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空気になれたらいいな♪

雨花様が、若様の奥方様に決定したと、鎧鏡一門に十分知れ渡っただろうあとの話です。 うちの次代様……ぼたん様が生死をさまようほどのお怪我を負った、あの忌まわしき島……『竜宮』に、私は雨花様の護衛として、同行することになりました。 若様から依頼されたわけではありません。もともと私は、御台様に仕える忍びです。ですが、私自身が若様の奥方様候補となり、若様をお守りするよう命じられたあたりから、どさくさ紛れに若様から、何かを命じられるということが増えておりました。 ですが、雨花様が曲輪に入られたあとは、御台様からも若様からも、雨花様を守るようにと命じられておりましたので、雨花様の護衛が主な仕事になっておりました。 姿は見せず、密やかに雨花様を守るよう言われておりましたが、新年会でのあの若様の宣言後、御台様より『青葉は私の後継者。また青葉を危険に晒す輩が出てきたら、躊躇わず消せ。何があろうとも必ず青葉を守るよう』……と、命じられたのです。 ですので、私は新年会後、雨花様に張り付いておりました。若様からどれだけ疎まれようとも、雨花様のおそばを離れるわけには参りません。 ですが若様は、隙あらば雨花様とお二人きりになろうとなさるので、油断も隙もありません。 御台様に、『若様が私を撒いて、雨花様とお二人きりになろうとなさって困ります。雨花様の護衛に関しましては、一番の邪魔は若様です』と、ご報告申し上げましたところ、御台様から正式に、雨花様付きの忍びとして任命されました。 私が仕えるべき主が、御台様から雨花様になった……と、いうことです。 雨花様の命令で私がおそばにいるとなれば、若様は何も文句をおっしゃいません。撒かれることもないでしょう。若様は、本当に雨花様に弱いですので。 と、いうことで……竜宮にも、若様の操縦するおかしな飛行体に同乗し同行するよう、雨花様から依頼されたのです。 竜宮にお二人がいらっしゃる目的は、藍田家のご長男様である静生様にご招待されたから……と、伺いました。 静生様とは、幾度か直接お会いしております。 忍びとしてお仕えする方のご友人とお話しをするなど、普通でしたら考えられません。ですが、藍田家に仕える忍び……藍田家では、”影”と呼ばれているようですが……静生様の影は、私と同郷……すなわち、ぼたん様が次の(かしら)をおつとめになる、忍びの一族”(かける)”の出身ということもあり、若様が静生様とお会いになる際には、同郷の忍び同士、互いに姿を見せるのが常だったからです。 我が一族”翔”は、鎧鏡家のみに忠誠を誓った集団ではありません。お頭様が、依頼人の報酬に納得すれば、依頼人にどのような背景があろうと依頼を受けます。 敵対する集団どちらにも、我が一族がついていた……なんてこともございました。そのような場合でも、我らは、受けた依頼を粛々と遂行するだけです。仕事に私情は挟まない。それが、我が翔一族の掟であり、誇りでもあります。 私がお仕えする鎧鏡一門と藍田家は、大変良好な関係のようです。ですので、藍田家にお仕えする影と、鎧鏡一門に仕える私共が、同郷同士で敵対する心配は、今のところなさそうです。 静生様がこの竜宮を、大老様の依頼で、雨花様の避難場所にとご提供くだされたのは、静生様と若様の強い絆があってこそ……だったようです。 藍田家の三男衣織様が、雨花様に近づいていらしても、鎧鏡と藍田の関係が崩れなかったのは、若様と静生様の、そのような絆があったからだと伺っております。 「しゅー!」 竜宮に着陸した飛行体から外に出ると、静生様が待ち構えていたように、私たちに手を振って出迎えてくださいました。 静生様は若様を『しゅー』とお呼びになっていらっしゃいます。 「おお」 静生様とご一緒の若様は、普段より少し、幼いような印象を受けます。 