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第26話 山田オッサン編【22-1】

 11回目でコールが途切れて、間延びした声が聞こえた。 「ふぁい」 「お前、寝てたな」 「なんだ佐藤か」 「なんだって何だ、誰だと思ったんだよ?」 「はぁ? 何? 誰とも思ってなかったし、お前とも思ってなかったし、別に電話なんか出てやんなくてもよかったんだぜ、寝てたんだから俺は、スヤスヤと安らかに」 「安らかに永遠の眠りに就いてたのかよ? お前な、電話に出る前に発信元ぐらい見ろ。てか何エラそーにこいてんだ、会社バックレたんだろうが」 「人聞きの悪ィこと言うな、正式に早退したんだからな」 「なんつって早退したのか言ってみろ」 「担当外の打ち合わせにムリヤリ付き合わされて機嫌が悪くなったから直帰するって電話したぜ、ちゃんと。ウチの係長に」 「お前んとこの係長は鈴木じゃねぇか」 「鈴木に言っちゃ悪ィのかよ?」  別に悪くはない。イラついてる己を自覚して佐藤は舌打ちした。  佐藤テメェ、ンなイチャモンつけるために電話してきたのか? 相変わらず間延びした山田の声が神経を波立たせるから、余計なことを口走らないうちに短く言った。 「いまから行っていいか」 「はぁ? どこにいんの、お前」 「近く」 「サボってんの?」 「お前に言われたくねぇ、外回りの途中だ」 「俺に会いたくてわざわざ来たって言えば?」  いっそ言ってやろうかと思った。言ったらどんな反応を寄越すだろうかコイツは。  しかしその前に、 「勝手に鍵開けて入れよ、起き上がんのメンドクセェから」  山田が言ってさっさと切りやがった。  また脳ミソの端がイラッとしたが、やり過ごしてスマホをポケットに入れ、歩き出す。  アパートに着いたとき、山田の妹親子と出くわした。  あら、と目を丸くした彼女に、山田が早退したため様子を見に立ち寄ったと説明したが、長男に会ったのが原因らしいことは伏せた。 「お兄ちゃんも風邪かしら。こないだちょっとそれっぽいときがあったんですよねぇ。あのほら、土日に佐藤さんちにお泊まりしてきたとき?」  ギクリとした。山田を連れて行って帰さず、月曜の朝まで閉じ込めてさんざん抱いた週末だ。  まさか目の前の男が兄貴をそんな目に遭わせたなんて彼女は思いも寄らないだろう。  だって仕方ねぇ。あのときは──内心で呟きかけた言い訳を、らしくねぇと己で遮る。  果たして妹は、山田とちっとも似つかない面差しに美しい笑みを浮かべてこう言った。 「さんざん楽しむのもいいけど、月曜の出勤前ギリギリまでやっちゃうなんて、がんばりすぎですよ。もう2人とも若くないんだから」 「え……」 「映画観てたんでしょう?」 「──」  マジでビビッた。  無表情の下で冷や汗をかく佐藤をよそに、彼女はスカートの裾を引っぱる次郎を抱き上げ、ゴメンゴメンと笑った。黙ってると仮面のようだが、笑うと綺麗だと素直に思わせる女だ。 「次郎も微熱があるって保育園から連絡あって、仕事早退して迎えに行ったんですよ」  同じタイミングで早退するなんて兄妹ですよねぇ私たち、とよくわからないシンクロニシティを論じる山田妹と別れ、佐藤は階段を上がった。  言われたとおり勝手に入り、ロックして靴を脱いだ。廊下の奥のドアを開けると、山田がベッドでゴロゴロしながら煙草を吸っていた。 「灰落ちんぞ」 「大丈夫」  言うと同時に灰が落ちた。  あぁクソ……と顔を顰める山田のツラは、これ以上はないほどめんどくさげだった。ノロノロと起き上がり、ひどく緩慢な動作で灰皿を引き寄せて灰を入れる。  その一連の動きを、佐藤はポケットに両手を突っ込んで立ったまま見守った。 「大丈夫か、お前」 「はぁ? べつに大丈夫だけど? いや大丈夫じゃねぇけど、クソ」  後半は灰のことを言ったようだ。しまいには床に払おうとするから、仕方なく部屋の隅のゴミ箱を持ってきてやった。 「洗濯しねぇとなぁ。んで佐藤お前、何しに来たんだよ?」 「べつに」 「用もねぇのに来るぐらいヒマなのか」  山田は言って、消えた煙草に火を点け直した。俯けた目は眠たげで、見慣れない疲れ方をしてるように感じる。 「ナニ見てんの?」 「お前」 「はぁ?」  口を開けてこちらを見た山田の目はしかし、佐藤とぶつかった途端に不自然な挙動で素早く逸れていった。 「お前さては、オレがイケメンすぎて目が離せねぇんだな?」 「兄貴と会ったんだろ」  前置きは省略してシンプルに訊くと、山田はどこかを見たままゆっくりを煙を吸い、吐いた。 「誰に聞いたんだ?」 「本田」 「本田ぁ?」 「アイツは、お前が長ぇ名前のエラそーなヤツとランチミーティングに消えたって言っただけだけどな」 「あっそう」 「兄貴とメシ食ったのか?」 「食ったつーか、食わねぇっつーか」 「どういうことだよ?」 「食いモンは出てきたけど食ってねぇ。てか、あのさぁ、兄貴兄貴言うのやめてくんねぇ? お前んトコと違って仲良しじゃねぇし、そもそも半分だし。しかもクソみてぇなオッサンのタネだぜ」  それを言ったら下に住んでる妹もそうだと思ったが、口には出さなかった。 「ウチだって仲良くねぇよ、知ってんだろ」 「またまた、仲いいじゃん。しかも似てるし。お前ら年々ソックリになってくぜ?」  だからアイツとホテルに行ったのかよ? そう言ってやりたかったが、いま持ち出すほど重要なことじゃない。弟と何もなかった事実は知ってる。 「で、何の用だったんだ?」 「べつに大した用じゃねぇ。紫櫻が子連れで引っ越してきたのを知ったみてぇで。もう子供じゃないから無理矢理連れ戻したりはしねぇけど、ジジイが孫を見てぇって言ってるとか何とか。アイツんとこは子供がいねーから初孫なんだよ」 「アイツって経産省か?」  兄貴がNGなら代名詞で呼ぶしかない。 「そう。だいぶ前に職場のお偉いさんの娘と結婚してっけど、なかなかデキなくて不妊治療中。あ、これはうちの母チャン情報な」 「経産省はいくつなんだよ?」 「2コ上」  つまり、そろそろアラフォーで焦りだす頃か。 「妹の引っ越しも母チャンから向こうに漏れたんじゃねぇのか?」  山田がヤル気のないツラで天井を見上げ、プカプカと煙を吐き出した。

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