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二位は見た
こんにちは。私、鎧鏡家奥方様候補雨花様専属梓の丸賄方 筆頭側仕え第二位……梓の二位でございます。
皆様、うちの雨花様をお可愛らしい方とおっしゃってくださいますが、本当に雨花様は、食べ物の好みからして、お可愛らしい方なんです。
雨花様が梓の丸に入るとわかり、私が一番にしたことは、雨花様のお母様である柴牧家 様の奥様……由加里様に、雨花様の食べ物の好みをお伺いすることでした。
雨花様は甘い物がお好きで、トマトを生で食すのが苦手。チーズや乳製品がお好きで、お肉の脂身が苦手。お寿司やお刺身はお好きですが、大トロは苦手。果物は何でもお好き。ご飯は焚きたてでないと本当は嫌らしい。苦手とはいえ、食べられないわけではなく、基本的に好き嫌いはしないように育ててきたつもりです、とのお返事でした。
甘い物や果物がお好きなのは、雨花様の見た目のイメージ通りです。
色々な面から考えて、好き嫌いはしないに越したことはありません。
何より、若様も好き嫌いを一切おっしゃらない方ですので、奥方様となられるお方も、食事の好き嫌いはなるべくない方が好ましいと、個人的に思っておりました。
食生活の相性というのは、生涯生活を共にするのであれば、とても大切なことですからね。
さて。つい先日のことです。
朝、本丸より早馬が遣わされました。
『本日、若様は午後早々こちらにお渡りになられる』との通達と、若様直々の密書が届けられたのです。その密書は、私宛ての物でした。
「えっ?!私に……ですか?」
若様から直接、文をいただくなどということは、使用人として恐悦至極の出来事です。
「はい。梓の二位様に、しかと届けろとお預かり致しました」
「……かしこまりました。ご足労様でございます」
本丸よりの使者が去ってすぐ、私は、その密書を急いで開けました。
若様が私に直に密書だなど……何のご用事か、全く想像がつきません。
何か粗相をしてしまっただろうか?
怖々密書を開くと、そこには、達筆な若様の文字で、一文だけしたためられてありました。
『夕餉は熱い物を所望する』
と。
え?
「……一位様」
「はい!何が書かれていましたか?」
隣で私が密書を開くのを、心配そうに見守ってくださっていた一位様が、待ってましたと言わんばかりに、私に一歩近付かれました。
「あの、これを……」
一位様は、密書の内容を確認なさると『雨花様が登校後、会議を開きましょう』と、拳を握られました。
”会議”とは、使用人会議のことを指します。
梓の丸の使用人は、必要な際、必ず集まれるだけ集まって会議を開きます。
あ、必要のない時も、少なくとも週に一度は会議を開くことにしているのですが……。
それが、うちの一位様のやり方で、梓の丸の使用人の、団結力の源だと思います。
その日、雨花様がご登校なさってすぐ、梓の丸の中で一番大きな会議室に、使用人が集まりました。
側仕えは、大学の試験があるという八位と、その教育係である九位様以外全員が。下働きの者は、お休みの者以外全員が集まりました。
「集まっていただいたのは、若様より届いたこの密書についてです!」
一位様が、会議室の前にあるスクリーンに、若様よりいただいた密書をプロジェクターで映し出しました。
「皆には、この文の内容から、今宵の夕餉のメニューは何が良いか案を出してもらいたいのです。密書でのご依頼ですので、この会議の内容は一切内密に!」
これだけの人数を集めて話し合う内容かと、そう思われる方もいらっしゃるかもしれません。ですが私たち家臣にとって、これは大変重要な議題なのです。
「そうですね。まずは、若様のご真意は何か、ということが大切なのではないでしょうか?」
「若様はなにゆえ、熱い物をご所望なのでしょうか?」
「そこまで寒い時期でもないのに……ですよ?」
「雨花様が冷え性なのを、若様は常日頃気にかけていらっしゃいます。それで、ではないでしょうか?」
「あ!温かい物を食したほうが、夜伽に効果的だと聞いたことがあります!」
「夜伽?……では、うなぎか?」
「すっぽんではないですか?」
「すっぽんは、すぐすぐ手に入らないのでは?」
「若様がそのような下劣な理由で、熱い物を所望するとは到底思えません!」
「ではやはり……雨花様を思ってのことでしょうか?」
「どんな理由であれ、カバー出来るような物がいいんじゃないですか?」
「薬膳鍋など、いかがでしょうか?」
「おお!それは良い!冷え性にも夜伽にも良さそうではないか!」
そんなこんなな白熱した会議で、紆余曲折あったものの、今夜の夕餉は薬膳鍋と決定しました。
それからすぐ、賄い班と呼ばれる料理人チームは、四方八方飛び回り、食材を用立てて来たのでございます。
「薬膳鍋でございます」
この頃、大層お気に入りの離れの和室で、夕餉を召し上がると若様がおっしゃったので、私共は、夕餉一式を和室にお運び致しました。
「うわぁ!すごい!まだグツグツいってる!」
「大変お熱うございます。くれぐれもお気を付けてお召し上がりくださいませ」
「あ!皇……熱いのダメだよね?すぐには食べられないか?」
「……そなたが、いつぞやのように、吹いて冷ませば良いではないか」
「えええええっ?!」
その若様のお言葉を耳にした瞬間、私は若様のご本意を理解したように思います。
若様が一番最初にこの梓の丸で朝餉を召し上がられた時、雨花様がご飯を冷まして、若様のお口に入れて差し上げていた甘酸っぱいあの光景が、頭にぶわーっと広がりました。
あの時、若様は心なしか、嬉しそうなお顔でいらっしゃいましたし……。
熱い夕餉をご所望になられたのは、またあの時のように、雨花様にふーふーと冷まして食べさせてもらいたいと……そういうこと、ではないでしょうか。
やはりあの時若様は、心なしかではなく、ものすごく……嬉しかったのですね?
