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モブは語る~ある日の梓の丸オールスターズ~
あの……。私……梓の丸の二位 様の下で、賄 い方をしている者なんですが……私が体験した”ある日”の話を、させていただいてもよろしいでしょうか?
若様がお渡りになった日のことでした。
夕餉の片付けをしていた私共賄い方のもとに、二位様から電話が入り、手の空いた者からお屋敷の最上階に来るようにと言われました。
二位様からの電話を取った私は、何か急用かと、急いで仲間の賄い方と二人で、最上階に向かいました。するとそこには、若様と雨花様、側仕えの皆様方が勢揃いで、遠くに上がる花火を観賞なさっていらっしゃったのです。
どこかの祭りで上げた花火のようです。
「ああ、こちらにいらっしゃい」
二位様は、私共を見るとそうおっしゃって、花火が良く見える場所に座るよう畳をパンパンと叩きました。
側仕えの皆様は、私共からしたら上司にあたります。雨花様は、私共にも気さくに話しかけてくださるようなお方ではありますが、雲の上のお方です。若様に至っては、もう雲の上どころか、もっと上のお方です。
私共のようなぺーぺーの使用人が、そのような皆様方と同じ部屋で花火を楽しむだなど、恐縮どころの騒ぎではありません。
「いいのですか?」
二位様に小さくそう問いますと『雨花様のご希望ですから』と、にっこり微笑まれました。
雨花様はこんな風に、私共下のほうの使用人にも、分け隔てなく良くしてくださいます。
しかし……この状況は……楽しめというほうが無理、というものです。
会社に例えて言いますと、役員、管理職の集いに紛れた平社員のようなものじゃないですか。緊張して、花火を優雅に観賞しているどころじゃありません。
私がそわそわしておりますと、端に座っていらっしゃった四位 様が、急に『うわあああああ!』と、大きな声を上げました。
「どうしました?」
大概のことでは慌てることのない一位様は、私なぞ飛び上がるほど驚いた四位様の騒がれっぷりにも、全く慌てることはなく、冷静にそうおっしゃいました。
「むっ!虫っ!」
四位様が差した指の先を、みんなが目で追いました。
ほんの少しの静寂ののち、あげは様が、四位様よりも大きな声を上げて、隣のぼたん様に抱きつきました。
それを見た雨花様は『虫?』と、立ち上がって、四位様の指さす方へと歩いて行かれました。
「ああ、なんだぁ。……んーっと、ほら。”かまどうま”だよ、あげは」
「ぎゃあああああああっ!!」
私からは見えませんでしたが、雨花様の手の中には間違いなく『かまどうま』がいて、近くからあげは様に見せたのではないかと……。
かまどうまって……どんな虫だろう?雨花様が虫にお詳しいとは知りませんでした。
「あげは、若様の御前で、見苦しい」
三位 様は顔をしかめて、あげは様を叱りました。
二位様は『かまどうまなんて、曲輪ではゴキブリくらいよく見る虫じゃないですか』と、笑っています。
え?そうなんですか?かまどうまって、ゴキブリくらいよくいる虫なんですか?
「だって、何なんですか?その足ーっ!」
あげは様は、ぼたん様の背中に隠れたまま、雨花様の手を指さしました。
「足?」
「何か、太もも、すごかったですよ?」
「太もも……ぷはっ……あはははははははっ!」
「雨花様ぁ、怖いですよー!早くどこかにやってもらえないですか!?」
あげは様は本気で嫌がっているようです。そんな様子も大変、お可愛らしい。
「あははっ。わかった。じゃあ、外に逃がして来ようね」
そう言って、雨花様は部屋から出て行こうとなさいました。
それを見た一位様は雨花様をお止めになり『いえ!若様がいらっしゃるというのに……誰かに行かせます』と、おっしゃいました。
それを聞いた側仕え様方のお顔が……。
騒いではいらっしゃいませんでしたが、明らかに一位様の提案に対し、七位 様、八位 様、十位 様は『無理!』と、目で訴えていらっしゃいました。
そのお顔を見た雨花様は、クスクスと笑って『オレが行って来ますよ。すぐ戻ります』と、トントンっと階段を下りて行かれました。
一位様はすぐ若様に『申し訳ございません』と謝ると、若様は鼻で笑って『良い』とおっしゃいました。
しばらくすると、雨花様は何やら分厚い本を一冊抱えて、戻っていらっしゃいました。
「あげは」
「はい?」
「はい、これあげる」
雨花様があげは様にお渡しになった本を後ろから覗き込むと『昆虫図鑑』と書いてありました。
「知らないから怖いんだよね?かまどうまは、全然怖くないよ?調べてごらん?」
あげは様は、雨花様から昆虫図鑑を受け取りペラペラめくると、顔をしかめていらっしゃいました。
「あ!花火もうすぐ終わりかな?」
雨花様は、若様のお隣にぴたりと寄り添うように戻られると、そうおっしゃいながら、若様を見上げられました。
はぁ……微笑ましい。
「あっ!!」
その時、顔をしかめながらペラペラと昆虫図鑑をめくっていらしたあげは様が、また大きな声を上げました。
「また虫っ?!」
四位様はすっかり”かまどうま”に恐れをなしていらっしゃるご様子で、辺りをきょろきょろと見回していらっしゃいました。
「違います!これ!ダニですっ!」
あげは様は興奮したご様子で、昆虫図鑑をご自分の前に置いて、トントンと指で叩いています。
「ん?ダニがどうした?」
あげは様は昆虫図鑑の『ダニ』のページを指していらっしゃるようです。
それを覗き込んだ五位 様が、あげは様に優しげにそう聞きました。
「いつか雨花様が、首のところが赤くなっていらしたのは、ダニのせいっておっしゃってたの、五位様、ご存知なかったでしたっけ?これに刺されたってことなんですね?ん?違うか?噛まれたって言うんですか?」
「……」
それを聞いた側仕え様方が、一様にシーンと静まり返られました。
雨花様はその場で固まっていらっしゃいます。
雨花様がダニに噛まれた?この梓の丸のお屋敷で、しかも雨花様のお部屋にダニなどいるわけがないと思うのですが……。
どこで噛まれたのでしょう?
