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藍田衣織の憂鬱②
四月。馬男が、神猛の三年B組に編入してきた。特待生になるくらいだ。編入試験の成績はめちゃくちゃ優秀だったけど、修学旅行に行っていないという理由で、B組になったらしい。
そういやぁ、そんなこと、いつか雨花だか詠だかが言ってた気がする。
おれはもちろん2年A組に進級した。
さらに、この前選ばれたばっかのすーちゃんの新しい嫁候補が、馬男と同じ3年B組に一人編入したって聞いたけど、その情報を持ってきたかまちょに、『もう鎧鏡の奥方候補様にちょっかいは出さないでくださいね!』と、先に釘を刺された。
わーかってるってぇの!
雨花にちょっかい出したことは、静生にも、もうすーちゃんのこと怒らせるような真似は二度とすんなって言われたし。鎧鏡と藍田 は友好的な関係とはいえ、他の家の嫁候補に手ぇ出して、普通なら許されるモンじゃねぇのは、考えなくてもわかることだ。
最初は、すーちゃんが恵まれてるから、ちょっと嫌がらせのつもりもあって、すーちゃんの嫁候補を調べたんだけど……雨花を見た瞬間、一目惚れっつぅか。自分でも、あんなに好きになるとは、思ってなかった。駄目なのはおれだって、最初からわかってた。でもそれでも、雨花がおれを選んでくれたら……なんて、夢見るくらいに、雨花にハマった。
本当に好きだったからこそ、雨花のことは、自分からちゃんと諦めてケジメつけたんだ。雨花だったから。
だから、雨花が駄目なら、すーちゃんの他の嫁候補を……なんてつもりは毛頭ねぇ。
『雨花以上に好きになれる奴と会えんのかな』と、ボソリと呟くと、かまちょは、『会えますよ。三 様ですから』と、何の説得力もねぇことを言って笑いやがった。
でもまぁ……かまちょが言うなら、会えるかもしんねぇ。いや、会えなきゃ困るしな!
で。馬男が編入してきたのはいいとして、解せねぇことが一つあった。
馬男の苗字が『藍田 』だったことだ。馬男と暮らし始めた時に、兄弟設定のほうが一緒に暮らすのに説明が簡単だからって、藍田姓を使うのを許したけど、学校は普通、んな偽名で通えるもんじゃねぇだろうが!
っつか、馬男の本当の苗字って何だ?……聞いてねぇよな?いや、馬男の年齢とか、かまちょは話したって言ってたけど記憶になかったから、もしかしたら最初に聞いてたのかもしんねぇけど。なんつうか……ここまできて、今更『苗字何だっけ?』なんて聞けねぇし。
藍田邑 という名前で編入してきた馬男は、あっという間に学校中の噂んなった。イケメンきた!っつって。副会長の瑠偉 先輩いわく、めちゃくちゃモテているらしい。ってことは馬男は、学校で嫁を探そうっつぅおれの邪魔者になりやがったってことだ。
おれはといえば、相変わらず、おれに言い寄ってくる奴らと一緒に出掛けたり、お昼ご飯を食べたりと、嫁探し活動をしていたわけだけど、今んとこ、少しもピンとくるやつには出会ってねぇ。
次期戦は馬男を連れて行きゃあいいわけだから、焦って嫁を探す必要はねぇけど……出来たら、早いとこみつけるに越したことねぇ。
ズルズル嫁を見つけられねぇでいたら、かまちょが適当に見つけてきた、馬男よりもっとわけわかんねぇ奴を、本当の嫁にしねぇとなんねぇ状況になるかもしんねぇし、おれのせいで、また馬男や誰かに犠牲を払わせるのも嫌だ。
そんな風に焦ったおれを助けるみてぇに、ゴールデンウィークが明けた日、おれのクラスに、期間限定の留学生がやってきた。
今は親の仕事の都合でアメリカに住んでるけど、いずれ日本に帰国するから、日本の学校に慣れておきたいっていう理由で、アメリカの学校が始業式を迎えるまでのちょっとの間、神猛に通うって先生が説明した。
「宇賀那乃葉 です。よろしくお願いします」
そう自己紹介した留学生を見て、とにかくすげぇ驚いた。
一瞬、雨花かと思ったからだ。細くて手足が長ぇとことか、雰囲気?すげぇ似てる!と、思ったからだ。まぁ、あとでよくよく見たら、あんま似てなかったけど……いやでも、系統でいったら雨花と同じ部類に入ると思う!
これだよ!これ!おれの好みの見た目はこれだ!ガリッガリに細くて、守りたくなるような華奢な美人!宇賀はまさにそんな感じだった。これはもう、おれの嫁探しを、スクナヒコ様が助けてくれたに違いねぇ!
おれは、宇賀を嫁にしようって決めた!
