12 / 31

◇ 残月 ◇ 弐

 親を亡くしてからは飢えをしのぐ為にそれこそ苦労の連続だったのは明らからしい。盗みに失敗してはとっ捕まって酷い目に遭うこと茶飯事、十五歳を過ぎたあたりからは男色嗜好の大人を相手に、身売りに近いようなことをしながらその日その日をかいくぐったという。  遼玄にとっては実に耳の痛い話に他ならず、だがもっと辛いことには、それを話す彼の様がまるで無表情で他人事を語るようでもあって、それは嫌な記憶を封じ込めてしまいたいが故の裏返しなのではないかと思えるのが気の毒でならなかった。  それ以前に沸々と湧き上がる嫉妬の感情に胸が焼け焦げるようで、どうしょうもない激情に駆られた。どこの誰とも知らない奴が紫燕かも知れないこの男にいかがわしいことをしたのだろうと想像するだけで、身体中の血が逆流しそうだ。  何だかもうこの男が紫燕であろうがなかろうが、そんなことはどうでもいいような気にさえさせられる。今、目の前にいるこの彼に二度と辛い思いはさせたくない。胸の奥が熱くなり、涙がにじみ出すような激情が身体中を引っ掻き回しては苛むようだ。眉間のしわを強くしながら押し黙ったままの遼玄を振り返ると、紫燕らしきその男は言った。 「だからさ、ホントのとこ言うとね……今夜あんたらが暴れてくれたお陰であいつらから逃げられたのは、俺にとっては有難かったわけ。ま、けど……そンかわり明日の保障は無えってとこだけどー」  今晩がしのげればそれでいい、今が平穏ならそれが淡くも幸せなのだと、彼の少し翳った笑顔がそう語っているようで、遼玄はますます胸の詰まる思いに居たたまれずに、思わずその名を叫んでしまった。 「紫燕――っ!」 ――――え? 「あ、いや……済まねえ……」  驚いたような表情で互いを見合い、しばし沈黙が二人を押し包んだ。  そして今度は遼玄の方が彼に代って思いのたけを話し出した。 「その……余計なことかも知れねえが……何で俺にそんなことを話す――?」 「……え?」 「俺ら、会ったばかりじゃねえか……。それ以前に……っ! 見ず知らずの俺たちについて来て、しかも宿を共にするなんてよ。もしも俺らがさっき言ってた『元締め』とかいう連中の回し者だったらどうすんだ? そうでなくても……もっと悪巧みしてるアブねえ輩かも知れねえのによ、あんた、ノコノコついて来ちまって……もっと自分の身を案じたらどうだよ!」  咄嗟に怒鳴り上げ、だがすぐにハッとしたように言葉を詰まらせると、 「悪い……無理矢理引っ張って来たのは俺たちだったな」  そう言って瞳を翳らせた。そんな様子に間髪入れずといった感じで、 「違うだろ? あんたらを引き連れて走ったのは俺の方――だろ? 実際、逃げる気ンなりゃ、あの騒ぎに乗じてとっくにそうしてたさ」  フイと笑いながら彼も一緒に瞳を翳らせた。  雲が早い―― 「なあ、あんたさ。惚れたオンナとか……いる?」  格子の外を眺めながらボソリとそんなことを言う男の様子に、ハッとしたように遼玄は彼を見やった。  蒼い闇の中に浮かぶ彼の頬を真っ白い月光の灯りが照らし出し、また翳る。空を見ずともそこに雲の流れを感じた。  そして彼が続けたひと言に、時が止まるほどの衝撃を受けさせられた。 「俺、二十二(歳)にもなるのによ、オンナを知らねえの」 「――!?」 「なんつーか、おっさん連中に色者扱いされてきたからさ……そっちの方ばっか経験する内にオンナとできなくなっちまったってーか……自分が汚く思えてよ、好きでもねえ野郎にいかがわしいことされたり……なんかもう嫌ンなっちまうのな。さっきの話の元締めってヤツだってそーゆー目的で俺を欲しがってたわけだし。今日あたり強行で連れてかれんだろうなって踏んでたから、覚悟はできてたんだけど」  だからさ―― 「どーせならあんたみてえなイイ男についてった方がいいって……例えばあんたらがロクなこと企んでない悪いヤツだったとしても、それならそれでいいかなって思ったのよ。どーせロクなことになんねーなら、あんたらに騙される方がいい。っていうか……正直なとこ言っちまうとさ、一度くらいは……あんたみてえなのと……」  いや、何でもない――  まるで自嘲するようにクッと笑うと、男はそこで言葉をとめた。  月光を背にこちらを向いた男の顔は、仄暗い逆光で表情は窺えなかった。だが、酷く切なそうにその瞳が震えているように感じられて、気づけば遼玄は堪らずにガタリと卓上を揺らして片膝を立てていた。  彼のもとへ駆け寄ろうとでもいうのか、瞬時にちゅうちょする気持ちと逸る気持ちが交叉する。  ドクドクと体内を巡る血の流れが速くなるのを感じる。 ――なあ、どうして賭場を荒らしてまで俺を連れ出したりしたんだ?  元締めの手下から逃がしてやろうって、それだけの理由であんな無茶をやらかしたのか?  あんたの本心はなんだ? 単に親切心なのか、それとも――  こちらを見つめる男の瞳がそう言っているように感じられて、遼玄は言葉を詰まらせた。

ともだちにシェアしよう!