95 / 123
9
***
建設的に話を進めたつもりだった。なにせ、自分はもう子供じゃない。いい年をした大人であり、二人によって囚われるまでは、大手と呼ばれる企業の中で係長をしていたのだ。
だから、二人との関係を一切絶つと心に決めても、着の身着のままで逃げ出そうとは思わなかった。
『俺の荷物はどこにありますか?』
一週間前。
日帰り旅行の帰り道、そう尋ねた和真の声は微かに震えてしまっていた。それに対し、『元々いたマンションにある』と答えた薫は、『必要な物があるのか?』と、やや硬質な声音で聞いてきた。
通帳やカード類、それに身分証が欲しいのだと和真は答え、一人になってやり直したいと訴えた。その為には、住む場所を借りなければならないし、仕事が決まるまでの間は生活費が必要だ。
この一年半の出来事については、絶対に口外しない。自分の醜態を思い出せば、誰かに話せる筈もない。
だから解放して欲しい……と、和真はなるべく言葉を選び、彼に伝えたつもりだった。
結果、今、和真は四肢を拘束されソファーに座らされている。口枷を嵌 めらているから、言葉を発することもできず、両腕を背後で一纏 めにされ、両足首に付けられた枷から伸びた鎖は、ソファーの脚へと厳重に括 り付けられていた。
「……うぅ」
なぜか涙が止まらない。テレビ画面には洋画が映されているけれど、その内容は一つも和真の頭に入ってこなかった。
『少し出かけてくる』と言い残し、部屋を出ていった薫がいつ戻るのかも分からない。
(俺は、おかしい)
とにかく不安で仕方なかった。
一週間前、和真からの懇願に『わかった。和真の意志を尊重する』と、薫は同意をしてくれたのに、今日になって突如 和真を拘束した。
(でも、きっと薫は……悪くない)
たぶん、原因は自分にある。
拘束された時の記憶がほとんど無いため、確証までは持てないが、途切れ途切れに思い出される映像の中で、薫は常に優しかった。
それに、出かける前……和真の耳元で薫はこう囁いたのだ。
『和真、ありがとう。ごめん、少しだけ我慢して』と。
(なんで礼なんか……)
告げてきたのか? 理由はよく分からない。考えれば考えるほど、思考が霞んでいく気がした。
時間が経過するにつれ、徐々に呼吸が苦しくなる。口枷は、噛ませるタイプの物だから、口での呼吸はできるけれど、泣いているせいで鼻が詰まってしまっていた。
(このまま、薫が帰ってこなかったら……)
悪い予感が頭を掠め、和真が身体を震わせた刹那、背後から……玄関の開く音が耳へと滑り込む。
(よかった)
安堵に小さく息を吐きだし、振り返った和真だが、開かれたドアを見た途端……その表情は一転した。
(どう……して?)
考えるよりも先に体が動いてしまう。
「和真、落ち着け」
焦ったような薫の声が聞こえるが、従うことを体が拒否した。その結果、逃げを打った和真の体は床へと転げ落ちてしまう。衝撃に……息が一瞬止まったけれど、すぐに体を抱き上げられて、再びソファーへ戻された。
「落ち着け」
耳元へ低くそう告げられ、俯 せに抑え込まれた和真は動きを止める。「どうして?」と聞きたかったが、声は封じられていた。
ともだちにシェアしよう!