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第16話 山田オッサン編【14-2】#
「母チャンが病気してよー、高校入った途端に。そんでしばらく働けなくなって、俺がバイトしたぐれェじゃやってけねーし」
プシュッとボトルを開けて、ひとくち呷る。
「そしたら知らねぇオッサンがやってきて俺の父親だとか言いやがんの。それまでオヤジの話なんか聞いたこともねーのにさぁ、これからは自分が俺たちの面倒みるとか言うワケ。あ、その頃はまだ今ほどお偉いご身分じゃなかったぜ? あのオッサン」
なぁ、と妹に向けられた、いつもと同じ表情を見て友人たちは思った。
母子家庭で育ったことすら知らない。山田はいつも、実家の話になるとのらりくらりと話題を避けていた。
佐藤が訊いた。
「その後、母チャンの病気は治ったのかよ?」
「おかげさまでな。誰のおかげさまだかわかんねぇけど、メーワクなぐらいピンピンしてやがるぜ」
佐藤弟が山田妹にのんきなツラを向けた。
「イチさんとこの面倒みるの、そっちの母チャンにバレて修羅場になったりしなかったの?」
「私たちの母は、その前の年に病死してたんです」
「あ、そうなんだ。じゃあ1号と2号を連チャンで失いそうになって慌てたんだね、おとーちゃん」
配慮のカケラもない言いようを、しかし山田妹は気にするふうもない。
「でしょうね」
「なんでイチさんの母チャンと再婚しねぇの?」
「それは……」
「あ、わかったアレだろ! もーひとりの兄貴ってのが」
「あぁっ!!」
弟が言い終わらないうちに突然山田兄が悶絶して、ほかの全員が同時にビクッとした。
「お兄ちゃん!?」
「何だ、どうした?」
「まさかコーラに毒が!」
「秘書官室の陰謀?」
「ニコチン……ニコチンがぁっ……!!」
「吸ってこい」
山田がベランダに祓われると、ダイニングには速やかに平和が戻った。
「すみません、お兄ちゃんと上の兄はあまり仲が良くなくて。お察しのとおり再婚は兄が猛反対したんです」
「なるほど」
「私は賛成だったのに。お兄ちゃんのお母様って、お兄ちゃんとよく似てて……なんというか、すごく楽しいひとですから」
「──」
友人たちは目を見交わした。山田みてぇな母チャンだぁ?
「兄のことは私も大キライです。バカみたいにエリート意識が強くて、すごく嫌なヤツ」
「そりゃあ山田と合わねぇだろうな」
「私は初めて会ったとき、すぐにお兄ちゃんを好きになったけど、兄はもう全然……」
言いかけて何かを思い出すように視線を彷徨わせ、妹はそのまま数秒固まった。白くなるほどスカートの膝を握りしめる指先が小さく震えている。
それをちょっと眺めた佐藤兄が、ベランダの後ろ姿にチラリと目を投げて戻した。
「あのさ、腹違いって聞くまでは熊埜御堂ってダンナさんの姓なのかと思ってたけど、旧姓なんだな」
「え?」
虚を衝かれた顔で妹が顔を上げ、膝の指から力が抜ける。
「あ、そうなんです。次郎の父親とは籍を入れてなかったので、姓が変わったことはないんです私」
「過去形?」
「あれ? 兄から聞いてませんでした? 離婚っていうか共同生活解消っていうか、このたびそういうことになって……って」
野郎共は一斉に首を振った。
「私、もともとあまり家族が好きじゃなかったんですけど、お兄ちゃんと出会ってからますます家が嫌になって、19歳のときに付き合いを反対されてたカレと駆け落ち同然で家を飛び出したんです」
「やるな」
「でも戸籍を動かすと見つかって連れ戻されるんじゃないかって恐れて、籍は入れないまま事実婚状態でずっとやってきたんですけど」
山田妹は息を吐き、小さく笑った。
「なのに、やっと子供ができた途端にうまくいかなくなっちゃって。長年、入籍もせず子供もいなかったから、何かバランスが崩れちゃったんでしょうね」
「ふーん、そんなモンなのかな」
「心配すんな田中、お前んとこはまだ崩れるようなバランスが出来上がってねぇよ」
「心配してねぇし」
「ま、田中っちンとこはホヤホヤのアツアツだもんなぁ」
「そんなんじゃねぇ、なるようにしかならないって思ってるだけだ」
山田妹が田中を見た。
「お子さん産まれるんですか?」
「もうすぐね」
「いやだ、おめでとうございます。あの、水を差すような話をしてすみません」
「大丈夫、全然気にならないから」
「とにかく──私の場合は、残念な結末になっちゃったんですけども」
妹が、なんだかモヤモヤと逸れた軌道を強引に修正した。
「終わったことをどうこう言っても仕方ないし、引っ越しもして再出発しなきゃならないし。それでお兄ちゃんに相談したら、ちょうどアパートの下の部屋が空いたから来れば? って言われて」
「え?」
「は?」
「まさかイチさんちの下に住むの?」
「はい。ホントは私たち、あんまり近くにいないほうがいいのかもしれないんですけど。子供もいるし、なるべく近くにいたほうが何かと安心だろうってお兄ちゃんが」
佐藤兄弟と田中が目を交わした。1階の入居は決まってるようだけど住人については知らない、と聞いた気がする。
引っ越し準備の手伝いで妹の住む府中に行ってたとは聞いていたが、引っ越し先が自分ちの下だなんて事実、山田は匂わせもしなかった。
「ホントに、いつもいつも私の味方をしてくれて、力になってくれるんです。後先考えずに家を飛び出したときも、すぐにはカレと暮らせる態勢が整ってなくてお兄ちゃんに泣きついたら、2部屋のアパートに引っ越してしばらく私を置いてくれたんです」
「ちょっと待った」
佐藤が言った。
「それ、目白のボロアパート?」
「えぇ、たしかにボロかったですね」
「山田と住んだのは半年くらい?」
「それくらいだったと思います」
20代の山田の声が耳に蘇る。
1人で2部屋借りねぇよ──
半年かな──
10年も前に交わした、他愛もない会話。
オンナはオンナでも、妹じゃねぇか。佐藤は内心ツッコんだ。
「アパートを出てからも何かにつけ、お小遣いだなんだって支援してくれて……ホント私、お兄ちゃんには頭が上がらないんです」
友人たちはようやく悟った。いつも謎の金欠だった理由はそれか。
どんどんカードが出てくる手品みたいな、山田の隠しごと。
秘密のなかに秘密がある。まるでマトリョーシカみたいに、開けても開けても次々に出てくる。
どこまで開ければ、一番内側の人形に辿り着くんだろうか?
次郎と一緒にブロックを組み立てていた鈴木が、ふと何かに気づいたように顔を上げた。
「話違いますけど、順番でいうと山田さんは次男ですよね? なんであんな長男的な名前がついてるんスかね?」
「私、知ってます」
山田妹がサッと手を挙げた。
「お兄ちゃんのお母様から聞きました。父が、やっぱりそういう男性的思考で次男っぽい名前を付けようとしたから」
男性的思考、と鈴木が口の中で呟く。
「ふざけんな、この子はアタシの長男なんだから半端なく長男的な名前にしてやるからな! と捨て台詞を吐いて、まだ入院中の身なのに病院を飛び出して出生届を出してきたんだそうです」
「──」
彼らは思った。
なるほどその母チャンは、間違いなく山田みてぇな母チャンだ。
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