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「では、こちらは食事も終わったので、失礼します。社長はごゆっくり」
「ああ」
時間にすると一分程度の短いやりとりだったのだが、極度に緊張していた和真はようやく奈津が動いた事にホッと胸をなで下ろす。
「そういえば、香川君にひとつ聞きたい事があったんだ」
しかし、次の瞬間……加賀に背後から声をかけられ、奈津が再び足を止めた。
「なんでしょう」
「最初に君達の話を聞いたバーにこの前行ったんだが、ママ、君の事を知らないって言うんだよ。冗談かとも思ったけど、本当に知らないって感じなんだよなぁ。なにか知ってるかい?」
「さあ、個人情報を流出させるような店なので、あの後は行ってません。社長の言う通り冗談なのでは?」
ママと呼ばれる人物には和真にも覚えがある。過去に一度だけ二人に連れて行かれたバーで、そう呼ばれていた人物だ。今、話に出ているママが和真の知っている人物ならば、奈津と薫は常連のように振る舞っていたはずだ。
「そうかもしれないな。ありがとう。呼び止めて悪かった」
納得したかは分からないけれど加賀が話を切り上げる。
それに対し会釈をしてから「それでは」と踵を返した奈津だったが、「和真、ちょっと待ってて」と、耳元で小さく囁く声が聞こえた直後、和真はいきなり奈津の腕から降ろされた。
とはいっても、傍にあった縁台へと座らされただけなのだが。
「あ……」
奈津が足早に加賀の方へと歩く姿を目に映し、和真の心に相反する二つの感情がわいてくる。
ひとつは、奈津が離れて心細いという思い。
そして、久々に頭をもたげた『今ならば逃げられるのではないか?』という微かな希望。
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