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第45話 山田オッサン編【31-2】

 それから聞かされたのは一から十まで、鳥肌が立つほど胸クソ悪い過去の話だった。  高1で出会って間もなくから始まった、腹違いの兄貴による悪夢の日々。  約2年続いて終息した関係は山田が大学に入った年に復活し、妄執的な独占欲で学校やバイト先の友人たちを遠ざけた経産省は執拗に山田を抱いたという。  この辺りで既に佐藤はブチ切れそうだったが、どうりで大学時代の話を聞かないはずだと納得もした。 「なんかもう誰にも興味を持てなくなって、誰に何されてもどうでもいいって感じでさぁ」  立てた膝に肘をつき、その手で頬を支えて山田が投げ遣りに笑う。  コイツにこんな顔をさせる野郎を殺してやりたいと思った。  が、その先も耐えて耳を傾け、内定を辞退させられ就職先をゴリ押しされた経緯に吐き気さえ覚えて、しかし結局は親父の手で今の会社に放り込まれたという着地点で、やっといくらかの安堵が訪れた。 「親父が俺を見張ってんのは、アイツが近寄ってねぇかを確認するためでもあんだよな。マジ、何から何まで迷惑だっつーの」 「お前それ、迷惑とかいうレベルじゃねぇだろうが!?」  そもそも、親父はクソ長男から山田を守ったとはいえ、同時にそのクソも守ってる。それは当然なんだろうが正直、想像以上の不快感だった。これが赤の他人の話であっても虫唾が走るというものだ。  ましてや、当事者は赤の他人どころか──  佐藤は山田の横顔を眺めた。すっかり見慣れたヤル気のないツラ。  その下に隠し続けてきた古傷を曝してもなお普段の顔を見せる山田にイラ立ち、かける言葉を思いつけない己にイラ立った。 「そうやってどうでも良さげなツラすんのはやめろ」 「ンなコト言ったってよ、どうしろってんだよ?」 「じゃあ何だ、どうにもできねぇからってやらせてやったのかよ!? お前じゃねぇとイケねぇって言われて! それとも手でいかせてやったのか? 口でか!」  その瞬間、頬に灼けるような衝撃があり、聞いたこともない声で山田が爆発した。 「するわけねぇだろ!!」  そこに滲むハッとするような痛ましさに気を取られているうち、山田がまた叫んだ。 「他の誰とやろうが、アイツとだけは死んでもしねぇ!!」 「山田」 「俺以外じゃ勃たねぇってんなら好都合じゃねぇか、ざまぁみやがれ! 一生苦しめってんだよ!!」  佐藤の横っツラを張り倒したまま床に手を突いていた山田の姿勢が、次第に崩れて蹲る。  その肩が小刻みに震えだすのを見て佐藤は奥歯を噛みしめ、床の上で拳を握る両腕を取って強引に上体を引きずり上げた。  山田は泣いていた。 「俺に触んな……」  掴まれた腕の間に頭を垂れて、嗚咽を殺して逃れようとする。 「何でだ」 「気持ち悪くねぇのかよ、俺」 「何がだ」 「あんな過去──」 「気持ちなんか良くねぇに決まってんだろうが! その野郎を殺してやりてぇぐらい腸煮えくり返ってんだからな」 「──」 「でもひとつ言っておくぞ」  強ばる身体を力尽くで引き寄せ、首根っこを抱えて耳もとに唇を押しつけた。 「俺のほうがお前を抱いてる」 「──」 「10年超えをナメんな」  佐藤の肩に額を押しつけた山田が、子供のように声を漏らして咽び泣いた。  開けても開けても謎が出てくるマトリョーシカの、最奥の人形が出てきた。そう思った。  何かで読んだのか、それとも関係した女の誰かが言ったのか。硬く錆びついた何層もの殻をひとつひとつ外して、最後に出てくる小さな人形の話。その名前は『希望』であると。  傷ついた過去を守るため、幾重にも重ねられた強固な偽り──今ここにいるのは、誰にも助けを求めることができなかった学生時代の山田だ。  過去に戻って救うことはできない。が、抱え続けた荷物を軽くしてやることならできる。そうすることを山田が許してくれればいいと願う。  しゃくり上げる背中を摩りながら落ち着いてくるのを待ち、佐藤は山田を刺激しないよう低く囁いた。 「山田」 「なんだよ……」 「お前さっき、他の誰とやろうが、って言ったよな?」  泣き腫らしてぐしゃぐしゃになった顔を少しだけ上げて、山田が訝しげに眉を顰める。 「言っただろうが、他の誰とやろうがアイツとはしねぇって」 「覚えてねぇ」 「言ったんだよ」 「それが何だよ」 「もう他の誰ともすんな」 「何……」 「俺だけにしろ」  山田はしばらく身じろぎもせずに沈黙した末、ノロノロと身体を離して俯いたまま鼻声を漏らした。 「お前は巨乳とやんのに?」 「乳のデカさは関係ねぇだろ」  佐藤は顔を顰めて床に転がっていた箱ティッシュに手を伸ばし、引き寄せて山田に渡した。山田が派手に鼻をかんでゴミ箱に投げ入れる。 「お前が望むなら巨乳とも貧乳とも今後一切やんねぇよ」 「ミディアムサイズに絞んのか」 「バカ、女とはしねぇって意味だろうが」  山田は腫れぼったい目蓋で鼻の頭を赤くしたまま、煙草を咥えて胡座を掻いた。 「ンな必要がどこにあんのかわかんねーし、無理すんなよ。オネーチャン大好きだろ? 巨乳から貧乳まで豊富な選択肢の中から日替わりオススメフレーバーをチョイスの佐藤くんからネーチャン取り上げたら、何が残るんだよ?」  火を点けながら言って煙を吐く山田は、まだ鼻声のクセにもう可愛げがない。 「お前が残る」 「俺は残りモンか」 「断捨離と言えよ」 「ネーチャンたちは要らないモンか? お前の人生の花道を華やかに彩ってくれる必要不可欠な通路デコレーションだろ?」  佐藤は離れたところに避難させてあったビールを取り戻し、ひと口呷った。 「適当に女に目を逸らしてねぇと、お前だけ見てたら盲目になるだろうが」 「……は?」 「理性やら常識やらを失くさねぇように女で中和して悪ィか?」

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