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第33話 山田オッサン編【24-2】#

 佐藤は聞こえなかったフリをして鈴木と次郎に目を遣った。  チャリンコは休憩中らしく、いまはボールで遊んでいる。それにしても、鈴木のあの子煩悩っぷりは何なんだろう。 「その禁止令ってのは、いつ敷かれたんだ。あんた、だいぶ昔に家飛び出してんだろ?」 「お兄ちゃんが大学を卒業する前くらいです。私はまだ実家にいました。忘れもしない、高校1年のときで……自分と同い年からあんな目に遭ってたと思ったら余計に」  妹は唐突に口を閉ざした。 「あんな目?」 「喋りすぎました」 「そこまで言ってやめんのか」 「すみません」  あまりの不完全燃焼に危うく怒鳴り散らすところだったが、いずれにしても山田妹は何があってもこれ以上は言わないという頑ななツラだ。  どいつもこいつもこの調子だ。先日の田中も、何かを仄めかして結局黙秘した。 「とにかく、あの禁止令が撤回されるなんてあり得ません。お兄ちゃんがヤツを許さない限り」  彼女の「アイツ」は「ヤツ」になり、許すはずないとまで断言した。  あの、世の中の全てがどうでも良さげな山田が絶対に許さないという経産省。  断片的にもたらされる情報からは、もはや嫌な気配しか漂ってこない。集まれば集まるほど、したくもない確信が深まっていく。  バカな妄想ならいい。  いっそ、こういうことじゃねぇのかと山田にぶつけて、笑い飛ばしてくれれば── 「お兄ちゃんの様子は大丈夫ですか。私の前では普通なんですけど」  紫櫻の声で我に返った。  佐藤は、知らず止めていた息を吐いた。 「俺も今のところは変わりねぇと思ってるけど、アイツの考えてることはわかんねーからな」 「佐藤さんでもですか?」 「俺でも?」 「えぇ」 「そりゃ……逆に、わかるヤツがいるのか? あんた以外に」  妹は何かを言いかけて黙り、息子に視線を投げて口を開いた。 「佐藤さん。私もひとつ訊いていいですか」 「あぁ、何?」 「どうしてお兄ちゃんを捨てたんですか?」 「はぁ!?」  佐藤が思わず上げた声に、ボール遊び中の2人がこちらを見た。 「ずっと一緒だったのに、今さらお兄ちゃんをひとりにして……」 「ちょっと待て。出てったのは山田で、俺じゃねぇ」 「でも佐藤さんが巨乳と浮気したのが原因じゃないスか?」  割り込んだのは、いつのまにか近寄ってきていた鈴木だった。足元に次郎もいる。 「浮気してねぇし! アイツが勝手にカン違いして飛び出してって、当てつけがましく小島んトコに転がり込んだ挙句に部屋を決めてきたんじゃねぇか」 「まぁでも小島んトコっていっても別宅ですから、毎日一緒にいたわけじゃないとは思いますけどね」  いなかったって断言もできませんけど、と鈴木は付け加えた。 「別宅だぁ?」 「そりゃそうですよ、向こうはもう結婚してたんスから。山田さんがいたのは、小島が自宅とは別に会社の近くに借りてる部屋っすよ」 「山田が言ったのか?」 「いいえ?」 「お前はどっからそういう情報を仕入れてくんだよ?」 「企業秘密です。で、まぁとにかく、小島んトコに転がり込んだのが腹立たしくて引き留めもせずに別れたと」 「会社で訊いても居場所を吐かねぇ上に、明らかにカネかかってる身なりしてくんだぜ?」 「そりゃあ着の身着のままで飛び出してったら買ってもらうしかないし、小島が買うなら高級品っすよね」 「そんなこれ見よがしされて、それでも引き留めろっつーのか」 「お兄ちゃんは引き留めてほしかったと思います!」 「いや、ねぇから! もっかい言っとくけど捨てたのは俺じゃなくてアイツだから!」  ──てか待て、なんだこの会話!?  ──なんで俺と山田が痴情の縺れで別れたカップルみてぇな前提のハナシをしてんだ!?  佐藤がハッとして胸の裡にツッコんだとき、鈴木の向こうに見慣れた姿が現れた。  娘を連れた大家の野島と並んで、山田がタラタラ歩いてくる。 「そこで会ってよォ」  到着すると山田は言い、野島は佐藤をチラ見すると婿養子に似つかわしい気弱そうな挨拶だけ寄越して自宅へと立ち去った。  山田が佐藤を見上げた。 「ナニ熱くなってたんだ? お前」 「何でもねぇよ」 「あのね、イチくんがね、サトウをすてたんだって」  次郎の無邪気な声に、大人たちはしばし無言で目を交わした。 「ナナコちゃんと遊んでいい?」  ナナコちゃんは野島の娘だ。  山田が、佐藤に据えていた目をゆっくりと甥っ子にシフトした。 「遊んでこい」  が、駆け出そうとした次郎の小さな手を、鈴木が咄嗟に掴んだ。 「遊んでもいいけど、女はちゃんと選ぶんだぞ? 次郎」 「鈴木お前、余計なこと教えんのマジやめてくんねぇ?」 「頭に入れときます」 「それから佐藤、お前も間違ったこと教えんのやめてくんねぇ?」 「何をだよ、教えてねぇし」  佐藤が言うと、 「捨てたのは俺じゃねーからな!」  突然山田が喚いて猛ダッシュで階段を駆け上がっていった。  その後ろ姿を見送った鈴木と山田妹が、同時に佐藤を見て同時に言った。 「ほらね」

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