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◇ 日狂 ◇ 弐
夜半前であったが早々に宿を出て、四人は紫燕がいるという街へと急いだ。
降り続いていた雨も上がり、東の空が白々としてくる頃には曇天もすっかりと晴れていた。
「見ろよ遼二! ここが御江戸の日本橋ってな? 朝市でもあるのだろうか? 随分な賑わいようだな」
朝陽に手をかざし、帝雀がそんなことを口走る。
どうやら彼らが辿り着いたこの場所は、江戸時代頃の日本によく似ているようだ。朝も早うから人々の往来で賑わう橋の欄干が陽の光でキラキラと眩く輝いている。袷の着物の裾をひるがえし、粋に飛び交う挨拶が活気のよい気風を感じさせる。明るいこの街の様子に自らの近い未来を投影しては、誰からともなく微笑み合った。
この広い街の何処かに紫燕がいる――
「賭場が開くのは夜だ。それまでにそこいら界隈を探索して歩くとするか」
先刻に下見に来ていた白啓と剛准の案内で、四人は賭場のある方面へと先回りすることにした。
街中をざっと見て歩き、その後、軽く腹ごしらえをしようと飯屋に入った。
席に案内され、ふと店の入り口あたりに目をやれば、午後の陽も傾き出した日差しが暖簾越しを行く人々の影を長くしている。夕刻が近くなってくるのを感じて、遼玄は逸る気持ちを抑えるようにギュッと拳を握り締めた。
そんな折だ。
ふと、衝立越しに隣り合わせた客の会話が気になって、誰からともなくそちらの気配に耳を傾けた。どうやら三~四人の男たちが声をひそめ気味で何かの相談をしているようだ。彼らの会話の中に時折混じる『賭場』という言葉が気にかかって、しばし息をひそめるように聞き耳を立てていた。
「けど親分の物好きにも困ったもんだよなー? 別嬪なら花街あたりを探しゃ、いくらでも手に入るってーのによ?」
「そうさね。何が悲しくって俺たちゃ、野郎なんぞを手篭めにしなきゃなんねーってんだよなー?」
「馬鹿野郎! 手篭めにすんのは親分のお楽しみだろうがっ! 俺たちゃ、ただあの優男 をとっ捕まえて親分の所に連れて行くってだけの役目さね。てめえらも……間違ってもヘタな気ィ起こすんじゃねえぜ」
「へいへい、分かってますって! 今夜の賭場がハネたの見計らってあの野郎を押さえりゃいいんですよね。何、あんなナマっちろい男の一人や二人、すぐにカタがつきますって! 任しといてくださいよ」
調子のよさそうな猫撫で声で、下っ端らしい男が兄貴分の猪口に酒を注ぎ足すような気配が分かる。その杯をズズっと飲み干しながら言われたひと言に、遼玄らはギョッとしたように瞳を見開いた。
「しかしまあ、あの賭場の紫月とかいう優男だが……見てくれに反してどうにも頑固でいけねえ。親分の意向だってんで、こっちが下手に出てりゃいい気になりやがって! こうなりゃちっとばかし手荒になっても仕方ねえってな。出来る限り傷モンにしねえ程度に痛めつけても構わねえってお達しだ」
「は、そいつぁーまた無理な注文出しなさる!」
「ま、けど確かにあの男なら、ちったーソノ気にならねえでもねえってな? オトコの割には綺麗なツラしてやがる」
「だからって野郎を抱く気にゃならねーでしょうよ! 俺りゃー、しっぽりすんなら断然、美人の姐 さんに限るねぇ」
「仕方ねえだろ、なんせ親分は男色だ。ンなことよりてめえら、余分なこと抜かしてねえで早く食え! 食ったらさっさと行くぞ!」
延々と会話が重ねられるごとに、血の気が引くような心持ちにさせられていった。彼らは確かに『賭場の紫月』と言い放った。つまりは彼を標的に、何かよからぬことをしでかそうとしているのが一目瞭然だった。
しかも会話の内容から察するに、遼玄にとっては実に胸糞の悪い、絶対に許し難い企みであるのは明白だ。
四人は一先ずその男らの後をつけると、二手に分かれて賭場周辺の様子を見守ることにした。
一昨日に賭場の下見を行った白啓が遼玄を連れて客を装い賽振りに参加する、そして残りの剛准と帝雀は先程の男たちの動向を窺いつつ、店の外で待機することになった。
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