静生様に手を振り返した若様は、雨花様の背中を押して、気持ち足早に静生様のもとに近づいていかれました。 「こんにちは、しーくん」 雨花様はそう挨拶して、静生様と握手を交わしました。 昨年末、この竜宮で、雨花様は初めて静生様にお会いし意気投合なさったらしく、それから幾度かお会いになっていらっしゃいます。 同い年の静生様を、いつの間にやら『しーくん』とお呼びするようになられたようです。 「おー、雨花。いしゃあ、やっぱガリッガリだな」 静生様が、雨花様のおなかに手を伸ばしたところ、若様が静生様の手を払いのけました。 静生様は吹き出され、大笑いなさいました。 「腹いてぇわぁ。このしゅーがヤキモチか?ホントすげぇわ、雨花は。ガリッガリだけどな」 「ガリガリ関係ないだろ!」 静生様は涙を流して笑いながら、若様と雨花様、そして私を、竜宮の中央にあるお屋敷へと招き入れてくださいました。 すると、屋敷の奥から、静生様の影……鈴ケ峰灯(すずがみねともる)が、お茶とお菓子を持って来てくれ、こちらにペコリと頭を下げました。 「今日は何だ?わざわざこんなところに呼び出さずとも……」 「いやいや、ここなら誰にも聞かれねぇからな」 「あ?」 「(りん)の話だ」 「はいはい、そうだと思ってた」 雨花様は笑いながら腕を組みました。話を聞こうという姿勢のようです。 ここのところ、静生様とお会いすると、たいがいこの”凛様”のお話ばかりなさっているように思います。 おそばでお話を伺っているうちに、私も凛様事情に詳しくなっておりました。 凛様とは、静生様がお嫁様に迎えたいかた……とのことで。もちろん男性です。 詳しい話は長くなるので省きますが、先日までの話を要約すると、嫁探しのために上京することになった静生様は、生活の拠点をどこにするか下見にいらした時に凛様に出会い、瞬間的に恋に落ちたといいます。 静生様は、すず……静生様は灯をそうお呼びです……に命じて、凛様のことを調べあげ、凛様の家の隣にお住まいになり、凛様と同じコンビニエンスストアにてアルバイトをなさって、同じ学校には通えなかったものの、凛様の通う学校と同じ駅に降りる学校に編入なさり、毎朝ご一緒に登校なさっていた……とのことでした。 うちの若様もたいがいストーカー気質なところがあると思っておりましたが、類は友を呼ぶとはこのことでしょうか。静生様もたいがいかと存じます。 静生様が凛様と出会われてから、すでに一年が過ぎているかと……。 この一年間、お二人の間には、凛様のお父様の借金問題など様々な事件があり、それを経て、現在、凛様との関係は大変良好とのこと……でした。 静生様いわく、なので、どこまで真実かは定かではございませんが。 「それが?」 「もう、どうしたらいいのかわかんねぇ」 静生様が、テーブルに顔を伏せました。 私は、藍田家について詳しいわけではございませんが、知っている限りの知識だけで申し上げますれば、藍田家の嫁取りは、鎧鏡のそれとは全く違って、大変過酷かと存じます。 うちの若様のように、次期当主あっての嫁取りとは違い、藍田家は、次期当主候補が何人かいて、その候補の中から、一番相応しい者が当主を継ぐという掟があると聞いております。 鎧鏡一門が、サクヤヒメ様をお祀りしているように、藍田家は、スクナヒコノミコト様という男神様を崇めている一族と伺っております。 スクナヒコノミコト様は、なんとかという男神様と愛を交わし国を造ったという伝説があるそうで……その伝説にあやかり、男性二人が力をあわせて一族を守っていく……という、鎧鏡家とはまた違った始まりを持つ男系一族とのこと。 藍田家はそのような理由で、当主になるためには、当主候補の時点で、生涯共に一族を守る男性の嫁を見つけておらねばならず、男性の嫁を見つけたところで、当主に選ばれなければ、一族の子孫繁栄のために、女性の嫁を娶って子を成さねばならない決まりがあるといいます。 