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 ***    建設的に話を進めたつもりだった。なにせ、自分はもう子供じゃない。いい年をした大人であり、二人によって囚われるまでは、大手と呼ばれる企業の中で係長をしていたのだ。  だから、二人との関係を一切絶つと心に決めても、着の身着のままで逃げ出そうとは思わなかった。 『俺の荷物はどこにありますか?』  一週間前。  日帰り旅行の帰り道、そう尋ねた和真の声は微かに震えてしまっていた。それに対し、『元々いたマンションにある』と答えた薫は、『必要な物があるのか?』と、やや硬質な声音で聞いてきた。  通帳やカード類、それに身分証が欲しいのだと和真は答え、一人になってやり直したいと訴えた。その為には、住む場所を借りなければならないし、仕事が決まるまでの間は生活費が必要だ。    この一年半の出来事については、絶対に口外しない。自分の醜態を思い出せば、誰かに話せる筈もない。  だから解放して欲しい……と、和真はなるべく言葉を選び、彼に伝えたつもりだった。  結果、今、和真は四肢を拘束されソファーに座らされている。口枷を()めらているから、言葉を発することもできず、両腕を背後で一纏(ひとまと)めにされ、両足首に付けられた枷から伸びた鎖は、ソファーの脚へと厳重に(くく)り付けられていた。 「……うぅ」  なぜか涙が止まらない。テレビ画面には洋画が映されているけれど、その内容は一つも和真の頭に入ってこなかった。  『少し出かけてくる』と言い残し、部屋を出ていった薫がいつ戻るのかも分からない。     (俺は、おかしい)  とにかく不安で仕方なかった。  一週間前、和真からの懇願に『わかった。和真の意志を尊重する』と、薫は同意をしてくれたのに、今日になって突如(とつじょ)和真を拘束した。 (でも、きっと薫は……悪くない)  たぶん、原因は自分にある。  拘束された時の記憶がほとんど無いため、確証までは持てないが、途切れ途切れに思い出される映像の中で、薫は常に優しかった。  それに、出かける前……和真の耳元で薫はこう囁いたのだ。 『和真、ありがとう。ごめん、少しだけ我慢して』と。 (なんで礼なんか……)  告げてきたのか? 理由はよく分からない。考えれば考えるほど、思考が霞んでいく気がした。  時間が経過するにつれ、徐々に呼吸が苦しくなる。口枷は、噛ませるタイプの物だから、口での呼吸はできるけれど、泣いているせいで鼻が詰まってしまっていた。 (このまま、薫が帰ってこなかったら……)  悪い予感が頭を掠め、和真が身体を震わせた刹那、背後から……玄関の開く音が耳へと滑り込む。 (よかった)  安堵に小さく息を吐きだし、振り返った和真だが、開かれたドアを見た途端……その表情は一転した。   (どう……して?)  考えるよりも先に体が動いてしまう。 「和真、落ち着け」  焦ったような薫の声が聞こえるが、従うことを体が拒否した。その結果、逃げを打った和真の体は床へと転げ落ちてしまう。衝撃に……息が一瞬止まったけれど、すぐに体を抱き上げられて、再びソファーへ戻された。 「落ち着け」  耳元へ低くそう告げられ、(うつぶ)せに抑え込まれた和真は動きを止める。「どうして?」と聞きたかったが、声は封じられていた。

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