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そっと、口吻けを。 6

珀英の心臓の音。少し高めの体温。珀英の体臭と香水が混じった香り。 珀英の胸の中。何よりも安心できる、たった一つの居場所。 「緋音さん・・・会いたかった。会いたかった」 耳元で繰り返される言葉。心の底まで侵食して汚染される。 聞きたかった言葉。欲しかった温もり。 でも足りない。全然足りない。 ねえ珀英。全然足りない!! オレは珀英の胸から顔をあげると、両手で珀英の顔を包むように掴(つか)んで、背伸びをして珀英にキスをした。 いつも珀英がしてくれるような、舌を搦める激しい口吻けを。 オレからこんなキスをすることなんて初めてなので、珀英は少しびっくりしつつも、オレの舌の動きに合わせてくる。 珀英の大きな手がオレの後頭部をしっかりと掴んで離さない。 逞(たくま)しい腕がオレの腰を強く引き寄せて、躰全部が密着する。 オレは腰を擦り付けて、足を珀英の足の間を割って入れて、更に躰を密着させる。 珀英の力強い腕が、骨が折れそうに抱きしめてくる。舌がいやらしく動いて、オレが弱い上顎の奥を執拗(しつよう)に攻めてくる。そこ弄(いじ)られると腰が甘く痺(しび)れて、もっと色々したくなるのに。 珀英の熱が、匂いが、全部が愛おしくて仕方なかった。 きっと、もう、オレはこいつがいないとダメなんだ。 素直に、そう思った。 たった半日会えなかっただけで。これからしばらくこうして会えないって思っただけで。 こんなに不安で、こんなに落ち着かなくて、こんなに会いたくて堪(たま)らなくって、こんなに頭がおかしくなりそうで。 珀英の腕の中にいること。口吻けをしていること。それがとてつもなく嬉しくて。 思わず涙が零(こぼ)れた。 しばらく激しいキスをして、珀英が口唇を離した。舌が吸われすぎて、ジンジンと痺れている。 珀英はもう一度、オレをぎゅっと抱きしめて、抱きしめて。 意を決したように、体を離した。 「もう・・・帰りましょう」 珀英はそう言うと、オレの体を少し押すように歩き始める。オレの顔を見ないように、前だけを見て歩く。 オレは何も言えず。何もできず。促されるまま歩いた。 春特有の風が吹く。微かな湿気と青葉の匂いが鼻腔をくすぐる。 見上げるとビルとビルの隙間に、三日月より少し太い月が、薄い雲に隠れながら光っていた。 春先なのでまだ肌寒く、上着も着ないでカットソーで出てきてしまったので、少し寒い。さっきまで珀英が温めてくれたせいもある。 本当は帰りたくない。このまま何処かに行ってしまいたい。 でも美波をあまり長く一人にはしておけない。 大事な娘だから。 珀英と長く離れているのは堪えられない。 大切な人だから。 どっちも優先したいし、どっちも大事だし。でも両立が難しくて。 どうしたらいいのか、全然わからない。 なんにせよ、最低だな。 まともな会話ができないまま、珀英に背中を押されて、さっき珀英がいたマンション前の道に出た。ちょうど車がこちらも向かって走ってきたので、立ち止まって走り去るのを待つ。 もう今日は帰らなきゃいけない。珀英と離れなきゃいけない。そう思ったらオレは思わず珀英を振り返っていた。 「珀英・・・」 「お休みなさい」 何を言うつもりだったのか、忘れた。 珀英が、オレの額に口吻けをした。優しく、甘く、眩暈(めまい)がするほどに甘美な口吻けを。 一瞬の愛おしい時間。

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