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◇ 月砕 ◇ 弐
「どうだい兄さん、俺の有り金全部を賭けよう。もう一度、目の前で賽を振ってくれねえか? 何せ俺はアンタが賽を転がしてるとこを見てねえんで、賭けようにも賭けられねえってわけなんだ」
『そんなもん、てめえが遅れて入ってきやがったのが原因じゃねえか! 何なら次まで待ちやがれ』というような顔付きで睨みをきかせる客たちの不満が方々でわき起こり、次第に場がザワつき始める。だが、その後に続けられた遼玄のもうひと言に、一同は驚きを通り越して唖然とさせられてしまった。
「なぁ、兄さん。ものは相談だが……もしも俺が勝ったなら、アンタ、俺んトコに来るつもりはねえか? 実は俺も賭場を開いているんでね。アンタ、随分と腕がよさそうだから、これからは俺の店でその才(賽)振るってもらいてえもんだなって、そういう希望」
チラリと上目使いに真正面の彼を見上げながらそう言った。
一瞬、誰もが何を言われているのか理解できないといった調子で、その場が静まり返る。だが少しの後、その静寂を引っくり返す凄まじい怒号が賭場全体に飛び交い合った。
「っざけてんじゃねえー! てめえ、何様のつもりだ、うぉらーッ! ナめてっとブッ殺すぞ……!」
これには客よりも代貸しの側が黙ってはいない。先程、猫撫で声を出しながら案内をして寄こした男をはじめ、他数人が一気に暖簾をくぐって奥の部屋から飛び出して来ては大騒ぎとなった。
もう賭け事どころではない。短刀はおろか腰元に携えた長刃まで引き抜いて、それを畳に突き立てての大騒動、そんな様子に遼玄はクスッと口元の笑みをほころばせると、ゆっくりと立ち上がりながら賭場全体を見渡して瞳を閉じた。
「何――、俺は別に勝負は賽振りでなくっても全然構わねえがな? そこに突き刺した刀で勝負しようってんなら、それでもいいぜ? その代わり、俺に敵わなかった時きゃ、このツボ振りの兄さんはもらってくぜ。何せ……俺の他にもこの兄さんを狙ってるっていう悪い輩がいるらしいからな? 大事なもんは先手打たなきゃ後悔先に立たずってことでな」
ジロリと場全体を見回しながら、とある男たちのところで視線をとめた。先程、街中の飯屋でよからぬ談義をしていた連中だ。
それから先は言うまでもなく大騒動と相成った。卓を引っくり返し、襖を突き破っての大乱闘、全員が遼玄を目掛けて様々な武具を手に襲い掛かった。
だが、怒号と悲鳴が飛び交い、切っ先が空に舞ったその後には、襲い掛かっていった者すべてが簡単に返り討ちに遭ったふうにして投げ出されるのに、皆は遼玄を囲んで少々遠巻きに円陣を組みながら憎々しげに顔を歪めるしかできないといった状態に追いやられてしまった。
「……ッの野郎ー、ナめたマネしやがって……!」
こうなれば数に頼るしかないというのは本能か、客も代貸しも一丸となって刃物を引き抜き、遼玄を目掛けて構えた。
そんな様子に、
「おい、てめえら……! いい加減にしやがれってんだ」
それまで成り行きを黙って見つめているだけだった賽振りの男が口を開いた。だがもうそんな声に聞く耳を持つ者など皆無なようだ。
「どりゃーーー!」
一斉に切り付けてきた一同を横目に、遼玄はクスリと面白そうに微笑むと、
「無駄だ。俺を相手に、何したって敵やしねえよ――」
ビシュッという鈍い音と共に血痕が飛び散り、凄まじい絶叫があたりを飛び交う。
しばらくして円陣の人だかりがバタバタと地面へ崩れ落ち、その中央に一人たたずむ血塗れの男の姿が明らかになった。
「なんせ俺、神様だから――っても、えれー昔の話だがな」
ニヤリと不敵に笑う口元に飛んだ返り血を拭いながらそう言った。
その様を見つめながら『あーあ』といった調子で呆れ気味に肩を落としているのは一部始終を目前にしていた白啓と、騒ぎにつられて駆け付けて来た帝雀、剛准の三人だった。周囲を見渡せば、遼玄の峰打ちにあった連中が重なり合って所狭しと転がっている。今、この場で意識があるのは彼らの他には賽振りをしていた男だけだった。つまり紫燕らしき男――というわけだ。
その男が驚き半分、いや、驚きを通り越して呆れ半分といった方が正しいか、心底驚かされたというふうな感じで遼玄らに言葉をかけた。
「……随分とまた派手にやってくれたもんだな……あんたら、旅の人だっけか? どういう了見か知らねえが、こんなことしてただで済むと……」
此処はこの辺りの元締めが仕切っている博打場だ、こんなことをすればそいつらが黙ってはいないだろうよという意味合いの込もったその言葉に、遼玄は今まで笑んでいた口元を真に戻すと、フイと瞳を翳らせた。
――そんなことはどうでもいいんだ。邪魔者はいらねえ、俺にはお前が『本当に紫燕であるか』を確かめたいだけ。それだけなんだ。
逸る気持ちのままに熱い面持ちで彼を見つめんと視線を上げた。だがそれより寸分早くに、紫燕と瓜二つの賽振りの男はそんな遼玄の腕をヒシと掴むと、
「とにかく……ここに居るのは不味い。あんたらも早く!」
傍にいた白啓らにもそううながすと、裏手の門の様子を見やり、俺について来いというようにして足早にその場を後にした。
案の定、表の方では騒ぎを聞いて駆け付けた野次馬連中らでごった返しているようだった。それらを避けて、とにかくはひと気の無い田園地帯を目指して走り、ようやくと一息つけそうな林の入り口まで辿り着いて、一同は歩をとめた。
「……ったく、あんたらのお陰でこっちまでお尋ねモンだぜ……」
ゼィゼィと息を切らしながら男は遼玄らを見上げてそう言った。迷惑そうなその言葉の割には何故か楽しげともいうべきか、わずかに口元がほころんで、薄い笑みまでが垣間見えるのは錯覚だろうか。帝雀や白啓、剛准らも彼のそんな様子を前に不思議そうに首を傾げてみせた。
だがまあ、こんな所で大の男が五人も揃って野宿をするわけにもいかないだろうし、ともかくは賭場の関係の人間が自分たちの所在を嗅ぎ付けない内に街を出た方が賢明なのは言うまでもないだろう。帝雀の提案で、一同は紫燕らしき男と連れ立って、この先の街で宿を探すことにした。
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