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五位は見た
こんにちは。私、鎧鏡家奥方様候補雨花様専属梓の丸中臈次点 側仕え第五位……梓の五位 です。
私は、雨花様の側仕えとして鎧鏡家で勤めながら、学生として、神猛学院の大学院に席を置くことを許していただいております。
神猛学院は、幼稚舎から大学院まで、同じ敷地内にあるものですから、ごく稀にではありますが、学院内で、若様や候補様方のお姿を、拝見することがあります。
さて、先日のことでした。
お昼ご飯をとろうと食堂に行きますと、高等部の中庭に、若様と雨花様が並んで歩いていらっしゃるのが見えました。
調理場が同じらしい高等部と大学部の食堂は、隣接しています。共学である大学部の学生は、男子校である高等部に、容易に入ってはいけない決まりがあるのですが、この食堂からですと、低い塀の向こうの高等部の中庭が、よく見えるのです。
この日は盛夏を思わせるような、そんな季節外れの陽気だったせいか、中庭にはお二人以外、誰の姿も見えませんでした。
今まで若様は、学院内ではお詠様とご一緒にいらっしゃることが多いようでしたので、このように、学院内で、若様と雨花様がお二人揃っていらっしゃるお姿を拝見するのは、私にとって初めてのことでした。
今日は雨花様のランチ当番の日だと、朝から張り切っていらっしゃった二位様のお姿がすぐ頭に浮かびました。
まさかお二人が揃っていらっしゃる場面を見られるとは……。
私がご飯を食べるのも忘れて、お二人を凝視しておりますと、ふいに後ろから声を掛けられました。
「あっれ?五位さん!」
うわっ!うるさいのが来た。
神猛学院の大学部に通う八位 に、見つかってしまいました。
こいつは無駄に声が大きいので、今だけは見つかりたくなかったのですが……。
「五位さん、何食べてるんですか?」
「ん?」
私は、中庭のお二人から視線を外して、何事もなかったように、八位に笑いかけました。
こいつにあんなお二人が見つかれば、騒ぎ立てるに決まっています。
お二人を静かに見守るには、知らん振りをするに限るでしょう。
「八位はこれから頼むのか?これ美味いぞ」
「へ?まだ一口も食べてないみたいですけど」
あ。
「いや。……前、に、食べたことがあってだな」
「へーそうなんですか?じゃあ、私もそれにします」
八位は、当たり前のように私の前に座り、座席のタッチパネルで、私が勧めた日替わりランチを注文しました。
「五位さん?」
「ん?」
「……写真を撮ったら駄目でしょうか?」
八位は声を潜めてそう言うと、外にチラリと視線を投げました。
お二人のことに気付いていたのか?目ざとい奴め。
「駄目に決まっているだろう?そっとしておきなさい」
「でも学院内でのあんなお二人、この先見られるかどうかわかりませんよ?これは、皆様にもご報告すべきなんじゃないんですか?」
確かに、それは一理ある。
「……いやいや、駄目だ!」
こんなところからこっそり隠し撮りなど、失礼極まりないではないか。
「五位さん、今ちょっと、考えましたよね?」
「……とにかく、大人しく見守りなさい」
「わかりました」
それから、八位と二人で昼飯を食べながら、中庭のお二人をこっそり見続けました。
雨花様は先程よりずっと、中庭にある色々な木を指差しながら、何やら若様に話し掛けていらっしゃるようでした。
「何のお話をなさっていらっしゃるのか……」
私がぽそりと呟くと、目の前の八位がおもむろに双眼鏡を取り出し『えーっと、雨花様は今、”これはネズミモチ”?と言ってますね。中庭の木と花について、熱弁をふるっていらっしゃるようです』と、言いながら、鼻の穴を膨らませました。
「え?」
お声が聞こえるわけがない。
何故わかる?
お二人が好き過ぎるゆえの妄想か?と、いうよりも、いつも双眼鏡を持ち歩いているのか?お前は?
「読唇術です」
私が納得いかない様子でいると、八位は得意げにそう言いました。
「は?お前、そんな特技が?」
「まあ、特技というか、はい。あ!今若様が、いい加減座れとおっしゃいました!」
咄嗟に外を見ると、若様が雨花様の腕を引いて、ベンチに座ったところでした
本当にわかっているのか、こいつ。
「昼休みが終わる……と、若様がおっしゃいました」
見ていると若様は、二位様が作ったお二人分の弁当を開き、皿やら箸やらを取り出しているようでした。
若様自ら、あのようなことを?!
