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風呂はないほうがいいという意見の一致がございました

中秋の名月が昇るという日のことでした。 駒様から、昼前に、今夜若様の渡りがあるとのご連絡をいただきました。 「今夜、で、ございますか?」 「今夜です」 「よろしいのでしょうか?」 若様がどの候補様にお渡りになられたか知っておくのは、一位の仕事でございます。 今までの渡りの記録を確かめるに、そろそろ雨花様のもとにお渡りくださってもおかしくない頃ではございました。 ですが、中秋の名月の夜、若様がどちらかにお渡りになるとは思っておりませんでした。 何故なら、中秋の名月の月見は、特別だからでございます。 鎧鏡家では、中秋の名月を見た同じ庭にて、次の満月である十三夜の月見をしなければ、月の魔物に心を奪われて、二度とこの世に戻れないとの言い伝えがございます。 中秋の名月の今夜、雨花様にお渡りになるということは、十三夜の夜にも、雨花様にお渡りになるとお約束いただいたということになります。 「何か問題でも?」 駒様が十三夜の月見を知らないわけがありません。 それでもそうおっしゃるのでしたら、今夜の若様のお渡りは、何の問題もないということなのでしょう。 「いえ、お待ちしております」 「お願い致します」 雨花様は生徒会の引継ぎで、帰りが遅くなる日が続いていらっしゃいます。 ですが今日は、お早く帰っていただかねば……。 私はすぐに、雨花様に連絡を取らせていただきました。 若様が今夜いらっしゃるとメールをすると、雨花様からすぐに『わかりました』と、返事がございました。 「三位(さんみ)」 近くを通った三位を呼び留め、若様を出迎える準備を整え始めるよう、指示を出しました。 雨花様が、若様とお月見をするとおっしゃったのは、私の予想の範囲内でございました。 ですが、月が隠れてしまったのは、予想外です。 まるでお二人を月の魔物から守るように、お二人が屋敷の最上階に上られてすぐ、雲が月を覆ってしまいました。 そのような状態でございましたので、夕餉の膳を下げに行った二位から『若様と雨花様はすぐにお部屋に戻られるそうです』と、報告を受けた時、そうでしょうねと、すぐに納得致しました。 今夜も和室にいらっしゃるでしょうから、和室にお茶をお持ちしたらいいでしょうと二位に提案し、お二人が下りていらっしゃるのを待っておりました。 しかし、しばらく経っても、一向に下りていらっしゃる様子がございません。 「何かあったのでしょうか?」 一緒に階段下でお二人を待っていた三位が、眉を寄せてそう言いました。 最上階は、ぐるりと廻り縁で取り囲まれた見晴らしのいい部屋です。 ですがその分、無防備な空間……とも言えるでしょう。 この曲輪内において、若様と雨花様に『何か』などないだろうとは思っていても、サクヤヒメ様のご加護が厚くない、奥方様候補の雨花様には『何か』があってもおかしくはありません。 月が出ないからと、窓から身を乗り出して落ちそうになる……だの、お団子を頬張り過ぎて喉に詰まらせていらっしゃる……だの。 『何か』を考え出したら、きりがありません。 「様子を伺って参ります」 私は階段を上り始めました。 階段を上りきった時、最上階の部屋からは何も聞こえませんでした。 「失礼致します」 「どう致した」 若様の返事に、お二人はご無事のようだと、ホッと胸を撫で下ろしました。 ですが……何か少し……違和感がございました。 何が、とは、説明のしようがないのですが……。漠然とした、違和感でございます。   「すぐ戻るとのことでしたが、いかがなさいましたか?」 まだ月は出ていませんでした。今夜、月見は出来そうにありません。 「雨花が、今しばらく月を待つと申しておる」 今夜は中秋の名月。自然を愛する雨花様が、まだ月を待ちたいとおっしゃるのは、容易に想像出来ました。 月のない暗い空でも、お二人ご一緒なら、いつまでも眺めていらっしゃれるのでしょう。 まだしばらくこちらにいらっしゃるだろうと、お茶をお持ちしますと申し上げますと、部屋の中から若様が『茶は要らぬ』と、おっしゃいました。 