当主を継げなければ、嫁になることを了承いただいた男性とはそこでお別れし、新たに女性の嫁を探すことになるのです。そのような条件で男性の嫁を探すことが、果たして可能なのでしょうか? そうでなくとも、男性同士の婚姻など、今のこの時代にあっても奇異な目で見られがちです。 男性同士の婚姻に理解があるだろうということで、藍田の三男様は、雨花様に目をつけられたのでしょうが……当主を継げなかった場合、雨花様を捨て、女性と結婚するつもりだったのでしょうか。 雨花様は、全くもって相手にもしてはいらっしゃらなかったかと存じますが、そのような思惑のある婚姻に、雨花様を利用なさろうとしていたのだとしたら、私は藍田の三男様のことを大変見損ないます。 「凛には、藍田の事情を話したのか?」 「凛は知らねーよ。それどころじゃねーし」 「凛がお前を望んだのち、お前が当主を継げぬ時はどう致す?」 そこです!そこなんですよ、若様! 「あ?わしが継ぐに決まってんだろ」 ほう、強気でいらっしゃる。 まぁ、静生様は藍田三兄弟と呼ばれる三人の当主候補様の中で、一番年長でいらっしゃいますので、有利といえば有利なのかもしれません。 「お前が当主を継げる可能性は、依然として、衣織の万分の一と聞いておる」 え?衣織様の万分の一の可能性?どういう、ことでしょうか? 若様にそう言われた静生様は、椅子の背もたれに体を預けて伸びをなさいました。 静生様は、若様と同じくらいの背丈がございます。そこらへんを歩いていらしたら、間違いなくジロジロと見られるほど背が高く、さらに静生様は、若様よりもがっしりとした体躯でいらっしゃいますので、若様よりも随分と大柄な印象を受けます。 そんな静生様が『そっかぁ。わしが継げる可能性は、まだ衣織の万分の一か』と、お笑いになった姿は、いつもより少し小さく見えました。 「どうして?」 雨花様のその素朴な質問は、私も聞きたかったことでございます。 「んん……簡単に言うと、わしの生みの親……実の父親が、前当主候補だったからってことか」 「え?」 「前当主候補で、今当主じゃねぇってことは、当主に選ばれなかったってことだ」 「あ、うん。それが?」 「わしは、当主選に負けた男の血を継いでんだ。負けの血だっつってな。そんなわしが当主を継ぐのを、家臣は喜ばねぇんだとよ」 そんな事情がおありだったとは……。 ああ、藍田の三男様は、当主になる確固たる自信がおありだったから、雨花様を望まれていた、ということ……ですね。 それならば、納得です。 まぁどのような理由であれ、雨花様はたいがい若様以外見えていらっしゃいませんので、藍田の三男様をお選びになることは、それこそ万分の一もなかったでしょうが。 「わしみたいなんを、藍田では”天子様”なんて、嫌味くせー呼び方すんだわ。喜ばれねーなら、最初から候補になんかすんじゃねーってな」 「そうだよ!そんな風に言うのに、どうして当主候補になんて……」 「わしが立候補したわけじゃねぇぞ?鎧鏡にいんだろ?占者様ってのが」 「え?うん」 「藍田にも、おんなじようなのがいんだよ。まじない(じじ)っていってな。当主候補は、爺様のまじないで決められんだわ」 「だったら!しーくんは堂々としてればいいじゃん!れっきとした、選ばれた当主候補なんだから!」 雨花様が憤慨していらっしゃるのを見て、静生様と若様は、ふっとお笑いになりました。 藍田家の当主候補に選ばれるのは、本家筋と呼ばれる藍田家の当主の血を引く一族の中から……と言う話は聞いておりましたが、そのように決められていらしたとは……。 雨花様がおっしゃる通り、静生様は選ばれたおかた。なんと言われようが、堂々となさっていらっしゃれば良いと思います。 雨花様がこれだけ憤慨なさったのは、ご自分も似た経験をお持ちだからかと思われます。雨花様も、占者様にお選びいただいたれっきとした候補様でいらしたのに、占者様の間違いじゃないかだのなんだの、噂されたことがございましたから……。 