「何だよ!お前が聞くから説明してやったのに!と、雨花様が怒っていらっしゃいます。あははっ」
「笑い事か!」
全くもって八位は、まだまだ側仕えとしての心得がなっていないようです。これからも九位 様に、きっちりご教育していただかねば。
どうなるのだろうと見ておりますと、若様は雨花様に話し掛けながら、弁当から何かをつまみ上げたようでした。
「早う食わねば、余が全て食うてしまうぞ?と、おっしゃってますね、若様」
「ほぅ」
八位の読唇術を完全には信じ切れていませんでしたが、いかにも若様がおっしゃりそうな台詞です。
そのまま見ておりますと、雨花様はほんの少し動きを止めたあと、若様が箸でつまみ上げた何かにかぶり付きました。
「「あっ!」」
思わず八位と一緒に、大きな声を上げてしまいました。
「八位!大きな声を出すな」
「五位さんだって!」
ここから私共の声が、お二方に聞こえる訳はないのですが……。
それにしても、若様がお箸で挟んだ物を食べてしまわれるとは……雨花様は時折、驚くような行動を取られます。
八位と言い合いをしたあと、また外に視線を戻すと、雨花様が両手で顔を覆って、うつむいていらっしゃいました。
「「えっ?!」」
目を離したこの短い間に、一体何があったのだろうか?雨花様が、泣いていらっしゃる?
「何があったのでしょう?!」
八位は急いで双眼鏡を覗くと『あ』と、小さな声を上げました。
「どうした?」
「雨花様の耳が真っ赤です」
「あ?」
泣いていらっしゃったのではなく、照れていらっしゃるのか?
はあ……雨花様は本当に照れ屋でいらっしゃるので、なんとも雨花様らしいですが。
しかし、この短い時間で、雨花様が照れるような何が起こったのか……。
「チュウでもしましたかね?」
「なっ!何ということを!あのような公衆の面前で、若様がそのような破廉恥な真似をなさる訳がない!」
やはり八位は、まだまだ側仕えとしての心得に欠けています。
「破廉恥な真似って……本当に五位さんは、時代錯誤というか何というか」
「お前という奴は……九位様の気苦労が良くわかる」
八位と言い争いながら、目の端に項垂れる雨花様の頭を、若様が撫でたのが見えました。
「あ……」
「雨花……と、若様が名前を呼んでます……って、あっ!五位さん!私、もう行かないと!はあー……もっと見ていたいですけど、あとは頼みましたよー!」
何だって!?いいところで!
八位は『ではー!』と、軽く手を上げて、颯爽と食堂を出て行きました。
八位は目上に対する礼儀もなっていないようです。
しかしまぁ……不思議と憎めない男なのですが。
「全く……」
私が目を離している間に、外のお二人は普通に弁当を食べ始めたようでした。
遠目ではありますが、楽しそうなのはわかります。
「……」
私も読唇術を習得しようか?いやいや、ただの野次馬根性ではなく!八位の言う通り、このようなめでたい出来事は、梓の丸の皆にも伝えるべきことだろう。
「あ……」
高等部から、昼休みの終わりを告げるチャイムが聞こえてきました。
中庭の雨花様が、明らかにあたふたし始めたのがわかりました。
「ふふっ」
雨花様らしい。
その時、急いで何かを口に入れた雨花様が、胸を押さえたのが見えました。
「あ!」
どうやら急いで召し上がろうと、急いで口に入れた物で、胸がつかえたようです。
ハラハラしながら見ておりますと、若様が雨花様にコップを差し出して、背中をさすったのが見えました。若様っ!
すぐに雨花様は、コップを持ってあおりますと、ホッと息を吐かれたようでした。
「ほぅ……」
私まで息が詰まる思いでした。
若様が、雨花様のお顔を覗き込むように体を屈めたのが見えたすぐあと、雨花様が後ろに大きく飛び退いたのですが……え?何があったのだろう?遠目で、角度的にも良くは見えませんでしたが……。
先程の八位の言葉が頭を掠めました。
もしかすると本当に若様は、あのような公衆の面前で雨花様に……唇を付けるような破廉恥な真似を?あの若様が?お屋敷内ならいざ知らず……。
雨花様は周りをキョロキョロと見回して、顔を伏せてしまわれました。
あの照れ様……やはり……?
顔を伏せる雨花様の頭に、若様がそっと手を置くと、雨花様はバッと顔を上げて、急いで弁当を片付け始めたようでした。
そんな雨花様の隣で、若様は足を組み直し、全く急いでいる様子が感じられません。
雨花様は弁当を持つと、若様に何やら言ったのち、若様の手を引いて立ち上がらせ、先を歩き始めました。
「ふふっ」
お二人らしく微笑ましいご様子に、笑みが漏れました。
本日もお二人は、相も変わらず仲睦まじいご様子です。
雨花様の後ろを歩き始めた若様が、雨花様から弁当の包みを取り上げ、雨花様の手を引きました。
雨花様はほんの少し顔を下げ、若様に手を引かれたまま、高等部の校舎に入っていかれました。
全くもって、微笑ましい……。
さて。私も研究室に戻らねば。
お二人が並んで歩くお背中を思い出しながら、私は食堂をあとにしました。
どうか幾久しく、お二人が並んで歩いていかれますよう……そう願いながら。
fin.
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