お気持ち……お察し致します。
「やっ……だって!自分で出来るだろっ!ふうふう吹けばいいだけなんだから!」
「吹けば良いだけと申すなら、そなたが致せ」
「はぁ?」
「雨花様、本当にお熱うございますので……。万が一若様がやけどをなさっては大変です。ここは、慣れていらっしゃる雨花様が、して差し上げたほうがよろしいのでは?」
差し出がましいようですが、そう言って若様を援護して差し上げました。
雨花様はいつものごとく顔を赤らめて、大層照れたご様子。
しかし、このまま雨花様が戸惑っているうちに、食べ頃の温度に下がってしまっては大変です!
若様が密書を走らせてまで、熱い物を望まれたのは、雨花様に冷ましてもらいたいということなのでしょうから……梓の丸の賄い方筆頭として、そこはどうにか、若様のお望みを叶えて差し上げねばなりません!
「余がここでやけどなどしてみよ。そなたが家臣団に責められる。そのようなことにはしたくないのだ」
おお!若様!そうきましたか!ここは私も、さらなる援護をしなければ!
「私がこのように熱い物をお出ししてしまったばかりに……これからは気を付けます」
「余と雨花のために、よくよく熟考した献立であろう。熱き物は冷ませば良い。気に病むな」
「あ、ありがとうございます!」
若様!確かに本日の薬膳鍋は、私たちがお二人のために、よくよく考えた末の献立です!そのようなお言葉をかけていただけたのですから、朝からバタバタと準備をした甲斐がありました!
「あ……皇、あの……オレからも……ありがとう」
あ……雨花様が大層顔を赤らめて、喜んでいらっしゃる。
これは!図らずも雨花様の、若様への好感度を上げることに貢献出来たでのではないでしょうか?
「礼を言われる筋合いではない。そなたの側仕えも、余の家臣だ」
「……うん」
「そなたが吹いて冷ますのを疎ましく思うのであれば、別の者にさせよう」
「えっ?!べっ……別に!その……お前が一人で熱い物も食べられなかったら、これから大変だろうなって思ったから自分でやれって言っただけで……他の人にやらせるなら……オレが……その……オレ、嫌って言ったわけじゃ……お前がどうしても出来ないなら……その……」
雨花様はブツブツとおっしゃりながら、若様に薬膳鍋を取り分け、照れながらも冷まして差し上げると、若様のお口に運ばれるということを、何度も繰り返されました。
前回のご飯の時も思ったのですが……若様は、冷ませ、とはおっしゃいましたが、口に運べとまでは、おっしゃっていらっしゃらないんですけどね。
そんなところが本当に可愛らしいお方なんです、雨花様は。
そんな雨花様から、少しずつ薬膳鍋を食べさせられている若様まで、何だか可愛らしく見えて参りました。
あ……若様を可愛らしいだなど……口が裂けても言えませんが。
とにかく……お二人を見ておりますと、大変微笑ましく、胸が温かくなるのです。
「お茶をお持ち致しましょうか?」
夕餉が済んですぐ、お勉強を始めた雨花様を眺めていらっしゃる若様にそう声を掛けますと、若様はほんの少し、口の端をお上げになりました。
「ああ、二位。今宵の鍋……誠に美味かった」
「あ!うん!ふたみさん、本当に美味しかったです!ごちそうさまでした」
「ありがたいお言葉、傷み入ります」
お二人に美味しかったと言っていただける夕餉を出せたのだと、私は大変幸せで……胸がいっぱいになりました。
「ああ、茶は要らぬ。もう皆、休むが良い」
そう言って、若様がつっと、雨花様の足の裏を撫でたのが、目の端に映りました。
薬膳鍋の中には、少なからず精のつく食材も入っておりました。
これ以上、お二人の邪魔をしては、野暮というものでしょう。
「かしこまりました。おやすみなさいませ」
私は静かに扉を閉めました。
どうぞ幾久しく……お二人が仲睦まじくありますように。
そう祈りながら。
Fin.
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