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第10話 山田オッサン編【9】

 本田修一郎の朝は大抵、上司……いや先輩の山田を探すことから始まる。 「おはようございます、山田さん見ませんでした? 山田さーん!」  またやってるぜ、と笑う周囲も何のその。だって早く見つけないと朝イチのアポに間に合わない。  ──というような日もあれば、出勤した途端に自席で机に両足を載せて高鼾の山田を発見することもある。  そんなときは決まって、前の晩にこの近辺で呑んだくれて帰宅せず風呂も入らず、会社に戻ってきて泊まった翌朝らしい。  大学卒業後、畑違いの業界で営業職に就いた本田だったが、職場環境が肌に合わず、いっそ業界もシフトチェンジすることにしてこの会社に転職した。  最大手とまではいかないが、一応大手の部類に入る企業で、中途採用も厳しい競争率。  本田もチャレンジはしてみたものの、前職の経験も浅く、これといった功績やスキルがあるわけでもなく、完全にダメもとの応募だった──が。  面接の日。  目の前に並んだ面接官の端っこに、明らかに異質な人物がひとり座っていた。  顔面いっぱいに「なんで俺がここにいんの?」と書いてあるかのような彼は、ほかの面接官が質問をしている間、ボケッと窓の外を眺めたりボールペンで落書きをしてるっぽかったり、やがて欠伸をしながらふと手元の書類に目を遣ったかと思うと初めて本田の顔をチラ見して、 「あ、コイツ俺が面倒みます。三文字も被ってっから」  とやる気のない顔で謎の呪文を吐いた。  すると不思議なことが起こった。  ちょうど本田に向かって話しかけていた一番偉そうなオッサンの面接官が、質問を中断してファイルをパタリと閉じ、言ったのだ。 「いつから来られます?」  本田は呆気にとられてオッサンと端っこの男を見比べたが、彼の顔面にはもはや「もう帰っていい?」と書き殴ってあった。  それが山田一太郎だ。  だから本田は山田を、経営陣のひとりなんだろうと思っていた。それにしては若すぎる気もしたけど、じつはきっとあの面接官のなかで一番のお偉いさんだったに違いないと。  しかし入社初日に、そうではないこと、それどころか彼は何の肩書きも持たないことを知った。  しかも課長に本田を任された山田は、えーマジで俺が面倒見るんすかーと本気で驚いた顔をしたからビックリだ。 「自分で面倒みるって採ったんだよね? 山田くん」 「俺が採用したみたいな言い方おかしくないすか? 決定権持ってるわけでもねぇのに。それより昼前でハラ減ってんのになんでか知らねぇけど新人オーディションの審査に参加させられて、早く終わらせてぇって思うなってほうが無理っすよね?」  山田の発言は一から十まで、本田にとって衝撃だった。あらゆる意味で。  そして結局渋々引き受けた山田の自己紹介を聞いて彼のフルネームを知り、面接時の呪文の意味が判明して、だからといって自分が即採用されたカラクリは依然明らかにならずとも「田」「一」「郎」の三文字のおかげで僥倖が訪れたことは推測できた。  だからといって、これまであまり好きになれずにいた某自動車メーカーの創業者に似た名前にようやく感謝できるかと言えばそうでもない。何しろ、何故か面接に参加させられた決定権を持ってるわけでもないヒラ社員が空腹だったせいで、たまたま選ばれただけなんだから。  そう、山田は経営陣のひとりどころか果てしなくフラットな平社員だった。  彼がいつもつるんでる同期たち、さらには後輩までもが、すでに係長クラスだというのに。  しかしそれでいて、入社から今に至るまで知り合う先輩連中の誰もが口を揃えて言うのだ。 「山田さんに付いてんだって? お前ラッキーだなぁ、出世すんぜ」  どうやら新人時代に山田が面倒をみた社員は、悉くスピード昇進を果たしているらしい。  なのに山田本人はいつまでもヒラ。  なのに上層部への影響力を持ってる……ようにしか見えない。  謎すぎる先輩、山田一太郎。 「あっ、山田さーん!」  エレベータから吐き出されてきた一群のなかに目指す顔を見つけ、本田は両手を振り回した。 「おはようございます、探しましたよー!」 「朝っぱらからうるせぇなぁ、まだ出勤のタイムリミットきてねぇだろーが。大人しく待てねぇのかよオマエは」  寝グセだらけの山田が大欠伸を隠しもせずに言う。ネクタイが曲がってる。ケガでもしたのか左の首筋に絆創膏がペタリと貼りついていて、仲の良い同期のひとりと一緒だった。  隣の課の佐藤係長だ。こちらは山田と違いパリッとしてる。  対照的なふたりは、なんと去年まで同居していたらしい。 「今日は早く出ないと間に合わないんですよう山田さん! あ、おはようございます佐藤さん」 「よォ」 「ンなモン待たしときゃいいじゃねーか、生き急ぐとロクなことねぇぜ?」  ちっともやる気のない山田の顔がふと本田を見て、突然グッと近づいた。 「なぁお前、ピアスつけてこねぇの?」  息がかかるくらいの距離。山田の目と本田の耳たぶが、ちょうど同じ高さにあった。  本田は右にひとつ、左にふたつのピアスホールを開けている。 「え? あ、いえ、仕事のときは……」 「なんだよ、いいじゃねぇか。ついてたほうが面白れーじゃん。どんなやつすんの? 俺も穴開けよっかなぁ」  不意に山田の額のあたりを覆った手のひらがグイッと引き戻した。  寝グセの向こうに、佐藤係長の無表情が見えた。 「穴ならもう開いてんだろうが」

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