「そなたも要らぬであろう?」 若様が雨花様にそう伺った声が聞こえました。 そう言えば、先程から雨花様は何もおっしゃいません。 私が感じた違和感は、それ、でしょうか。 雨花様が、私の問いかけに何もお答えにならないなど、そうそうありません。 もしや……またお二人で揉めていらっしゃるのだろうか? その時、小さなうめき声が、部屋の中から微かに聞こえました。 これは……。 その声が聞こえるまで、若様がこの最上階の部屋で、雨花様と睦み合われるかもしれないなどという考えは、私の頭の中に全くありませんでした。 警戒心の強い若様が、四方がガラス張りの、見晴らしの良すぎるこの部屋にて、雨花様をお求めになられるなど、あるわけがないと決めつけていたのです。 ですが、今のお声は……。 よく耳を澄ませますと、やはり小さい呻き声が聞こえて参りました。 「かしこまりました。失礼致します」 努めて冷静にそう返事をし、足早にその場を立ち去りました。 なんという失態でしょう!若様と雨花様の睦み合いを、他でもない、一位である私が妨害してしまうとは……。 階段を下りて参りますと、三位が心配そうに『どうでしたか?』と、聞いて参りました。 「まだしばらく月を待たれるそうです。そのうち戻られるでしょうから、和室にお布団の準備を抜かりなくしてください」 三位にそのように指示を出し、私は心を重くしながら、控室に戻りました。 「はぁ……」 「どうなさいましたか?」 「あ……」 声を掛けられ振り向くと、十位(とおみ)がコーヒーを差し出してくれました。 「お疲れですか?」 「……ありがとうございます」 ほどよい温度のコーヒーが、喉を通って胃に沁み渡りました。 「若様と雨花様は、まだ下りていらっしゃらないのですか?」 「あ……はい……」 再びため息を吐いてしまうと、十位が『何かありましたか?』と、私の隣に座りました。 「……」 自分で思うよりもずっと、先程の”失態”が、堪えているようです。 私は十位に、先程の失態を打ち明けることに致しました。 「一位である私が、お二人の邪魔をしてしまうなど……」 またため息を吐いて、机に突っ伏した私の頭に、ふわりと温かい重みが乗せられて、すぐに離れていきました。 「落ち込むことではないでしょう?」 「え……」 「のんちゃんが邪魔をしに行ったのも、いつかお二人が今夜を思い出される時の楽しいネタになりますよ」 「そう、でしょうか?」 「ええ。人間には、少々のハプニングが必要です。ハプニングを提供出来たのですから、喜んでいらしたらいい。八位がのんちゃんでしたら、ガッツポーズをしていたでしょうね」 そう笑われて、確かに八位ならそうするだろうと納得しました。 しかし、八位ならそれでも良いでしょうが、私は一位です。先程のことでガッツポーズなど致しませんが……十位が言いたいことは、十分理解出来ました。 「ありがとうございます。でも、ここでのんちゃんはいけませんよ。何度も言っておりますのに……」 「一位様と呼ぶことに、慣れてしまいたくありませんからね」 「……」 その時、静かな屋敷に、ドタドタという大きな足音が響きました。 「えっ?」 十位と顔を見合わせて、急いで控室を出て行きました。音が聞こえるのは、間違いなく最上階に続いている階段からです。 階段の下に行ってみますと、すでに三位がそこにいて『どうなされたのでしょうか』と、聞いて参りました。 「どうなさったのでしょう?」 階段を急いで下りる音がピタリと止むと、すぐに上のほうから、雨花様の『ついてくんな!』という声が聞こえて参りました。 「喧嘩……でしょうか?」 「どうでしょう?」 ついさっきまで、睦み合っていらっしゃったはずですが……。どうなされたのでしょうか? すぐにまた階段を駆け下りる音が聞こえて来て『ゆっくり来いって言ってんじゃん!』という、雨花様の声が聞こえてきました。 ……どういった状況なのでしょうか?若様も何かおっしゃっているようですが、内容までは聞こえません。 階段を下りる足音と共に『やだ!』『来るな!』という、雨花様の声が聞こえてきます。 