「ああ。だからわしは、万分の一の確率で、当主になるって決めてんだ」 静生様がそう言って、雨花様の肩に手を置こうとすると、若様がすかさず雨花様の肩をガードなさいました。 このいい話の流れで……そこは、静生様に、肩ポンくらいさせてあげてください、若様。 「おめぇ、ホントしゅーか?別人みてぇだ」 「え?どこが?」 「しゅーが誰か一人に、こんな執着する日が来るとは、しゅーを知ってるやつならみんな信じらんねぇよ?この前会った時も、話したべ?しっかし、しゅーのことなら、わしがいっちばんわかってっと思ってたけっども、雨花はわしも知らねぇしゅーを知ってんだろぉなぁ」 それに関しては、私も静生様のおっしゃることに、大きく同意致します。 そんなことを言われて恥ずかしくなったのか、雨花様が『それで!凛ちゃんがなんて?』と、話を変えられました。 雨花様、お顔が真っ赤です。本当に何というか……うちの雨花様は、本当にお可愛らしいかたなのです。 「ああ、凛なぁ。凛がうちの隣から引っ越してったんだ」 「えっ?!」 「一緒にやってたバイトも、全部やめちまった」 「ぅええ?」 「決まった大学もちげぇし、バイトでも会えねぇ。もうどうすりゃいいんだっつう相談だ」 「え……でも凛ちゃん、しーくんのこと、好きなんじゃないの?」 「そこはイマイチわかんねぇんだよ。はっきり言ったわけでもねぇし、言われてもねぇ」 「好かれておるなぞ、お前の独りよがりやもしれぬぞ?」 若様は、静生様がお相手ですと、きつい冗談もよくおっしゃるようです。 「本当にそうなら、わし、寝込むわ」 「ちょっ、皇!」 「お前に迷いがないのなら、早う好きだと伝えれば良い」 若様がそうおっしゃると、雨花様がお隣で、『お前は全然言ってくれなかったくせに、人には簡単に言うよね』と、意地悪そうな顔で、若様を見上げました。 若様は、『あれでも随分早う伝えた』と、雨花様のおでこに、自分のおでこをぶつけると、それを見ていた静生様が、『いちゃこらすんなら上でやれ!』と、二階を指でさしました。 「ちが!いちゃこらなんて……今のは暴力だぞ!痛い!」 「はいはい。っつか、おめぇら!何のためにここに呼んだと思ってんだ!わしの相談に乗れ!」 そう言われて、若様と雨花様は、大人しく静生様の前のソファにお座りになりました。 「えっと……とりあえず、しーくんは凛ちゃんの気持ちが知りたいってこと?」 「そうだっつってっぺ」 最初は、そんなことはおっしゃっていなかったかと……。 「だったら、ヤキモチ作戦だよ!」 「お?」 「しーくんが、誰かと仲良くしてるところを凛ちゃんに見せて、やきもち焼くようなら、しーくんのこと好きってことじゃないかな?」 雨花様がそうおっしゃると、若様は『それは良い』と、大きく頷きました。『雨花なぞ余が詠と少し話しておるだけでやきもちを焼くゆえ』と、若様がニヤリと口端をお上げになると、『だっ!それは!』と、またお二人で、何やらいちゃいちゃし始めました。 「だぁ!いちゃこらすんなら、上行け!」 また二階を指さされたお二人は、揃ってソファに座り直し、コホンと咳払いをなさった雨花様が、『ヤキモチ作戦どう?』と、静生様にお伺いになられました。 「やってみっか!」 どうやら、雨花様の作戦が採用されたようです。 「よっしゃ!そうと決まりゃあ……すず!」 「はい」 「釣りだ。竿出せ」 「は?今ですか?」 「ああ。二人に土産に持たせてやっから。ここらの魚、うめーんだわ」 「釣り?いいね!」 そう言いながら、ソファから立ち上がった雨花様を、静生様は『まぁまぁ、雨花はしゅーと留守番だ』と、また座るようにおっしゃいました。 「おめーら、ここんとこ忙しいっつってたべ?二階でちょっと休んでけ。わしゃあ、すずと誓連れて、ちょっくら釣りしてくっから。そうだな……ざっと一時間くれぇは、かかるかもな」 そう言って笑った静生様に、若様は『一時間半、戻るな』と、お笑いになりました。 