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母様の憂鬱~柴牧由加里の場合~

ちょっと、聞いてくださいます? うちのあっくん、先日、鎧鏡家の若様の奥方様候補に選ばれて『雨花様』になったんです。 桃紙がきた時点で、私はもう候補様になったも同然と思っていましたけどね。 あの子が若様に選ばれないわけがありませんもの。 思った通り、あの子は候補様に選ばれました。 ですが、問題はその先なんです。 あの子、見た目は私に似て、可憐で美しいですし、性格だって悪くはないと思うんです。ただ、あの子にはたった一つ、奥方様に選ばれないかもしれない残念要素があるんです。 あ、奥方教育をしていなかったということではないんです。 それは大した問題ではないと、お館様に言っていただきましたので、心配していません。 奥方教育を受けさせなかったのは、親である私たちの問題であって、あっくんにはどうにも出来ないことでしょう? そんな理由で奥方様に選ばないなんて言うのなら、最初っから奥方教育は絶対しないといけないことだと言っておいてくださらないと! そんな風には言われていないのですから、奥方教育うんぬんは問題にはならないはずなんです。 そんなことより、あっくん自身がもっと大きな問題を抱えておりまして……。 さらに悪いことに、あの子はそんな問題を自分が抱えているという自覚もないまま、鎧鏡家に花嫁修業に行ってしまったんです。 私、昔っからあの子には、嫁になるためのいろはを、本人に嫌がられない程度に仕込んできたつもりです。 主人から、息子が嫁に行く日が来るかもしれないと聞いておりましたので。 ですのであの子、家事なんかはよく出来るほうだと思うんですよ? 主人は、そんなこと出来なくても……なんて呑気なことを言ってましたけど、息子を嫁に出す母親としましては、家事もろくに出来ない子を嫁に寄越したなんて、思われたくはありませんでしょう? 一応あの子は、どこに出しても恥ずかしくない子に育ったと思ってるんですけど、実は親の私にも、直すことが出来なかった悪癖があるんです。 あの子……。 とにかく寝相が酷いんです! 寝相だけならまだしも、寝言も酷くて……。しかもよだれまでよく垂らす子で……。 いびきはかきませんが、一度寝るとなかなか起きない子で、一晩のうちに相当動いてますよ?あの子。 朝方は、何故か綺麗に寝ていることが多いんですけど、夜中覗くと、本当にひどい恰好で寝ているんです。 足はたいがいカエルのようにひし形になっていて、腕も、これで疲れが取れるのかしら?と思うほど、よく動かすんです。 そんなあの子と一緒に寝たりしたら、若様を傷付けてしまうのではないかと、若様が本当に心配で……。 あっくんは、いつから若様とお布団をご一緒にするのかしらと、奥方様候補に選ばれた日の夜は、とにかくそのことが心配で心配で寝付けませんでした。 「はあ……」 「どうしたの?」 「あなた……ねえ!あっくん、大丈夫かしら」 「大丈夫だよ。何も心配いらない。若様はきっと青葉を大事にしてくださる」 「あの子の寝相が、どんなに悪くても?」 「え?」 「どんなにハッキリとした寝言を言っても?!」 主人は吹き出して、大笑いしたあと、真面目な顔で頷きました。 「大丈夫だよ」 「どうしてわかるのよ!あの子、本当に寝相も悪いし、寝言もひどいの知ってるでしょう?」 「知ってるけど大丈夫だよ。寝相もママにそっくりで可愛いからね」 「えっ?!そっくり?!え?寝相が?嘘?!私、あんななの?!」 主人と結婚して、もう20年以上経ちます。自分の寝相がそんなに悪かったなんて、今初めて知りました。 「まあ、そっくりだよね」 「嘘……あなた、よく一緒に寝ていられたわね」 「まあね。だから大丈夫だよ」 主人はにっこり笑って、もう一度『大丈夫だよ』と、頷きました。 「パパァー!」 そうは言っても、あの子の寝相は本当にひどいんです。多分360℃回転くらいは、一晩のうちにしていると思います。 さらに寝言もハッキリ言うもので、ビックリするんです。 曲輪に上がる少し前、寝ているあの子をそっと見ておりましたら『フィフティーンラブ!』と、急に叫んだので、ものすごく驚きました。 間違いなく、テニスの夢を見ていたのでしょう。 一日二日なら笑っていられるかもしれませんけど、そんなあの子と、一生一緒のお布団で寝たいなどと、若様は思ってくださるでしょうか? 若いうちって、そんな寝姿くらいのことで、幻滅したりいたしますでしょう? あっくんは私に似て無駄に美人な分、そんな寝姿をさらしてしまったら、若様を激しく幻滅させてしまうのではないかと、ものすごく心配なんです。 寝相が悪いなんて理由で、実家に返されることになったら、あの子……すごくショックを受けるはずです。 あっくん、大丈夫かしら?ああ、ママ、心配。 