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「……ただいま」
リビングに足を踏み入れると、煮込み料理の匂いが鼻孔を擽った。喉がカラカラに乾いていたため、声は自分で思っていたより細く震えてしまったが、それでもちゃんと届いたようで、料理をしていた薫は手を止めこちらへ歩み寄ってくる。
「おかえり。寒かっただろ、鼻が赤くなってる」
「あ……自分で」
「いいから、世話を焼かせろ」
コートくらいは自分で脱げると主張をしてみた和真だが、甘い口調で囁くように耳元でそう囁かれれば、抵抗できるわけもない。なすがままに身を任せていると、スーツのジャケットも脱がされた。
「震えてる。どうだった?」
シャツとスラックス姿になった和真へと、ベルトの金具を外しながら、心配そうな表情を浮かべ薫が問いかけてくる。視線が絡んだその瞬間、目の奥がツンと痛みを覚えた。
「……ダメだった。せっかくスーツ買ってもらったのに、ごめん」
絞り出すように話すうち、涙が零れて視界がぼやけたものになる。だから今、薫がどんな表情を浮かべているのかは分からなかった。ただ、優しく抱きしめられ、緊張と恐怖のあまり震えていた体から、力が抜けていくのが分かる。
「スーツの事なんか気にしなくていい。なにがあった?」
心配そうな薫の声。いい大人がこんなことで泣くなんて情けないと思い、「ごめん。大丈夫だから」と返事をすれば、抱きしめてくる腕の力が強まったから、和真はそのまま彼の胸へと顔を埋めた。
「奈津、もうすぐ帰るって。少し休んでそれから話そうか」
「ん……」
この時、頷き返した和真の背中をあやすようにさすりながら、薫が薄く微笑んだことには気づけない。
季節は冬の終盤だが、まだ寒い日が続いている。
ここ3ヶ月ほどの期間、2人のどちらかと一緒の時しか和真は外出していなかった。体調面が心配だからと言われれば、疑問を抱くことも無かったし、不自由だと感じることもないまま日々を過ごしていた。
最近は、体調もだいぶ安定してきて、できる範囲で家事をしたり、薫の仕事の手伝いをしたりしていたが、そのうちに、自分も外で働きたいと思うようになっていた。
養われているばかりでは申し訳ないと思ったのと、自分も彼らの役に立ちたいと考えてのことだったのだが――。
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