「あれ?マダニは要注意って書いてありますよ!雨花様、大丈夫なんですか?!」
それを聞いて若様が『何?!』と、眉を寄せました。
「そなた、どこで噛まれた?!外か?いつだ?!」
雨花様はシロのお散歩で、ちょくちょく外に散歩にお出かけになられます。
シロに引かれて、藪の中に入られることもあるでしょう。
若様は見たこともないほど慌てたご様子で、雨花様の腕を掴みました。
「ちょっ……いいから!」
「あ?良い訳があるか!」
「心配いらないから!」
「余の心配は要らぬと申すか?!」
若様相手にこのような物言いをなさるのは、候補様の中でも雨花様くらいのものらしく、御二方のこのようなやり取りのことは、他の屋敷の者たちには話さぬよう、梓の丸の使用人は、一位様から厳重な箝口令が敷かれております。
御二方にとってはいつものやり取りなのでしょうが……大丈夫でしょうか?
私の心配をよそに、側仕え様方は相変わらず微妙なお顔のまま、何もおっしゃいません。……どうなされたのだろう?
「違うよ!もー!……とにかくもう、いいから!お前は黙ってて!」
「外で噛まれたのではないのか?そなたの部屋で噛まれたのであれば、屋敷中を消毒して……」
「ホントいいからっ!」
「良いとはなんだ?!余はそなたを案じて……」
「もーっ!だからっ!!お前がダニなんだよっ!バカっ!」
ああ……。
雨花様の今のお言葉で、私にもこの皆様の微妙な空気がどういうことか、わかったような気がします。雨花様を噛んだ”ダニ”の正体が……。
私が思っている通りならば、あげは様にご理解いただくには、まだだいぶお早いかもしれませんね。
「あ?」
顔をしかめた若様の手を、雨花様がギュッと握ったのが見えました。
「もう、ホントお願いだから、お前は黙ってて」
そのあと、一位様があげは様に『あれから”ダニ”は出ないようなのでもう心配要りませんよ』と、笑いかけると、あげは様は『良かったぁ』と、納得されたようでした。
本当にお可愛らしい。
それを聞いた雨花様が若様を見上げて、吹き出していらっしゃいました。
若様はまだピンときてはいらっしゃらないご様子でしたが、吹き出されたのに腹を立てたのか、雨花様のおでこをピンッと指で弾かれました。
「いったぁ!」
「余を見て吹き出すとは……」
「だって……ぷはっ!……あっ!ホントにもう終わっちゃうかも!」
雨花様が視線を移した窓の外には、大きな大きな花火が、オレンジ色の光を放ちながら、空に大きく広がり、散っていきました。
「ふわぁ……綺麗だね」
「……ああ」
若様と候補様のお幸せそうなお姿を、このように間近で見られるとは……。
他のお屋敷では、許されないことだと思います。
梓の丸に配属されて、本当に良かった……。
後日、雨花様があげは様にプレゼントなされたあの昆虫図鑑は、見ているのが怖いというあげは様から、色々な側仕え様の間をたらい回しにされたのち、私のもとにも回って参りました。
かまどうまを調べましたところ、確かにすごい”太もも”を持った、エイリアンチックな虫でした。
かまどうまを調べたのち、私もこの昆虫図鑑を手元で保管するのは気が引けましたので、同じように他の使用人に回したのですが……結局最後は、側仕え様方の控室の本棚に、ひっそりとおさめられたということです。
それにしても……あのかまどうまを素手で掴んでいらしたとは……。可憐な容姿で虫にお強い、うちの雨花様は本当にカッコイイお方です。
えっと……以上。雨花様はカッコイイという話でした。あ……では。これにて。
Fin.
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