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七位は見た
こんにちは。私は、鎧鏡家奥方様候補雨花様専属御髪番 梓の丸側仕え第七位……梓の七位 です。
本来、七位の仕事というのは、どこのお屋敷でも、候補様の毎朝の御髪の手入れに、身だしなみの全てを担当するらしいのですが、私は、毎日の雨花様の身だしなみのチェックと、一ヶ月に一度の散髪、イベント時のヘアメイクのみ、担当させていただいております。
それ以外は、余計な手出しはしないようにと言われておりますので、梓の丸に寝泊まりはしておりますが、普段は美容師として、父の店で働いております。
職業柄、なんでしょうか。
私は人様との距離感がおかしくなっているようで、いつからか髪に触れると、その方の人柄が、何となくわかるようになっておりました。
まぁお人柄がわかったところで、どうということはないですが。
さて、ある朝のことでした。
雨花様の身支度が整った頃合いを見計りお部屋に伺いますと、雨花様がベッドの上で、シロの下敷きになっていらっしゃいました。
よくあることですので、別段驚きもせず部屋に入りますと、雨花様は『すいません。まだ支度、終わっていないんです』と、シロの下で、赤いお顔をしながらそう仰いました。 ……見ようによっては、シロにそういった意味で襲われている最中と見えなくも……あ……いけない、いけない。ついあらぬ妄想を……。
美容師というのは、長時間人様の体に触れながら、話もせずに黙々と作業をこなすことが多い仕事です。そのせいでしょうか、私には、すぐにおかしな妄想の世界に入ってしまう癖がありまして……。
私はクールで冷淡と思われているようなのですが、このような癖があるとは、そんなイメージを持たれている方に申し訳なく思います。
「そのようですね。しばらくしてからまた参りましょうか?」
踵を返そうとしたところ、雨花様は『いえ、ちょっと待ってもらってもいいですか?』とおっしゃいまして、『こら、シロ!もうおしまい!』と、シロの大きな前足を、赤い顔をしながら持ち上げました。
雨花様は、こういうところが本当にお可愛らしいのです。
犬が怖い方には、失神しそうな光景でしょう。ですが雨花様は、幼少の頃、グレートデンを飼っていらしたそうで、大きな犬には慣れていらっしゃるのだそうです。
雨花様が、シロの前足からスルリと抜け出し、頭を撫でると、シロは雨花様のお顔をベロベロと舐め始めました。……これも、見ようによっては激しい愛撫………あ……いけない、いけない。
「うわぁ!シロ!やめって!」
やめてと言う割には、喜んでいらっしゃるようにしか見えない雨花様から、シロはなかなか離れません。
まぁ、私がシロでもそうするでしょうね。あの喜びようを見れば、もっと舐めてやろうと……あ。いけませんね。こんな妄想をしていることが露呈すれば、私は若様から打ち首です。
しばらくそうしたあと、ようやく『ホントにお終い』と言って、シロから離れた雨花様は、顔を洗ってお部屋に戻っていらっしゃいました。
「シロって、ああいうとこ、皇みたいですよね?」
「え……」
部屋に戻られた雨花様が、私にそうおっしゃったのですが……。
シロのああいうところが、若様みたい?どういうところが、でしょうか?雨花様の上に乗って、お顔を舐めまわすシロの姿しか、私の脳内には残っていないのですが。
そういったところ……ということでしょうか?それは……私では同意致しかねるというか……致しかねます、雨花様。
「え?あれ……何かオレ、おかしいこと言いました?」
「あ、いえいえ。雨花様、少し髪が跳ねていらっしゃいます」
返事に困りそう言いますと、雨花様は鏡をご覧になりながら『あ、ホントだ』とシロを睨みました。
「シロと遊んでたらぐちゃぐちゃになっちゃったよ、もう。こらー!ホント、可愛いヤツめ!」
シロの頭をぐしゃぐしゃと撫でたあと、雨花様は洗面所に入って行かれました。
「……」
もしや、”可愛いヤツめ”……と、いうところが、若様とシロの共通点なのでしょうか?
