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そっと、口吻けを。 9
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「緋音さん・・・何でこんな・・・」
珀英が思わず心情を吐露(とろ)する。緋音は待ち合わせ場所に珀英を認めると、ものすごいドヤ顔で言い放った。
「いっそのことこうして顔合わせたほうが何とかなるって!」
めっちゃいいアイデア!って言いた気な緋音に、珀英は全てを悟ったような表情で全身で溜息をついた。そんな緋音の隣で、緋音の手を握ってべったりと体を寄せて、珀英をものすごい瞳(め)で睨みつけている美波がいた。
珀英は、緋音からLINEで娘に二人の関係がバレてしまったことを聞いた。そしていきなり東京スカイツリーに行こうと誘われた。
緋音の誘いを断れるわけがない珀英は、緋音のレコディーングが終わったタイミングで、休みの日に待ち合わせの日時を決めて、今日、スカイツリーに初めて足を運んだ。
よく晴れた春の昼前の最寄り駅に現れたのは、緋音と美波の父娘(おやこ)だった。
緋音は黒いパンツに、幾何学(きかがく)模様の柄シャツを着て、更に黒の革ジャンを羽織っている。
珀英は、緋音の私服のセンスがいまいちなところも、ものすごく可愛いと思っている。
美波は女の子らしく、白いワンピースを着て、ピンクのトレンチコートを羽織っている。珀英は服装のセンスが似なくて良かったと思った。
待ち合わせ場所に現れた美波に珀英は驚き、父親とデートにきたのに父親の恋人に逢ってしまった美波は最悪な気分だった。
どう考えても上手くいきそうもない、緋音のサプライズ。
珀英と美波は、緋音が必死で考えたサプライズだとわかっていた。自分たちに仲良くして欲しいという緋音の願いなのだと。
わかっているけど、それとこれとは話しが別。
美波は完全に珀英を敵だと認識していた。
自分から父親を奪おうとしている、とんでもない輩(やから)。それが珀英だった。
珀英から見たら、最愛の人を連れ去ろうとしている、永遠に勝てない女性だった。
珀英は美波が羨ましかった。
絶対に緋音が『娘』を嫌いになることはない。どんなに酷いことをされても、絶対に。
それに比べて、珀英の立場の危うさといったら。
男同士だし。もう若くないし。めっちゃ金持ちでもなければ、稼ぎも緋音よりは劣る。緋音は誰が見ても艶(あで)やかで美しいけど、自分は平均よりそこそこ上ってだけで。
緋音よりも勝っているところなんて、身長とナニの大きさくらい。それ以外は全部、緋音のほうが優っている。当たり前だ。
だから緋音が自分を好いてくれているのが、今でも信じられないくらいで。
だから、美波が羨ましかった。
何をしても、どんなことがあっても、ひどい失敗をしたって、ひどく怒らせたって、美波は絶対的に緋音に愛される。
絶対に、嫌われない。
一瞬で色々考えてしまった珀英は大きく溜息をつくと、
「とりあえず・・・行きましょうか」
と、駅の表示板が『スカイツリー』って指してる方へ歩き始める。
緋音は美波がはぐれないようにしっかり手を繋いで、珀英の後をついて歩く。美波は本当は行きたくないのに、緋音と離れたくはないので、渋々緋音について行く。
駅からスカイツリーはすぐそこなので、特に迷うこともなく、一行はスカイツリーの入り口へとたどり着く。
ソラマチでランチでも食べようという話しになり、エスカレーターでレストラン街へと向かう。
子供がいるので、とりあえず当たり障(さわ)りのないパスタ屋さんに決める。待っている人が列を作っているが、数人だったので素直に並ぶ。
ど平日で12時前ということもあり、ほどなく店内へと通される。
それぞれセットにして、注文を済ませると、緋音と美波はドリンクバーへと連れだった。珀英は荷物番で席に残り。
珀英は美波が視界から消えると、大きく大きく溜息をついて、思わずテーブルに突っ伏していた。
全っっ然っっ心が休まらないっ!ずーーーーっと睨みつけてくるから、本当マジ無理だって!!
ここまで歩いてくるだけでも、ここまでの極度の緊張感なのに、今日は1日中この状態なのかと思うと、珀英は頭を抱えたい気分だった。
緋音と一緒にいたい。緋音がいればそれだけで幸せ。
この気持ちに嘘はないけど、今でも変わらないけど。
それでも今日は。
「・・・・・・・・・しんどい」
珀英は思わず呟(つぶや)いていた。
一方緋音と美波はドリンクバーに行き、ご機嫌ななめな美波に、緋音は一生懸命話しかけている。
「美波なに飲む?ジュース?コーラ?」
「・・・・オレンジジュース」
「了解。パパはホットコーヒーにしようっと」
緋音はテンション高めにそう言うと、美波のオレンジジュースと自分のコーヒーをセットして、ボタンを押す。
緋音がいつもよりもテンション高めの態度でいる理由なんか、まだ10歳の美波にさえわかっていた。
自分とあの男を和解させて、仲良くさせるためだ。
正直、あんな男のどこが好きなのか、美波にはさっぱりわからない。
お金持ってなさそうだし、甲斐性(かいしょう)なさそうだし、自分の意見なんか持ってなさそうだし。男としての魅力なんかまったく感じない。
それでも、父親は珀英が好きだと言った。
美波は、父親がそこまで言う理由を知りたかった。だから我慢して付き合ってあげているけど、いい加減つまらないし、限界かもしれない。
美波は、緋音がオレンジジュースを注いでくれているのを、溜息をつきたい気分で眺めていた。
一方緋音は、珀英と美波が思った以上に険悪なムードなことに焦(あせ)っていた。もうちょっと何とかなるかと思っていたけど、予想以上にギスギスした雰囲気(ふんいき)に、緋音自身が飲まれそうだった。
いやいや・・・大丈夫。きっと何とななる・・・ってか、何とかする!
珀英は大事な人。
自分のどんなに汚い部分も、醜(みにく)い部分も、だらしないところも、小さいところも、全部晒(さらけ)け出しても、自分を好きだと言ってくれる、たった、一人の人。
心の底から、何も気負(きお)わずに一緒に居られる人。
美波は大切な娘。
言葉になんか表せない。
オレの全部をもって、守りたい存在。
彼女が幸せになるためなら、何でもできる。
そう思っていた。
その気持ちが、一部分だけ揺らいでしまったことを、緋音は感じていた。
美波のためなら何でもできると思っている。でも、緋音は、珀英と別れることは、それだけは、できなさそうだった。
本当に本当に、美波か珀英か、選ばなくてはならなくなったら、どうすれば良いのか全くわからない。
だから、だから、そうならないために、緋音は珀英と美波に仲良くなって欲しい。そのために今日は無理矢理こうやって二人を連れ出したのだ。
吉と出るか、凶と出るか。
誰もわからない。
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