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◇ 残月 ◇ 壱
紫燕がいた街よりは幾分小規模なものの、割合賑やかな隣り街でとりあえずの宿を見つけたのは、夜半もとうに過ぎた頃だった。
天心に昇った月が早い雲間から神々しく見え隠れしている、そんな夜だ。
遼玄らは一先ず、賭場を荒らした理由を紫燕らしき男に説明すると、乱闘騒ぎを起こしてしまったことに対して詫びの言葉を口にした。昼間に偶然、飯屋で居合わせた連中がよからぬ談義をかもしていたのが気になって賭場へと足を運んでみたのだと、分かりやすく真摯な態度で説明するのは帝雀の役どころだ。それらを割合落ち着いた様子で受け止める賽振りの男はやはり紫燕なのだろうか、見れば見るほどそっくりな顔立ちに、思わず『お前、紫燕だろ』などと問いただしたくなる。
だがそんなことを言ったところで彼には一切の記憶がないのは知れていることなのだから、どうにもやるせなかった。しかも夜半をすっかり過ぎているこの時分だ。そろそろ休むべきが賢明だろう。
気をきかせた帝雀が二部屋を取ったので、とにかくは二手に分かれて休むことにした。後はお前が判断しろというようにして帝雀らが隣りの部屋へと引っ込んだ様子に、遼玄はくしゃりと瞳を細めた。
◇ ◇ ◇
紫燕らしき男と二人っきりになった部屋で、遼玄は言葉を探していた。
何を話したらいいのだろう――あんなに追い求めたはずの男が目の前にいるというのに、何故だろう、気のきいた台詞のひとつも浮かんでこない。それは男の方も同じようで、二人はしばし距離を取ったまま互いの様子を窺っていた。
遼玄は部屋の隅に置かれた茶卓の脇に腰掛けて行燈の仄暗い灯りに視線をやっているだけだ。対する男の方は窓枠に軽くもたれながら、障子越しに外を垣間見るような素振りを続けていた。
「なあ、あんたさ……喧嘩強えんだな」
最初に口を開いたのは男の方だった。遼玄は驚いたように瞳を見開くと、窓枠に寄り掛かる彼の方を見つめた。
「けど……どうしてくれんのー? 俺、仕事失くして食いっぱぐれちまうじゃねーのよ」
あんたのせいだぜ、というようにジットリとした流し目でこちらを見やり、そうされてしどろもどろになっている様子に可笑しそうに口元をほころばせる。
「嘘だよ、冗談。ま、もうあの賭場でサイコロ振るのは無理だろうけどさ、あんたらが来なくても遅かれ早かれこうなってた……」
窓から差し込む月の灯りを見上げながらそう言った。その声音が何となく諦めの感をたっぷり含んだ憂いのように感じられて、遼玄はふいと首を傾げてみせた。そんな様子を他所に、男はまだ格子の外を見上げながら、まるで独り言のようにツラツラと身の上話のようなことを口にし始めた。
「あんたらが言ってた『俺によからぬことを企んでる奴ら』っていうの? そいつらはあの賭場の元締めの子分共でね。ちょっと前から入り浸っちゃちょっかい出してきやがってよ、正直なとこ迷惑してたんだ。何でも俺のことを元締めが気に入ったからとか何とか抜かしやがって、賽振りやめてそいつの色者にならねえかってさ。呆れた話だろ? ま、そんなのは今に始まったこっちゃねえんだが……師匠が生きてる頃はまだよかったんだけどね……。ああ、俺ね。ガキん頃に親亡くしててさ、浮浪児みてえだったのをサイコロ振りの師匠に拾ってもらったんだよ」
それから男は自分が育った境遇を、やはりツラツラと独り言のようにして話してよこした。格子に頭をもたげながら時折はちらりと視線をこちらにやって、だがすぐまた窓の外を見やるといった仕草を繰り返しつつ、独白のような台詞を続ける。遼玄は内心、胸を逸らせながらも黙ってその話に耳を傾けていた。
こいつは本当に紫燕なのだろうか――
言葉じり、声音、仕草のひとつひとつに神経を研ぎ澄まし思案する。そして瓜二つな横顔をじっと見つめては半信半疑の思いに胸を高鳴らせる。それはともかくとして彼が紫燕であるにせよ、全くの別人にせよ、出会ったばかりの自分を相手にどうして身の上などを話して聞かせるのだろうということの方が気にかかった。複雑な思いを胸に、それでも彼の話の中から『紫燕であるということを匂わせる何か』を感じ取ろうと、神経を尖らせながら聞いていた。
だが彼の歩んできた道のりは、聞けば聞くほど遼玄にとっては辛辣な感情を突き付けてくるようなものだった。
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