……。
謎のまま雨花様をお見送りし、部屋に戻りますと、一位さんがいらっしゃいましたので、質問してみました。
「一位さん」
「はい?」
「若様とシロは、似てますかね?」
「……七位。そのようなこと、人前で言ってはなりませんよ?」
「あ……いえ。雨花様がそうおっしゃっていたもので」
「ああ」
一位さんは『雨花様にはそう見えるのでしょうね』と、嬉しそうに笑っていらっしゃいました。
そういうことなのかもしれませんね。
シロが雨花様にだけあのように甘えるのと同じように、雨花様だけが知っている、若様のシロに似た一面があるのでしょう。
そんなことがあったのも忘れていた先日のことです。
若様のお渡りが言い渡され、私共側仕えは、みな玄関で若様をお迎えするため、整列しておりました。
若様がいらっしゃるのと同時に、黒猫が一匹、駆け込んで参りまして、若様の足元に擦り寄りました。
これは……ちょいちょいうちに迷い込んでくる、お詠の方様の愛猫スミですね。
駒様が顔をしかめ、スミを抱き上げようとなさると、若様は駒様を制してスミを抱き上げました。
若様に抱かれたスミは、若様の肩に擦り寄り『ンァ』と可愛い声を上げました。
「ふっ……雨花のようだ」
若様が小さく呟いた声は、一番近くにいた私にしか聞こえなかったでしょうか?
そのまま私にスミを渡し、若様は駒様のあとに付いて、雨花様の待つ部屋へと入って行かれました。
今のスミを見て、雨花様に似ていると、若様はおっしゃったんですよね?
今スミは、若様に一心不乱に駆け寄って抱き上げられ、肩に擦り寄って可愛い鳴き声を上げただけ……でしたが。
それが雨花様に似ている?
……スミを雨花様に変換して妄想致しますと、何というか……激しいエロティシズムが漂います。いけない、いけない!この妄想は本当に駄目なヤツです。こんな妄想をしているとわかれば、確実に若様から打ち首を命じられるでしょう。
まぁ、今のスミがどうのではなくとも、雨花様は猫っぽいでしょうか。私共には、優しくにこやかで癒し系の雨花様ですが、若様にはツンデレもいいところですからね。そんな雨花様だからこそ、若様の独占欲もキツくなるのでしょうか?
こちらに配属になりました当初、私が他の七位と仕事内容が違うのは、雨花様が自分のことは自分でやるのが当然として育てられた方のため、他人の手を借りることにストレスを感じるだろうから……という説明を受けたのですが……。
若様と雨花様が、初めてご一緒にお出かけなさった日、私が雨花様に頼まれてさせていただいた御髪直しも、若様はお怒りでしたから……。
ストレスになるだろうというのが、普段の御髪直しをさせていただけない理由であれば、ご本人の依頼でなら、してもいいはずなんですけどね?ご本人が望んでいらっしゃるんですから、ストレスを感じるわけないじゃないですか。
そんなことがありましたので、あの日、私の中で、普段私が雨花様の御髪直しをさせていただけない理由は、ただ単に若様が、雨花様を触らせたくないだけだろう、という結論に達しました。
私の勝手な憶測ではありますが、そのように思いますと、何というか……若様がお可愛らしく、人間味のある方に思えまして、それから私は、若様が大好きになりました。
こんなことを言うと、雨花様に距離を取られてしまうかもしれませんね。ふふっ。雨花様は、一見にこやかで上品な、おっとりした方のように見えますが、髪に触れるたび、案外負けず嫌いのやきもち焼きでいらっしゃるようだと感じるんです。
私の若様への好意が、あくまでお仕えする相手としてだとわかっていらしても、それすら妬かれそうですからね。
全く、雨花様も本当に、お可愛らしいお方です。
スミを抱いている私に、一位さんが『私が松の丸に返して来ましょう』と、手を差し出しました。
「一位さん?」
「はい?」
「雨花様とスミは、似てますかね?」
「……七位。そのようなこと、人前で言ってはなりませんよ?」
そう言われて、以前雨花様が、若様とシロが似ていると言っていたのを思い出しました。
「ふっ」
「どうしました?」
「あ……いえ。雨花様がスミに似ているとおっしゃったのは、若様なんです」
「ああ……」
その時、一位さんも、以前私が同じようなことを質問していたのを思い出したようで、おかしそうにクスリと笑うと『似ていらっしゃるんでしょうね』と、大事そうにスミを抱えて歩いて行かれました。
「ふっ……」
一位さんにスミを渡した腕の中が、何だか涼しく感じます。
ふと、スミを優しく抱き上げた若様のお顔を思い出し、胸が温かくなりました。
雨花様に似ているというスミを、あのように優しげに抱き上げるのですから……雨花様ご本人のことは、さぞ……あ……いけない、いけない。また、あらぬ妄想をするところでした。本当にいつか私は、若様に打ち首を命じられてもおかしくないですね。
さて。明日の朝、私の出番はあるのでしょうか?灯りのついた和室を見ながら、私は自室に戻ることに致しました。
どうぞ幾久しく……お二人が、同じ明かりを灯せますように。そう願いながら。
fin.
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