私、小さいうちから勘が鋭かったんです。 人の好意や悪意……感情を敏感に感じ取ってしまいますし、人のちょっとした変化も、すぐにわかってしまうほうでした。 変な話、友達が妊娠したのも、本人より先にわかるくらいですし、若い頃は友達が性的な初体験を済ませたのも、本人が言わなくてもすぐにわかりました。 葉暖(はのん)を出産したあと、随分鈍くなったなぁとは思いますけど……どうやらその敏感な体質は、葉暖に流れてしまったようです。 逆にあっくんは、びっくりするくらい鈍いですけどね。本当に不憫な子。いえ、むしろ鈍いくらいでちょうどいいのかもしれませんけど。 私の勘が随分鈍くなったといいましても、身近な人のことについては、未だによく感じ取れます。 葉暖に初潮が来るなっていうのも、わかっておりましたし。あっくんに精通が来るだろうっていうのも、わかりました。 葉暖が性的に『大人』になった時もわかってしまいましたし……あっくんがそうなった時も、絶対にわかるはずだと自負しておりました。 あっくんの寝相の心配がありましたので、毎日あの子の様子を見に行きたいくらいだったのですが、あっくんと若様の間に性的関係が生まれたのがわかったとして、私に何か出来るというわけでもありませんので、静観することに決めました。 こればかりは、若様がうちの主人のように、寝相なんて気にしない方であることを祈るしかありませんもの。   ですがやはり親ですので、あっくんの寝相が若様に呆れられてしまわないかどうかは、ずっと心配なままでおりました。 あっくんが鎧鏡家に花嫁修業に入ってしまってから、初めて里帰りをしてきたのは、八月のあっくんの誕生日のことでしたでしょうか。 その時には、まだあっくんは『子供』のままで、ガッカリ致しました。 私、早くあっくんが、若様とそういう関係になるのを待っておりましたので……。 とにかく早く『結果』を知りたかったんです。あんなひどい寝相の子でも、若様はいいと言ってくださるのかどうか。 結局、あっくんが『大人』になったのを私が確認出来たのは、あっくんが鎧鏡家に行ってから、半年以上経った、二月の年中行事のことでした。 雪見会で行われる豆撒きを遠巻きに見ようと、曲輪に出掛けて参りました時、上座に並んだあっくんが、『大人』になっていることにすぐに気がついたんです。 そんなあっくんを見て、私……人目もはばからず号泣してしまいました。 安心して……嬉しかったんです。 若様とそのような関係になったあっくんが、うちに返されていないということは、若様はあの子のあのひどい寝相も寝言もよだれも全て、受け入れてくださったということですから。 あんなあの子を受け入れてくださるなんて……若様はあの若さで、懐の深いお方。 あっくんがそんな方に見初められて、本当に……良かった。 豆撒きが始まってすぐに、あっくんが倒れたのが見えて心配したのですが、やぐらに立っていた若様が、飛び降りる勢いであっくんのもとに急いでいるお姿を見て、この方にならあっくんをお任せ出来ると、私はそのまま家に戻りました。 女である私には、鎧鏡家の奥方様候補になったあっくんの側についていてあげることは叶いません。でも……あの子には若様が付いていてくださいますから。 そのあとすぐ、鎧鏡家にいた主人から連絡が入り、あっくんの無事を聞きました。 「パパ?あっくんは絶対に幸せになるわ」 『どうしたの?急に』 「ふふっ、何となく」 主人には刺激が強いかと、葉暖が大人になった時も黙っておりましたが、あっくんが大人になったことも、黙っていることに致しました。 『もちろん、青葉は幸せになるよ』 「そうよね。ねえ、あなた」 『ん?』 「葉暖をこっちに帰ってくるように言ったほうがいいんじゃない?」 こうなった今、心配なのは柴牧の跡取りです。 『え?でも青葉が奥方様に決まったわけじゃないんだから、うちに帰ってくるかもしれないよ?』 「……帰らないわよ」 『ん?』 「あの子は、帰らない」 私には、予知能力なんてものはないですけれど、あの子の幸せがどこにあるのかくらい、わかるつもりです。 親ですもの。 「そう言えば、あなた、お豆拾えたの?あれをいただくと長生き出来るのよね?おばあちゃまにも送ってあげないと。早く帰って来て」 『わかったよ』 子供たちが私の手を離れて行くのは、誇らしい気持ちでもあり……同時に寂しくもあります。 あの子たちが私の手を離れたとしても、私の願いは、あの子たちが産まれた時からずっと同じ。この先も変わらないでしょう。 『どうか幸せでありますように』 さて……主人が現役を引退したら行こうと思っていた、世界一周旅行のプランを、練り始めようかしら。 子供たちの幸せのためにも、誰より私が人生を楽しまなくちゃいけませんものね。 Fin.

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