「ああ?ED治りたてが、んな、かかんねぇべ?」 「なんの話してんだよ!」 雨花様が真っ赤な顔でお怒りになったところで、灯が釣竿を持って戻って参りました。 静生様は釣竿を受け取ると『一生、勃つことねぇと思ってたしゅーのしゅーがなぁ』と、ニヤニヤしながら、私とすずを連れて屋敷を出られました。 「誓」 静生様は海面に釣竿を垂らし、私に話し掛けていらっしゃいました。 「はい」 「鎧鏡は、どうだ?」 「はい。つつがなく」 「しゅーは、いい嫁、見つけたなぁ」 「はい。一門自慢の奥方様でございます」 「……あのしゅーがなぁ」 そうおっしゃる静生様は、とても穏やかに微笑んでいらっしゃいました。 「ああ、でも雨花は、もう少し太ったほうがいいぞ」 「え?」 私がそう聞きなおしますと、私の隣ですずが、『一様(ひとさま)は体格の良いかたがお好みなのです』と、小さい声で私に教えてくれました。 確かに雨花様は細いですが、静生様がおっしゃるほど、ガリガリではないと思っておりましたら……静生様の個人的嗜好の問題でしたか。 「すず、聞こえてんぞ」 「本当のことでございますので」 灯は涼しい顔で釣り竿を垂らしています。 ここの主従関係も、たいがいゆるそうだと、私はふっと吹き出しました。 「しっかし、さみぃな!これ一時間半はもたねぇぞ?」 静生様がそうおっしゃって、時計をご覧になりました。 確かに、体を動かしているのならまだしも、釣りはそこまで動きません。私も先ほどから、体が冷えてきたと思っておりました。 「一時間半もいらねぇべ?ついこの前ED治ったからって、ちょづいてんだろ?しゅーの奴」 ちょづいてる……の意味はわかりませんでしたが、おっしゃりたいことは通じました。 しかし……うちの若様の若様は、長いEDからの生還を果たしたからこそ、現在、若様らしい働きをなさっていらっしゃるのです。 先日、私も同じように考え、もういい加減夜伽はお済みだろうと、出来心で覗いたお二人の褥で、若様に見たことを知られれば、その場で首をはねられかねない、その……”現場”を、目撃してしまったばかり……。 若様の若様は、静生様が考えていらっしゃるような上品な若様ではなく、暴れん坊若様なんです!静生様! 「いえ……若様が一時間半とおっしゃったのです。一時間半、耐えてはいただけないでしょうか」 私がそう訴えると、静生様は大笑いなさり『おめぇも苦労すんなぁ』と、私の肩をバンバンと叩きました。 「わかった!……でもさみぃのは変わんねぇ。さ、一時間経ったし、帰んぞ」 「えええ?静生様!」 「まだ帰んの早ぇって誓には止められたって、しゅーには言ってやっから」 静生様はそうおっしゃって、さっさと歩き始めてしまいました。 えええええ……。うちの若様よりも強引でいらっしゃる。 屋敷へはすぐに着いてしまいました。 静生様は躊躇することなく『帰ったぞ!』と、バンっとドアをお開けになりました。その瞬間、屋敷の中から『うおっ!』という、雨花様の声が聞こえて参りまして、静生様は屋敷の中に入ることなく、そのままバンっとドアを閉めました。 え……何があったのですか? あとからついて参りました私には、中の様子は見えませんでしたが……。 「静生様?」 私がそう声を掛けますと『やべぇ……しゅーに殺られる!』と、おっしゃり、『誓!わしゃあ、なんも見てねぇかんな!しゅーにそう言っとけ!この魚、土産に持って帰ぇれ。わしゃあ用事を思い出したから、先帰ぇるわ。すず、急げ!帰ぇんぞ!』と、そのまま、藍田家のへりに乗って飛び去っていかれました。 「……」 一体、何を見てしまわれたのでしょうか。 そんな風に思っておりますと、屋敷の中から、若様が大層不機嫌なお顔で出ていらっしゃいました。 「しーは?」 若様は、静生様を『しー』とお呼びです。 「あ、ご用事があるとのことで、先にお帰りになられました」 「あいつ……」 「このお魚をお土産に持って行くようにとおっしゃって……。