どんどんお二人の足音が近付いてくると、雨花様の声も大きく聞こえて参りました。 『ぜーーーったい一緒に入んない!』という、雨花様の声が聞こえた時に、お二人が何で揉めていらっしゃるのか、私にもようやく理解出来ました。 後ろを振り向くと、お二人の足音に気付いて集まったのか、側仕えが何人も立っておりました。 「一緒に入らないって、もしや……」 目が合った四位(しい)がそう問いかけたのを、途中で『しっ!』と制しました。 お二人の足音からすると、もうすぐでもここまで下りていらっしゃるでしょう。 みながここにいるのを知れば、雨花様はまた無性に恥ずかしがられるに違いありません。 「みな、下がりなさい」 出来る限り小さい声で、みなを階段下から離れるように指示し、お二人から姿を隠して様子を伺っておりますと、お二人はものすごい勢いで、階段を下りていらっしゃいました。 「追いかけてくんな!」 「そなたが逃げるからであろう」 「お前が追いかけてくるからだろ!」 「そなたが余を拒むからであろう」 「拒むに決まってんだろ!お風呂は普通一人で入るもんなんだよっ!」 「余は一人で入ることのほうが少ない」 「……この殿様がぁっ!」 若様と雨花様は言い合いながら、ものすごい勢いで、和室のほうに走って行かれました。 「風呂に……ご一緒に入るか入らないかの揉め事、でしょうか?」 四位が明らかに笑いを堪えながらそう聞いて参りました。 「……そのようですね。風呂の準備は、抜かりないですか?」 「はい」 三位が真面目な顔で頷きました。 「最上階にも、風呂を造らせたほうが良いかもしれませんね」 中秋の名月である今夜、若様がこちらにいらしたということは、来月の十三夜にも、若様はこちらで月見をなさるおつもり……と、いうことです。 また最上階で、お二人で月見をなさるのなら、今夜のようなことがあって然るべきと考えて良いでしょう。 そうであるなら、あの部屋に風呂があったほうが何かと便利なのではないでしょうか。 お二人の剣幕に心配して、こうして集まってしまっている私たちのためにも……。 「一位様、不便だからこそ良いということもありますよ?」 私の呟きを聞いた十位が、そう言いました。 「そうですよ。若様も雨花様もすごく楽しそうだったじゃないですか。最上階に風呂があったら、あんなことにはなっていらっしゃらなかったってことですよ?一位様」 十位の言葉を後押しするように、四位がそう言いました。 「そうですよ。本当にお二人、楽しそうでした」 「あのような若様、初めて見ました」 周りのみんなも大きく頷いています。 私も、あのように仲睦まじく、どなたかと追いかけっこをなさる若様など、今までの自分の記憶をたどってみても、一度もありません。 お二人があのように楽しげな状態でいらしたのも、最上階に風呂がないため……と、言えるでしょうか。 「……そうですね。では、風呂は造らずにおきましょう。和室の風呂の準備は抜かりないですね?」 「はい、一位様。大丈夫です」 「一位様、飲み物はいかがいたしましょうか?」 「催促をいただくまで待ちましょう」 「はい、一位様。かしこまりました」 「最上階のしつらえをお下げして、みなで、二位の練った団子をいただきましょうか」 「はい、一位様。では、お下げして参ります」 今宵も仲睦まじい若様と雨花様のお姿を拝見出来、梓の丸は、どこか幸せな空気に包まれております。 この日のことを、いつかお二人で笑い合ってくださる日が来たら……その時には、私も今日の自分の失態を、笑って許せる気が致します。 「どうなさいました?」 十位が私の顔を覗き込みました。 「何が、ですか?」 「嬉しそうでしたよ」 「嬉しいですからね」 「……そうですね」 今宵は中秋の名月。 残念ながら、満ちた月は見られませんでしたが……私の心は満ちて、苦しいほどです。 若様と雨花様も、心は満ちていらっしゃったらいいのですが……。 それは要らぬ心配というものでしょう。 「さぁ、みなで団子をいただきましょう」 Fin.

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