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第38話 山田オッサン編【28】
「え、マジで?」
土曜の真っ昼間、グランドキリンIPAのボトルを開けながら田中が言った。
退院後すぐから自分でやる! と意気込んだ嫁さんが1週間で根を上げて子連れで実家に戻ってるため、田中もここのところマトモに眠れてるらしい。
土日は顔を出さなきゃならないが、丸1日行く必要はないから今はこうして佐藤のマンションのダイニングに集っていた。
「弟がぁ? 山田の妹と?」
目を向けた先で、サッポロ黒ラベル缶を傾けていた佐藤弟が唇を突き出した。
「何だよ、なんか文句あんの?」
「いや文句はねぇけどよ、でもなぁ」
「でも何なの?」
「いや、何っつーか……そりゃ誰だって驚くよな、いろんな意味で?」
「まぁな、いろんな意味で」
田中と同じボトルを手にした佐藤兄が、咥え煙草のまま頷いた。
「ま、反対はしねぇけど」
「だろーね! だろーね!」
「何その勢い、反対されてぇの?」
「べっつにぃ」
「山田的にはどうなんだよ?」
「えー?」
弟と同じ黒ラベル缶を手にした山田が、パッケージから煙草を抜きながら田中を見た。
「どうっつってもなー、紫櫻がソイツでいいっつーなら俺にはどうにもできねーしぃ」
「イチさん、もっと残念がってよ! ホントはずっと自分のことだけ見てて欲しいのにぃとか!」
「え、そっち?」
「てか何、その乙女」
「てかさぁ、キッカケは何だったわけ?」
「えー? キッカケとか別にコレってのないけどさぁ、シオちゃんに最初に会ったときLINE交換してて」
「シオちゃんだってよォ」
ヤサグレた風情の山田が鼻に小指を突っ込みながら煙を吐いた。
「まぁいいじゃないスか山田さん」
角ハイ濃いめ缶を手にした鈴木が慰めるように応じた。
「何がいいんだよ、昼間っからハイボールなんか呑んだくれやがって。お前こそキャッチャーのアームで紫櫻掴み損ねてちょっぴり黄昏れちゃったりなんかしてんじゃねーだろうな?」
「妹をUFOキャッチャーの景品に例えるなよ山田」
「黄昏れるって、俺がっすか?」
心底訝しげに訊き返した鈴木に、口から黒ラベルを飛ばしながら山田が喚いた。
「こら鈴木! もーちょい本心を隠して残念がれ!」
「兄心はフクザツだな」
「俺は次郎の一番でいられればいいんで」
「それもどうかと思うぜ?」
「てか鈴木お前、まさかそういう趣味だったのかよ?」
「うーん」
「頼むから答えに迷うな、怖ェから」
「てかLINE交換って弟、お前だけなの? 他にはいねぇの?」
全員が目を見交わしたが名乗り出る者はいなかった。
「お前だけか」
「うん、まぁなんか、兄貴について聞きてぇっつってたしねー」
ソファで他人事のように煙草を吸っていた佐藤兄が、勢いよく煙を吐いて噎せた。
「はぁ? 俺の何をだよ?」
「何っつーか、だから、なんでイチさんを捨てたのかとか?」
田中と鈴木が佐藤兄を見た。
「捨ててねーし!」
「どの角度からツッコんだらいいのかがわかんねぇな」
「いやまぁとにかくシオちゃんは捨てたと思っててね? そんで、兄貴はイチさんのコト遊びだったのかと」
「その話、一から十まで丸っとおかしいだろーが!?」
「そうオレ捨てられてさぁ」
床で体育座りをした山田が、鼻から煙を吐きながら項垂れた。
「あんなに尽くして操を捧げたのにさぁ、巨乳のチャンネーが現れた途端にオマエなんか用済みなんだよって着の身着のまま放り出されてよう」
「どこまでが冗談だと思えばいいのか判断に困るな」
「困らなくていい、全部冗談だから」
「そうなんスか? 山田さん」
「ご自由にご想像ください」
「お前はなんだ、何か俺に恨みでもあんのか山田?」
「別にねーよ、巨乳のことなんかどーだっていいし?」
「始まったよ、痴話喧嘩」
「痴話喧嘩じゃねーし」
「そーだよ痴話喧嘩じゃねーし!」
「じゃあ夫婦喧嘩?」
「俺と山田が夫婦に見えるか鈴木?」
「今さらどう答えてほしいんスかね、佐藤さん」
「じゃあ俺、夫!」
「じゃあじゃねーだろ山田」
「てかシオちゃんとオレのこと話していーい?」
「あ、悪ィな。で?」
「えっとねー、とにかくイチさんと兄貴についてLINEでいろいろ話してて、そのうちイチさんがどんだけ魅力的かって話で盛り上がってきて、なんか意気投合しちゃったんだよねー」
デレデレした佐藤弟のツラを、他の4人は無言で眺めた。──ソイツは一体、何に対するデレなんだ?
が、結局誰もツッコまなかった。
それからダラダラと昼下がりの怠惰な時間を過ごしていた彼らだったが、やがて佐藤弟のもとに山田妹からLINEが入り、これから次郎を連れてデートだってことで本日の中心人物が離脱する運びとなった。
すると鈴木が、じゃあ俺も行って次郎を預かろうか、そしたら2人でデートに行けるよね? と申し出て一緒に帰ることになり、だったら俺ももう嫁んとこ行こうかな、と田中も立ち上がった。
「あ、じゃあおーれも」
煙草を消して腰を上げた山田を見て、空き缶を片づけていた田中が笑った。
「お前は用事ねぇんだろ山田」
「だってみんな帰んのに1人だけ仲間ハズレかよ!?」
「何言ってんだ? 佐藤がいるじゃねぇか。てか可哀想だからいてやれよ。な」
山田の頭にポンとひとつ手のひらを載せて、あとの2人が待つ玄関へと向かう田中。
じゃーなと3人が帰って行くと、急に部屋の中が静かになった。
上がり框で見送った山田の背後で佐藤が言った。
「お前マジで帰るつもりだったのかよ?」
「なんで?」
「なんでじゃねぇだろ」
何をわかりきってることを訊いてんだ? とでも言いたげな佐藤の手が、山田の肩に回って緩く壁に押しつける。
「ッ、ちょ」
身構える間もなく塞がれてしまう唇。
佐藤を押し返そうとする手は逆に絡め捕られ、いつになく優しい仕草で丹念にキスされて、やがて山田の指先が小さく震えだした。
──てかナニ、この甘ったるさ?
唇を解放されたら開口一番にツッコんでやりたかったのに、そんな短いセリフですら舌がもつれて噛みそうで結局言えなかった。
「買い物でも行くか」
佐藤が言った。
「は? 何の?」
「晩メシの買い出し。お前の食いてぇモン作ってやるよ」
「え、なんで?」
「お前が夫なんだろうが?」
訊いたのはそんなコトじゃなかったけど、唇の端で笑った佐藤の目を見たら何も言えなくなった。
──てかナニその、甘ったるさ?
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