28 / 40
この世に完璧なものは存在しない(2)
そういえば、宮下もこの付近で用事があると言っていた。その後はフリーであることも。時間が合ったらご飯かお茶でもしたいねと軽く話していたのだ。
堅苦しく、どうにもこなれないスーツのポケットからスマートフォンを取り出すと、画面に「悠人くん」の文字と受話器のマークが表示され、応答か拒否の操作以外受け付けなくなっていた。サイレントマナーモードにしていたのでバイブも着信音も鳴らず、彼からの着信に気付くことができなかったのだ。考えるより先に応答ボタンに触れていた。
「ごめん、お待たせ。どうしたの?」
『今かけたところだから気にしないで。研修終わった?』
「うん、そっちは?」
『こっちも用事終わりました。このあと一緒にご飯食べませんか?』
「もちろん。何食べたい?」
二人して同じことを考えていたんだと分かって、真壁の声は弾んだ。
『パスタとか食べたいんですけど、土曜日だし、まだ混んでるかな』
「そうかも。合流してから行先決めようか」
宮下は駅の更に北側にいるらしく、真壁が直接彼を迎えに行くのは時間がかかる。待ち合わせ場所として使われることの多い駅の中央コンコースが二人の位置の中間地点なので、そこへ向かうことになった。駅周辺は昼過ぎでも人通りが絶えないが、午前よりも幾分か人の数が減っているように思える。レディースショップが並ぶ地下街を戻りながら、真壁は昼ご飯を食べる場所について考えていた。
集合場所の一部でもある駅ビルのセントラルタワーズは畏まった感じがして、和やかにランチを食べる気分になれない。けれど地下街は騒々しく、とても落ち着ける雰囲気ではない。他の選択肢としては、数年前に建築されたばかりの複合ビルだ。駅ビルに併設された超高層ビルの更に隣にあり、地下一階から三階までの低層階が商業施設のスペースで、出店店舗の大半が飲食店になっている。確かイタリアンのレストランも入っていたはずだ。この商業施設には足を踏み入れたことがないので、宮下がそこでも良いと言ってくれたら、一度行ってみたいと思っていた。
目指すことが何もないと感じているのは、宮下と過ごす時間が満たされているからだろうと真壁は気付いていた。なんなら、さっきの研修でも「恋人と死ぬまでずっと一緒にいる」と目標を設定して宣言してやれば良かったとも思っている。けれど、この願いを口に出すのは憚られる。……絶対無理だから。
ずっと一緒にいたいのに、二人の時間を永遠にしたいと思うのも本心なのに、心のどこかでそれは無理だと諦めていた。実現不可能なことを目標にするなんて無様だ。それが心よりの願いなら尚更。
どうして無理だと思っているんだろう? 気持ちはいつか冷めてしまうものだから。俺達みたいな人は、付き合っていると公言することでリスクを負う可能性のある人は、お互いの気持ちだけが縁 だから。だったら、その気持ちが続くように努力してみれば良いんじゃないか? ――不安よりも恋人への熱意の方が勝っている。今からその本人に会いに行くからだろう。定期的に会いたい。毎日会えたら、こんな不安もどこかに飛んでいくのだろうか。
幸せな時間が長く続くために何をすれば良いのか分からないけれど、二人でやりたいことならいくらでもある。一緒に温泉に行くとか、二人でもう一度ライブに参戦するとか。……何か、彼と恋人であるという証が欲しいとか。考え出せばきりがないそれらを一つ一つ達成していくだけで彼との結びつきが強くなるなら、幾らだって紙に書き出してやるのに。
地下街から地上に出れば、目的地の中央コンコースは目前だ。行き来する人は午前よりも減っていたが、未だ通路の半分を占めている。
各交通機関の中間に位置し、人が集まれるほどの広さがある場所は貴重だ。建物の中なので天候にも左右されない。北と南には老舗百貨店の入り口があり、絶えず人が行き交っている。西にある新幹線口の前にも類似した待ち合わせスポットがあるが、真壁は新幹線に縁も用もなく、なるべく近寄りたくない所でもあったので、その場を通り抜けたことがあるだけだ。そこで待ち合わせる人々のほとんどはスーツケースを相棒としていて、真壁の視界に散らばる身軽な人々とは対照的だった覚えがある。
荷物の多寡はあれど、待ってやっても良いと思える人がいて、待ってくれる人がいるのだから幸福なことだ。自分にだって今は、そういう存在がいる。幸せにしてくれて、幸せにしてあげたい人が。
待ち合わせ場所の目印である金色の時計の周りは、昼中を過ぎて人がまばらになっていた。
人混みよりも、人々の顔が識別できるくらい視界が開けている今の状態の方が真壁は苦手だった。しかもここは鉄道の主要拠点であり、遠方からも人が訪れることがある。最近は知り合いがいるんじゃないかという自分の恐れが杞憂であると冷静に判断できるようになったのだが、一人で一所に留まっているとどうにも心細く、早く宮下が来てくれないかとそわそわしてしまった。
知り合いなんて、いたとしても職場の人間だ……大学時代の知り合いとタイミングよく出くわすとか有り得ないだろ、四年間何もなかったんだぞ……頭の中で呪文を唱えると、胸騒ぎも幾分か落ち着いた。「今どこ?」とメッセージを打って送信ボタンを押そうとしたところで、また画面が操作不能になる。今度はきちんと着信音が鳴った。一番好きなバンドの一番好きな曲が宮下を示している。
「もしもし、どうしたの?」
『どうも。今どこにいると思う?』
「え……もしかして、もういるの?」
くるりと辺りを見回していると、頭一つ抜けた長身の男が顔の横で手を振っているのが見えた。恋人と他人の見分けがすぐにつくのは、彼の顔の良さだけでなく、自分が彼に向ける好意によるものもあるのだろうと思うと何故か誇らしかった。
パスタとピザを分け合って食べるとお得な気分になる。遅めの昼ご飯の後、特に示し合わせた訳でもないが、気付いたら集合場所に戻っていた。
さてこれからどうしようかというところで、宮下がお手洗いに向かったので、真壁は少し離れた通路からパン屋を眺めていた。素朴な甘い香りに行列ができているが、真壁の食指は動かない。満たされた胃腸が「もう結構です」とお断りの姿勢を取っているからだ。
土曜日の昼下がり、これからどうしようか。特に買うものも思いつかないし、完全なノープランだ。宮下はともかく真壁は明日仕事なので、どちらかの家で過ごすにしても時間はあまり残されていない。どちらかの家に泊まるというのなら話は別だが、泊まりの用意をするにも手間と時間が必要だ。本腰入れて睦み合うのは、二人で休みを合わせた来週の日曜日と月曜日にした方がいいだろう。
暢気に行列を眺める真壁の前を数多の人々が通り過ぎていく。スーツケースを引く音が、一つだけ、やけに耳に残った。キャスターの音なんてどれも似通ったものなのに、探されているような、追われているような焦燥感が胸に迫る。音の発生源は既に過ぎ去った後だったが、ひやりと空気が冷たくなった気もした。隙間風なんて入ってくる余地もないのに。もう夕方かと時計を見ても、まだ三時を回ったところだった。変に気を張って疲れたせいかもしれない。目や耳のまわりをくるくると揉んでいると、ゴロゴロと頭に響く音がまた近づいて、真壁の目の前で止まった。
ともだちにシェアしよう!

