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◇ 乾坤 ◇ 弐

 ほどなくして、黄龍の慈悲によって神界を去ることを承諾された帝雀らは、地上界に於いて、人間として一度きりの生涯を、仲間と共にすることを許された。  魔界でも構わないからと言った彼らにとっては、この上ない恩赦に満ちた沙汰でもあったが、ただひとつ黄龍が付け加えたのは、これまでの一切の記憶を消し去ってしまうということだった。  五人をそれぞれ同じ時代の同じ場所へと転生させる代わりに、仲間であったという記憶は残らない。つまりは転生したものの、そこで互いを見つけられなければそれまでだということだ。  例え運よく出会えたにせよ、新しい世界での絆を一から作り上げていくも、単なる薄い縁で終わらせるも彼ら次第ということになる。短い生涯の中でそれができるのならばやってみるがいいという、それが黄龍が彼らに与えた最後のペナルティ、罰であった。  帝雀らはその沙汰に深く感謝の意を告げると、必ずや互いを見つけ、悔いのない生涯を添い遂げてみせますと誓って、神界を後にしたのだった。  そして各々の子弟が去って行った後の神界では、赤龍ら四人の神々が、信じ難い沙汰を下した黄龍を取り巻いては、重い溜息を漏らしていた。 「何故あのようなお赦しを下されたのですか? もともと身勝手極まりない彼らの申し出に耳を傾けてやるだけでも慈悲だというのに、それを受け入れ、ましてや地上界に転生させるなど……とても理解できません」  赤龍が恨み口調でそんな愚痴を吐く。他の三人の神々――蒼龍、白龍、黒龍もほぼ同意見だといわんばかりに溜息は絶えなかった。 「まあそう言うな。とどのつまり、彼らは所詮人の子――というところなのだろうな」  神界から地上界を見下ろす天の鏡面に杖を立て、下界の様子を四人の神々に見せながら黄龍はそう言った。 「そなたらも存じておろうが、彼らの親は天上人でありながら地上人と恋に落ちた罪人だった。それ故、彼らの中には地上人の血が半分流れておるのだ」 「それは……確かに存じておりますが」 「その血が呼ぶのだろうな。意識せずとも地上が懐かしくて仕方ないのかも知れぬ」  そうだった。今をさかのぼること数百年、それはまだ帝雀ら五人がこの世に生を受けていなかった時代のこと。  かつて地上世界が戦乱で荒れ果て、手のつけようのない地獄と化していたのは、もう遥か昔のことだ。その動乱を鎮めんと、天上界から選りすぐった鎮圧組織を派遣したのも、ちょうどその当時のことだった。  もともと、神々の間で契りが禁じられているように、その頃の異空間に於いては、親しい交友さえも許されてはいなかった。ましてや男女という異性間の交わりなどは忌み嫌われ、災いを呼ぶ元凶と言われた程である。  異空間とはつまり、【天上界】と【地上界】などといった異世界間のことを指す。  姿かたちは同じ人間であっても、【天上人】と【地上人】では、その生涯の長さからしても全くの別物とされていた為、体力知力感情などのあらゆる面において、多々異なる別の生き物と定義付けられてもいた。それ故、異種の間柄で夫婦となり、ましてや子孫を残すことなどは以ての外、とされていたのである。  だが、鎮圧組織に選ばれた天上人が地上に赴いた際に、それらの掟を破って異空間で愛し合う者たちが出てきてしまうという事態に陥った。  姿かたちはさして違わない人間同士では、それも致し方なかったのだろうが、とにかくその事態に気付いた天上界では、一時天地を引っくり返したような大問題となったのである。  これ以上の事の進行を重く見た天上人たちは、急ぎ鎮圧組織の撤収を試みたものの、時はとうに遅かった。既に幾人かが契りを交わしてしまった後で、しかもあろうことか子孫の存在までが確認されるという非常事態に、あわや惨事の大騒動だ。生まれてしまった子供を抹殺するわけにもいかずに人々は困り果てた。  議論に議論を重ね、結局は地上人の女性が産んだ子供をすべて天上界へと引き取って、完全な監視下に置くことで事態の収拾を図ることと相成った。その時の子供たちというのが、まさに帝雀ら五人だったというわけだ。  彼らは天上人の父を持ち、地上人の母から生まれた、いわば望まれない子供として珍視された。だがその一方で、かつての例が無いこの事態に、ある観点では非常に興味深いものの対象でもあったことは否めない事実で、故に研究者や学者の下で厳しい管理を強いられて育てられたというわけだった。  当然の如く、父親は異種の女性と契りを交わし子孫まで残した大罪人として処刑を余儀なくされ、母の顔など知らぬまま、幼い彼らにとって頼るものは互いを思い合う絆だけだったというのは、うなづけない話ではない。  奇妙で過酷な環境下において、誰よりも強く、誰よりもたおやかで、そして誰よりも情に厚く思いやりを持ち、また誰よりも深い悲しみや苦しみを知って育った。寂しさも、仲間の温もりの大切さも、幼い頃から身を持って体得してきたのだ。 「そんな彼らだからこそ、四凶討伐を好機に召喚を決めたのだ。神としての称号も、不老不死の永遠も、何もかも、彼らが望んだことじゃない。すべて我々が強制的に与えたことだったろう?」  黄龍はそう言うと、そんな彼らが初めて望んだ”ただ一度の生涯”を、どうして取り上げることなどできようと、そう付け加えた。しわがれた声で、見事な程の白髪の眉に隠された瞳を、切なげに細めながらそう言った。  その言葉に、もう他の神々たちも異論を口にすることのなく、誰もが自らの弟子を思いながら感慨深げに下界を見下ろしていた。中でも赤龍の美しい瞳からこぼれ落ちた涙が一筋頬を伝う様子は、他の神々の心をより一層切なくさせるようでもあって、しばしは誰もが下界を見下ろす天の鏡面から離れようとはしなかった。 「見せてもらうぞ、帝雀よ。そなたらの生きざまを――! どのように巡り会い、どのように慈しみ合い、どのように傷つけ合い、そしてどのように愛し合うのかを。すべてこの神界から見ていてやろう。私はいつでもそなたらを案じてやまない。だから存分に、思うがままに生き抜くがいい」  一心に弟子を思う赤龍のそんな思いが通じたのだろうか、下界では桜花舞い散る春の暖かい日差しが、そこに生きとし生けるすべての者に、同じように降り注いでやまなかった。

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