それから、何も見てはいないとも、おっしゃっておいででした」 そこに、雨花様が出ていらっしゃいました。 「皇!」 「……」 「そんな怒ることないじゃん。ちょっとびっくりしたけど、男同士なんだし。これからほら、一緒に旅行とか行くことがあったら、みんな一緒に男湯に入るわけだし」 これは……どうやら雨花様の、裸?でも見られた、と、いうことでしょうか? 個人的には、まぐわいの最中を見られたわけではないようなので、安心いたしました。 雨花様のおっしゃる通り、同じ男同士、ついている物は同じなのですから、裸を見られた程度でお怒りになることもないのでは……。 「お前なんか、誰にでも見せるじゃん。家臣さんへの信頼の証だ、とか言ってさ」 「そなたは別だ!他の者らとは違う!」 「いや、ついてるもんは同じだって。ちょっと見られたくらいで……」 「ちょっと見られたくらいで?そなたは、余がそなた以外の男の裸を凝視しておっても良いのか?」 そう聞かれた雨花様は『う』と、固まってしまわれました。 え……いやいや、雨花様?若様の言い方もどうかと思いますけど、男性の裸ですよ?同じ男性の裸を凝視していたところで、別段何ということもないのでは? まぁ、男性の裸を凝視って、ある意味女性の裸を凝視するより、どうかとは思いますが。 「どうなのだ?」 ムゥっという顔になった雨花様は、ポスンッと、若様の胸に飛び込まれ『やだ』と、おっしゃいました。 ……えっと。私はどうしたら良いのでしょうか?このままここにいてよいのでしょうか? そんな私に気づいた若様は、雨花様を胸に抱いたまま、私に、あちらに行っていろというように顎を動かしました。 私は何度もうなずいて、すぐにその場を離れ、すぐ近くの木の裏から、そっとお二人を見守ることに致しました。 「余の思いがわかったか?」 若様はそうおっしゃって、雨花様の頭にキスをなさいました。 「わかった……けど、オレが上半身見られたくらいで、しーくんと喧嘩したら嫌だよ」 雨花様は、若様にそうおっしゃって、ギュッと抱きつかれました。 ってか、上半身見られただけかよ! あ、つい……言葉使いが荒くなってしまいました。 「ああ」 「怒ったら駄目だよ?わざとじゃないんだから」 「わかった!」 「……今度は、凛ちゃんも一緒に会えたらいいね」 「そうだな。帰ったら、そのようにしーに連絡を致す」 「うん」 あんな風に雨花様に頼まれたら、そりゃあ怒れなくもなりますよね。 「誓!」 若様に呼ばれて、私が木の後ろから飛び出しますと、『魚を運べ。余らも帰るぞ』と、雨花様をキュッと抱き寄せました。 「かしこまりました!」 静生様が釣った大量の魚を乗せて、飛行体は竜宮を飛び立ちました。   「そういえば、藍田家の当主って、いつ決まるの?やっぱり二十歳くらい?」 飛行体を自動操縦にして、若様と雨花様も、私と一緒のスペースにお座りになられると、雨花様が若様にそんなご質問をなさいました。 「藍田の当主決めの会議は、次の夏に行われると聞いておる」 「衣織で、決まるのかな?」 先ほどの話では、静生様が藍田の当主をお継ぎになるのは難しい状況、のようです。 「衣織が嫁を見つけておれば、衣織に決まる確率は高い」 「……」 「そなたに懸想しておった衣織が、すぐに別の相手を見つけておるとも思えぬがな」 「……」 雨花様は、何の返事もなさいませんでした。 「だが……衣織が嫁を見つけておったとしても、静生が凛を連れ帰れば、余は、静生が藍田を継ぐと思うておる」 「え?」 この若様の発言には、私も驚きました。 「しーは己の不遇さに、ひねくれた時期があった。だがそれを乗り越え、己の運命を受け入れた。しーは、現当主である育ての父と、生みの親である実の父のため、この先の藍田のため、己が必ず当主を継ぐと、努力に努力を重ねて参った。余は、そのしーの努力を間近で見て参ったのだ。