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第44話 山田オッサン編【31-1】

 ベッドに転がって時間を遣り過ごした。  一度はテレビを点けてもみたが、猥雑な音が鬱陶しくてすぐに消した。  それから繰り返し無意味にスマホをいじってるうちに、やがて玄関で物音がして山田が帰ってきた。  部屋に入ってくるなり、山田は文字どおり飛び上がった。 「わぁ!?」 「はぁ?」 「ビビんだろーが! ナンでいんだよ!?」 「悪ィか?」 「いやいいけどよー別に、来るなら来るって言えよなっ」 「電気点いてんの外から見えんだろうし、玄関に靴もあっただろうが?」 「消し忘れたのかと思ったし、靴なんか気が付かねーっつーの。リーマンの戦闘靴なんかみんな一緒じゃねーか」  山田は言って、起き上がった佐藤の前にコンビニ袋を差し出した。 「お前ビール飲む?」 「いや、いい」 「あっそう」  袋をベッドに置き、ネクタイを抜いてヘッドボードに放る横顔は、少し疲れたようではあるものの平素とそう変わらないように見えた。 「あれ佐藤お前、今日デートだっつってなかったっけ?」 「デートだったぜ?」 「なんでこんなトコいんの?」 「いい感じのときに鈴木がしつこく電話鳴らしやがってよ」 「──」 「俺、お前に電話したよな? 何回も」 「そーだっけ」 「電源切りやがったよな?」 「切ったんじゃなくて切れたんじゃねぇ?」  言いながら廊下に出ていった山田は、手と顔を洗って戻ってきた。  雫が垂れる前髪を気にするふうもなく、煙草のパッケージを手に胡座を掻いて床に座る。 「で?」 「でじゃねぇよ、訊くのはこっちだろうが」 「何を訊きてぇの?」 「経産省のクルマに乗ったんだってな」 「しょうがねぇだろ、なんか場が収まんねぇ感じだったし」  火を点けて煙を吐き、ビールに口をつける。 「ソイツはなんでそこにいたんだ」 「まぁなんか、たまたま通りかかっただけっぽいな。あっちもあの辺で誰かと会ってたらしくて」 「それ信じてんのか?」  山田は煙草を咥えたまま目だけ寄越した。 「偶然を装うみてぇな安っぽい手は使わねぇよ、アイツは」 「じゃあ、どういう手なら使うんだよ」 「だから、こないだみてぇに手を回してセッティングしたりとか……てか、これって尋問かよ?」 「何を訊きてぇのかって、お前が言ったんだろ? さっき」 「まぁ言ったけどさ」 「訊かせてもらおうじゃねぇか、全部」 「──」 「その前に煙草くれよ」 「お前なぁ、いい加減自分で買えよ。オモチャの煙草やめたんなら」 「やめてはいねぇよ。女と会うときはそっちだし」 「今日オンナと会ってたんだから持ってんだろ?」 「今いるのは女じゃねぇだろ」  山田はもう何も言わず、パッケージを放って寄越した。 「やっぱビールもくれ」 「勝手に取れよ」  ベッドの上のコンビニ袋を顎で示す。 「ライターも」 「はいはい」 「キスも」 「はい……って、しねーし!」  突然目を三角にする山田に思わず笑い、佐藤も床に降りて煙草を咥えた。  胡座を崩してベッドに背中を預ける山田の動きを目で追いながら、煙草に火を点ける。 「クルマ乗って、ただ送られて帰っただけか?」 「だけって?」 「何もなかったのかよ」 「何もって何がだよ。あぁ、送るつっても、ソニーらへんで降りたぜ?」 「銀座で乗ったんだよな?」 「まぁな」 「降りたのも銀座のど真ん中じゃねぇか」 「だったら何だよ、もっと乗ってりゃ良かったってのかよ?」 「すぐ降りたのに、なんでずっとスマホの電源切ってたんだ」 「切ったんじゃねぇ、切れたんだってば」  どうせメンドクセェことをぐだぐだ言われたくなかったとか、そういう理由に決まってる。 「よくすんなり降ろしてもらえたな」 「そりゃお前、仲悪ィんだからあっちだって長居させたくねぇだろーよ」 「辻褄の合わねぇこと言うのはいい加減やめろよ。お前だって自分で言っててわかってんだろうが? 仲悪ィ腹違いの兄貴が大した用もねぇのに面倒くせぇ真似して昼メシに連れてったりすっか? 今日だってたまたま通りかかったにしたってよ、わざわざクルマ停めて乗っけてったりしねぇよな? 嫌ってんなら」 「世の中そんな不思議ばっかだぜ? 今日の昼だってよー、出先でテキトーにラーメン食ってたら隣の席にいたオッサンが……」 「お前を素直に近場で下ろしたのは、逆らえねぇ親父から接近禁止令喰らってっからだろ?」  ラーメン屋のオッサンが気にならないといえば嘘になるが、今はそんなことではぐらかされてる場合じゃなかった。  接近禁止令という単語が出た途端、山田がすうっと表情を硬くした。 「紫櫻に聞いたのか」 「ちょっと前にな」 「どこまで……」 「いや、それしか聞いてねぇ。お前の妹が頑固に言わねぇからな、お前から直接聞かせてもらう。ソイツが何やらかしてそんなモン喰らったのか、なんで今ごろパパの言いつけを破ってまでお前に会ったのか」 「何のために知りてぇんだ? ンなコト」 「心配だからじゃねぇか」 「──」 「カン違いすんなよ。お前を守りてぇとかいうような話じゃなくて、俺がいちいち心配したくねぇんだよ」 「しなきゃいいんじゃねぇ?」 「するに決まってんだろうが!」  つい大声になった。 「10年も一緒に住んだんだぞ! それに……」 「それに?」 「だから──寝てんじゃねぇか、ずっと」 「それが何だよ? 巨乳のネーチャンとも寝てるじゃん?」 「毎回巨乳じゃねぇよ」 「巨乳も貧乳もみんな心配してやんのかよ?」 「しねぇよ、お前みたいに長い付き合いじゃねぇし」 「別に長ェ付き合いだからって心配するこたねーよ、俺のことだって」 「するかどうかは俺が決める」 「俺じゃねぇと勃たねぇんだってよ」  あまりに唐突で、すぐには何を言ってるのかわからなかった。  無言で数秒見返す間、山田は煙を吐きながら佐藤の目を受けとめていた。 「──誰が」 「アイツ」 「どういう意味だよ……」  声は掠れていたかもしれない。  憶測していた類の話ではあった。が、それでも心臓を鷲掴みにされたような動揺を隠せなかった。 「言ったとおりの意味だよ。アイツさぁ、いい加減子供作れって両方の実家からせっつかれてて、ストレスで余計デキねぇし不妊治療もカネかかるばっかでうまくいかねぇし、トシ食って可能性も性欲も減ってく一方で、俺を思い出しながらじゃねぇとイケねぇのに会ってねぇから記憶はだんだん薄れてくし、みてぇな悪循環で半分ノイローゼっぽくなってやがって?」  そこまで一気に言い、眠たげな目で笑う。 「昔っからメンタルに問題あるヤツだったけど、いよいよって感じだな」 「お前を思い出さねぇとイケねぇって何だよ」 「だから、言ったとおりの意味だっつの」 「──」 「で、思いつめて、顔見てぇって……」  煙草を咥えた唇の端で小さく笑い、投げ出すように言った。 「アイツはビョーキだ」

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