで楽しかったこと、全て彼の胸に届いただろうか。  不毛な堂々巡りの思考は、体を包む温かさを感じた瞬間に停止した。宮下に抱きしめられているのだと認識できたのは、甘やかな低い声が耳元で響いてからだった。 「俺、まだ返事もしてないんですけど、どうして断ること前提になってるんですか」  頬に押し付けられた柔らかな感触が、吐息の跡を残して離れていく。それが宮下から残されたことは間違いないのに、真壁は今の状況を現実のものだとは思えなかった。  瞬きが涙の膜を弾いて、すぐ近くにあった宮下の瞳と視線を繋ぐ。喜びを湛えた笑みからは、優しさも気遣いも同情も見当たらない。 「言ったでしょ。俺、そういう意味でも全然構わないって」  真壁が呆けていると、宮下は真壁の前髪をかき上げて、唇で額に触れた。受け止めた熱がじわじわと広がる。心臓が徐々に鼓動を早めていった。

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