誰がなんと申そうが、藍田の当主を継ぐべきは、しーであると余は信じておる」 若様は『そなたは衣織派であろうがな』と、雨花様の頬をキュッとつねった。 「衣織派っていうか……衣織のいいとこ、いっぱい知ってるし。衣織が当主になったら、きっといい当主になると思うよ?」 雨花様……。 若様は『余とて衣織の良いところもわかっておる』と、雨花様の頬を撫でられました。 「でも……しーくんのことを知るたび、しーくんもすごくいい人だなって思うし……」 雨花様がそんな風におっしゃると、若様はふっとお笑いになりました。 「藍田の問題は、藍田に考えさせておけば良い」 「でも、しーくんが当主を継げなかったら凛ちゃんは……」 「そなたには、まだわからなかったやもしれぬな」 「え?」 若様は、そこでまたふっとお笑いになられました。 最近の若様は、本当に柔らかくなられたと感じます。 「しーの優先順位は、変わっておった」 「え?」 「当主を継ぐため、凛と出会うたのであろうに、今や静生は、凛と添い遂げるため、当主を継ごうとしておるようだ」 「……しーくんの目的が変わったってこと?」 「ああ。余が変わった変わったとしーは言うておったが、余からすればしーとて、驚くほどに変わっておる。当主を継ぐための勉強や鍛錬に、ほとんどの時間を費やしておったしーが、今や悩み事と言えば、凛、凛と……」 若様と雨花様は、一緒にふふっと笑い合われました。 「凛ちゃんに会いたいね」 「ああ。会ってみたいものだ」 「今度、会いに行こうよ。」 「ああ。きっとそなたの生涯の友となろう。しーはおそらく……当主を継げねば、凛を連れて藍田を出る気であろうからな」 「えっ?!」 「あいつのやりそうなことは、わかっておる」 「大丈夫なの?そんなことして……」 「ならぬであろうな」 「ええ?!」 若様は、またふっとお笑いになり、『ならぬであろうが、しーには心強い友がおるゆえ』と、雨花様の頭をふわりと撫でられました。 心強い友……そうですね。静生様には、なんといっても、うちの若様がついております。これほど心強い援軍はいないでしょう。 雨花様は『そっか』と、若様に微笑まれ、『あ!お前も島でも買っておいたら?』と、おっしゃいました。 いえ、雨花様。若様はすでに、いくつも島をお持ちでいらっしゃいます。 ですが若様は、そんな雨花様に『そう致すか』と、優しく微笑まれました。 うわぁ、こんな若様……何年前の若様とは本当に別人です。 藍田家の次のご当主様がどなたになるのか……それはまだわかりません。ですが、どなたがあとを継いだとしても、鎧鏡との絆は、変わらず強いのだろうと思いました。 ほっとした私の横で、あんなにいい雰囲気だった若様と雨花様が、何やら言い合いを始められました。 「そもそもお前が、あんな風に言われたからって、人様のおうちであんな……あんなこと!するから見られたんだろ!」 どうやら、先ほど静生様に、雨花様の上半身を見られたことを、若様はまた蒸し返されたようです。 上半身くらいで……ねぇ?そんなことでいちいちお怒りになっていらしたら、雨花様はこの先、海など行けないことになるではないですか。 「そなたとて、盛った余を止めなかったではないか」 ああ……わかってはおりましたが、やはり、人様のお屋敷で盛ってしまわれたのですね、若様……。 「とっ、止めたじゃん!」 「いいや、止めてはおらぬ」 「止めた!」 「いいや、そなたは余を促した」 「うな……そんなことしてない!」 最近、私の存在は、お二人に見えていないのではないかと感じることが多々ございます。 いや、いいんです。何なら完全に見えなくなれたらいいのに……。 いつまで続くかわからない、若様と雨花様の『した』『してない』の応酬いちゃこらを聞きながら、私は、今夜の魚料理に想いを馳せつつ、鎧鏡家は今日も平和だなぁと、幸せなため息をついたのでした。 fin.

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