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第30話 山田オッサン編【23-2】
と、こんな具合にダラダラ続いた宴もたけなわ。
誰かが便所に立つたびに配置がチェンジし、現在は片側に奥から本田、山田、佐藤。対面が同じく奥から鈴木、田中、佐藤弟。
もはや何杯目だか定かじゃないジョッキを片手に、山田が隣の本田を見ながら言った。
「なんかウマそーだよなぁ、ソレ」
「何がですか?」
本田が答えるや否や、赤いガラス玉のピアスに山田がしゃぶりついた。
「わぁ!」
耳たぶごとかぶりつかれた本田が文字どおり飛び上がる。
「ちょ、山田さ、僕耳弱くてっ!」
「甘くねぇ」
山田が低く呻いてガラス玉をひと舐め。その、小市民サラリーマン御用達居酒屋には似つかわしくない、やたら官能的な舌運び。
「当たり前ェだろ、何やってんだお前は」
険しい表情の佐藤兄が山田の襟首を掴み、本田から引き剥がした。
「何だよ佐藤」
文句を垂れる山田の目は完全に据わっている。
「これ以上コイツに飲ませんな!」
「隣にいるお前が管理しろよ佐藤」
「やべぇ、イチさんの舐めかたエロすぎんだけど」
「仕込みがいいんスよね? 佐藤さん」
「何の仕込みだよ鈴木」
「佐藤、便所」
本田から剥がされた勢いで佐藤に凭れていた山田が、そのままの姿勢でボソリと言った。
通路側の佐藤は溜息を吐いて席を立った。
が、山田は動かず、完全に酔っ払いのツラで片手をぶらんと差し出して喚いた。
「連れてけよ!」
「はぁ?」
「便所に連れてけ佐藤っ」
「なんでだよ、1人で行け」
鈴木がヤレヤレという顔で進言する。
「連れてって一発やったら大人しくなりますよ、佐藤さん」
「鈴木お前はな、そーやって」
「あ、じゃあオレがイチさん連れてく」
「じゃあじゃねぇよ」
「だって1人で行かせてイチさんが知らねぇオッサンに一発やられたらどーすんだよ? 危ねぇんだぜ? 飲食店のトイレは」
「子供じゃねぇんだからよ、やりてぇオッサンがオッサンを襲うか?」
「襲うぜ?」
呟いた山田を全員が見た。
しばし沈黙。
数秒後、目を眇めた佐藤が乱暴に山田の腕を掴んだ。
「イテェな、何だよ」
「連れてってほしいんだろうが便所?」
「まぁそうだけどー」
2人が通路の向こうに消えるのを見送っていた本田が、感心したように言った。
「佐藤さんって、山田さんのお母さんみたいですよね」
「違うと思うな」
田中が即答した。
「山田さんて酔っ払うといつもあんなに可愛くなるんですか?」
「イチさんはいつだって可愛いけどさぁ、でも修ちゃんはちょっと年の差ありすぎんじゃねぇかなぁ」
佐藤弟が、同い年のクセに知ったふうなツラで溜息を吐いた。
「トイレで襲われたって、冗談ですよね?」
「本田くんも気をつけてね?」
鈴木が噛んで含めるように小首を傾げた。
ちなみに消えた2人の便所に於ける振る舞いについては、ここでは語るまい。
佐藤と山田が便所から戻ると、本田の横に田中が移動していた。
その隣に山田がドスンと座り、田中の前の灰皿から紫煙を昇らせている煙草を奪って咥えた。
「おかえり」
「おう」
田中の声に応える山田の目は、席を立ったときよりも更にトロリと重たげだ。
「山田」
佐藤が立ったまま呼んだ。
「お前は向こう」
「えーなんで? 立つのめんどくせーよ」
「コイツの隣に座りたくねぇんだよ」
向かいの列には、奥から鈴木、佐藤弟と並んでいる。
「そーだよイチさん、こっち来なよ!」
「何だよもう、お前ら仲良しなんだからいいじゃねぇかよー、くっついて座れよー」
咥え煙草のままモゴモゴ文句を垂れながら、山田が弟の隣にチンタラ移動する。
「仲良しじゃねぇってこないだ言っただろうが?」
佐藤の低い声をどう捉えたのか、山田はチラリと目を寄越しただけで何も言わなかった。
おかえりぃ遅かったじゃん、と弟が山田を迎える。
「うんこ?」
「うんこ」
そのやり取りを対面から眺めながら、田中が小さく呟いた。
「独占欲ダダ漏れすぎじゃねぇか?」
「何がだ?」
佐藤は短く応じて目の前にあったパッケージから1本抜いた。田中のものか山田のものかは、もはやわからない。
「前はそんなじゃなかっただろ。離れたら焦りだしたのかよ? それとも知らなかったものを覗いて何かが変わったのか?」
「何の話だかわかんねぇな。それより、お前は今夜中に現世への未練を断ったほうがいいんじゃねぇのか」
佐藤の指が煙草の箱をトンと弾く。
「思い出の小箱を胸に旅立てよ」
田中の返事はない。
奥では向かい合うスズキとホンダの話が意外に弾んでいて、山田は弟のくだらないネタに眠たげな相槌を打っている。吸いさしを奪った煙草は灰皿の中で燃え尽きていた。
「そういやお前最近、IQOS持ち歩いてねぇな佐藤」
「あ? あぁ、メンドクセェから女と会うときだけにしようと思って」
「結局アナログが一番だよな。てかお前、女と会ったりしてんの?」
「そりゃ、たまには会うぜ?」
「彼女とかじゃねぇんだろ?」
「まぁそうだけど」
「お前は昔っから特定の相手を作んねぇよな、滅多に」
「縛られんのが嫌で、結局後悔して懲りるからな」
「縛られんのは嫌だけど縛りてぇの?」
「縛らねぇよ」
「女のことじゃねーよ」
「じゃあ何の話だよ」
火の点いていない煙草を指先で弄びながら佐藤は言い、訊いた。
「それよりお前、子供の名前マジで一郎なわけ?」
一拍置いて、悪ィか? と田中が答える。
「いいだろ、それくらい」
「何がそれくらいなんだ、子供の名前を呼ぶたびに思い出すことか?」
「何を思い出すんだよ? 田中っち」
不意に割り込んできた弟の声。
2人が同時に見ると、目を見開いた佐藤弟がハッとしたように、まさか……と呟いた。
「修ちゃんの一郎!?」
「えっ僕そういうの困ります田中さん」
田中の向こうで本田修一郎が身を硬くした。
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