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この世に完璧なものは存在しない(4)
実際、宮下の登場は二人にとって救いだった。近況を尋ねること自体が過去に埋まった地雷を踏みかねない危険な行為とはいえ、相対することを選んだのならけじめはつけるべきだった。けれど、できたことと言えば相手を気遣うことだけだ。四年の歳月を経たというのに、突き詰めることも修復することもできないまま時間を浪費した。覚悟が足りなかったのだろう。
「お連れの方ですか? すみません、お待たせしてしまって」
「お気になさらず。お手洗いに行ってて、この人のことほったらかしにしてしまいましたし。お知り合いの方だったならすみません、続けてくださって構わないですよ」
「いえ、流石に申し訳ないです。先約があるならそちら優先ですよ。それに、あたしも確かに話すことはあるんですけど、今は、その時じゃないと思うんです」
初対面にも関わらず親切な宮下の態度に罪悪感を覚えたのか、南は申し訳なさそうに真壁へ視線を寄越した。
今はその時ではない。それは確かに真壁も感じている。けれど、一生その時が来ないというわけではないし、近いうちに訪れるはずだという予感もあった。
「真壁さん、また今度、会っていただけますか? その時までに、ちゃんとあなたと向き合って話せるようになりますから」
「分かった。俺は当分、ここら辺から離れることはない、と思うから。次に南がこっち来たときに話そう」
連絡先を交換しようとしてスマートフォンを取り出したとき、「連絡先変わってないですよ」と南に制された。今日一番困ったのは、なんだかんだでこの時だったのかもしれない。真壁が大学時代の知り合いの連絡先を全て消したことは、当然彼女も察してくれるものだと思っていたからだ。真壁が笑顔を作って誤魔化しているうちに、南はやっと気づいたようだった。
「……もう、失くしちゃだめですからね」
悲しそうに笑う顔を見るのはこれきりにしたいところだ。宮下のすぐ上に南の名が表示されるようになったアドレス帳は未だ閑散としているが、これで十分だと思う。今、手の届く範囲にあるものを大事にできればいいのだから。
新幹線口への道を確認した後、南は中央コンコースを去った。スーツケースがコロコロと軽快な音を立てて遠ざかっていく。当然のことだが、宮下は状況が良く飲み込めていないようで、目を丸くしていた。
「話、どこから聞いてた?」
「しっかりとは聞いてないですよ。安心して」
「そっか。でも、声かけてくれて安心した。ありがとう」
「だったら良いんですけど。あまり良い雰囲気じゃなかったからトラブルでもあったのかと思ったんですけど、お知り合いだったんですね。割って入っちゃって申し訳なかったな」
「気にしないでよ。大学時代の後輩なんだけど……色々あったから、お互い心の準備が出来てなかったんだ。こっちこそほっといてごめんよ」
「いいえ。それくらいで拗ねるほど心狭くないですし」
宮下の生意気な物言いが可愛らしい。ここが外じゃなければ、いくらでも頭を撫でてあげたいところだ。
「……今回は俺の勘違いだったけど、何かあったら頼って下さいね」
真壁の背を軽く叩いた宮下は、地下鉄の改札に向かって歩き出した。真壁にしか聞きとれないほど小さな声だったが、どんな励ましの言葉よりも心強い。
ひやりとした重苦しい空気は、既に消えている。湿気をほのかに含んだ風が、初夏へ向かって吹いてゆくのを感じた。
***
果たしてその時は、予想していたよりもすぐに訪れた。南と久々に邂逅してから二週間後、「また名古屋に行きます! ご予定はいかがですか?!」と元気なメッセージが届いたのだ。昼は用事があるというので、夜にご飯を一緒に食べることになった。結局、例の再会から一ヶ月後に二人は会うことになったのだった。
それまで、南とやりとりしたのは、連絡先を聞いたあの日だけだった。「届いてる?」という確認の内容を送って、「届いてますよ!」とだけ返ってきて、それきりだった。そんな状態から誘いのメールを送ったのだから、彼女も勇気が必要だったに違いない。
南がどう話を切り出してくるかにもよるが、まずは近況から話を進めるべきだろう。あの日、彼女があの駅にいた目的を聞くことはできなかったので、そこから話を切り出そう。何を話すか事前に考えられるだけでも心構えが違う。……それに、やはり話が弾まなかったとしても、そういう縁だったのだ。二人が望めば、また時間が経ったときに機会を設ければいい。上手くいかなかったら宮下に励ましてもらうつもりだった。
南と会ってご飯を食べることは宮下には伝えてある。夜の食事で酒が入ることが予想されたからだ。元々の彼女との関係性からしてやましいことなどないし、真壁の性的志向を彼女に知られているであろう今なら良からぬことが起こる可能性も限りなくゼロに近いが、念のためだ。
真壁達にとっての異性は恋愛対象ではないのだから恋人に気を遣うこともないのかもしれないが、その恋人の立場に立って考えるとそう簡単な話でもない。宮下が仲の良い女性と飲みに行くなどと言われたら、真壁も不安に苛まれていたことだろう。実際、真壁から食事の話を聞かされた宮下は少なからず動揺していたようだった。「分かりました、行ってらっしゃい」と言ってはくれたが、その日は落ち着かない様子で掃除を繰り返していたし、当日である今日も数十分前に「大丈夫そうですか?」とメッセージが届いた。「まだ会ってないから分からないよ」と苦笑しながら返事を打つ。食事が終わって解散したら、きちんと連絡を入れるつもりだ。
宮下は南のことを知らない。真壁と南が互いに気のないことを信じきれないのは当然のことだ。異性愛者が同性と飲みに行くのと心証が違う。大体、真壁も今の南のことを掴み切れていない。相手も真壁に対して同じことを思っているに違いない。四年ぶりにまともに話すのだから、彼女も過去から変わった部分があるはずだ。
あの日と同じ駅の中央コンコースに向かうと、既に南がいた。スーツケースは傍らになかった。ホテルに預けてきたのだろう。
二人で地下街を東へ突き進んでいく。夜の闇も地下には関係ない。会ったばかりは緊張で言葉が出なくなるかと思ったが、道中で店の概略を説明していれば時間もすぐに過ぎていった。これから向かう店は野菜中心のメニューが売りで、古民家をリノベーションして利用しているらしい。検索結果の中で何故かやたらと目につくので予約してみたのだが、どこか既視感があった。
目的地に近づくにつれて、疑惑は確信に変わった。ここには来たことがある。宮下と初めて待ち合わせして向かった、野菜中心の創作洋風料理の店だ。あのときはもう一つ隣の駅で待ち合わせていたから、同じ場所とは思っていなかった。けれど、だからこそ、この場所が最も相応しい気がする。ここは間違いなく、真壁のお勧めの場所だからだ。そもそも、おしゃれでご飯も美味しいカジュアルな店をアクティブとは言えない男が探すのは難易度が高すぎる。宮下には感謝しなければならない。
言われてみれば確かに、外装も内装も古民家を刷新した風だった。テーブルもオブジェも以前見たときと同じものだ。メニューだけは新しいものが追加されていたが、大方の構成は変わらない。レンコンのピザも変わらずあるが、こうしてメニューを見てみると、他の料理と比べて些か彩に欠けているような気もした。
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