うちに帰ってすぐ、嫁にしてぇ奴を見つけたってかまちょに報告すると、『今度こそうまくいくよう、私も最大限お手伝いさせていただきます!』と、めちゃくちゃ喜んでくれた。
馬男にも『おめぇのこと重荷から解放させてやっからな』と、珍しくおれから声をかけると、『はぁ』と、うつむきがちに、はいとは聞き取れないような返事をして、さっさと部屋に入ってった。
……なんなんだよ、あいつ!ノリ悪ぃな!と思ったけど、そんなん打ち消す勢いでかまちょが盛り上がってて、馬男の態度がムカついたことなんてどうでも良くなった。
「まずは宇賀様に、三様を好きになっていただかねばなりませんが、好きになっていただいたところで、三様がご当主様に選ばれねば、女嫁様を選び直さねばならなくなります。一様 は、男嫁様をお決めになり、聞いたところによると、男嫁様とお二人揃って本家へのご挨拶まで済ませたとのこと。二様 は、相も変わらず男嫁様をお探しにはなっていらっしゃらないご様子ですので、次期戦は、一様と三様、お二人での戦いになるかと思われます」
「そうか」
ま、最初っからそうなるだろうとは思ってたけどな。
静生が中学の頃、めちゃくちゃグレて家出した時は、静生はもう次期戦に出ることはねぇなって思ったけど……。あのあと、別人みてぇになって帰って来て、すげぇなんつうか……うん。ホント、別人になったみてぇだったんだ。
昔っから静生は、兄ちゃんらしい兄ちゃんで、おれも小せぇ頃は、そんな静生のあと追っかけまわして、すーちゃんだとか、静生の友達と遊んでもらうことが多かった。おれらが通ってた幼稚園?っつうのかな?そこは、ホント特殊で。女人禁制の家の子供ばっか通ってたってあとで知ったんだけど。そんな特殊なとこだったから、年代によって人数が違ってて、静生たちの代は六人いたけど、おれはたった一人だった。静生らは自分らのこと『ヤンマーズ』って呼んでて、みんなかっこよくって仲良くて……だからすげぇうらやましかった。仲間に入りたくって、いっつも静生らの後ろ、ついてってたんだ。
普通の兄弟なら、弟がついてきたら嫌がりそうなもんなのに、静生は全然嫌がらずに、一緒に遊びに連れてってくれて……。だからおれは、今でも静生を、兄としてすげぇ慕ってる。
だけど、次期戦となれば話は別だ。
静生の生みの親は、おれらの前の代の当主候補で、当主に選ばれなかった一人だ。当主に選ばれなかった当主候補の子供は、天子、なんて呼ばれてる。負けた人間の血が入ってるってことで、家臣たちは、静生が当主を継ぐのを良く思っていないんだろうってのは、小さいうちから肌で感じてた。静生が家出したのも、それが原因だったと思う。
だからおれは、当主になれねぇ静生の代わりに当主んなって、静生のいうこと、何でも聞いてやるって決めたんだ。
当主になったおれが、静生の言うことをなんでも聞いたら、家臣たちだって、静生のこと、天子だ負けの血だ、なんて馬鹿にしねぇで、かしずくだろうって思うから。
静生は、次期戦に出ないほうが負けの血だろって、言ってた。静生は、天子だなんだって言われても、おれに勝てねぇのも承知の上で、次期戦に出てくるはずだ。それが、静生のプライドってやつなんだと思う。
「静生がどんだけ頑張ったところで、当主を継ぐのはおれだ。女嫁の心配なんかする必要ねぇよ」
「三様っ!わかりました!では、私も全力で、宇賀様が三様を好きになってくださるよう、お手伝いして参ります!」
宇賀が短期留学生として、神猛に通う期間はおよそ4ヶ月。その4ヶ月の間には夏休みも入るから、学校で一緒になるのは、2ヶ月あるかないかってところだ。
藍田の次期当主を決める次期戦は、夏休みに行われる。次期戦前の選抜会議までは、あと3ヶ月弱か。それまでに、必ず宇賀を落としてみせる!
って、そんな気張らねぇでも、宇賀とは隣の席だから、急速に仲を深めることに成功した。しかも、おれは生徒会の会計ってことで、宇賀からの信頼度が高いところからのスタートだったと思うしな。
日本の生徒会に興味があるっていう宇賀は、生徒会室にもちょいちょい遊びに来て、生徒会の他の役員たちとも、すぐ仲良くなった。
そのうち、おれのバイト先にも遊びに来てくれるようんなって、なんと!同じカフェの短期採用で、一緒に働くことが決まった。
あんまり順調過ぎて怖ぇくれぇだ。
宇賀呼びだったのが、そのあたりから那乃葉 呼びんなって、そうなったあたりから、那乃葉はおれに気があるんじゃねぇかって手ごたえを感じるようんなった。那乃葉は、おれをそういう意味で意識してきてる気がすんだよな。
まぁ、おれもそういった意味で、結構アプローチしてきたし。
「まじ、うまくいきそう」
「三様、さすがです!」
かまちょが手放しで喜ぶ隣で、この頃てんで元気がねぇ馬男が、夕飯の片付けをし始めた。
「おめぇ、ちゃんと食ってんのか?」
馬男とは、ついこの前までなんだかんだあったけんど、おれのせいで無理させた馬男んことは、最大限、最後まで面倒見ようって、馬男が編入してきた日に決めてた。
馬男への罪悪感を、少しでも減らしたい気持ちもあったし。金のことはもうどうでも良いっつうか、今じゃ、渡した金以上のことを、馬男にしてもらってると思ってた。それでも、今まで散々馬男に対して頑なな態度を取ってきたせいで、今更優しくすんのも気恥ずかしくって、なかなか優しく出来ねぇでいるけど……。
「頂いてます」
「バイトもやめていいって言ってんだろ。受験に備えて勉強しろ!勉強を!この前まで、おめぇらに働かせて休ませてもらってたんだ。今度はおれが那乃葉と一緒に、その分働いて稼いでくっから。おめぇは気にしねぇで勉強しとけ」
馬男は、『ありがとうございます』なんてお辞儀して、茶碗を洗うとすぐ部屋に入って行った。
なんか最近、本当に元気がねぇんだ、馬男のやつ。おかしな病気とかじゃねぇといいけど……。
「ねぇねぇ、藍田先輩って、衣織くんと何か関係あるの?」
そんなことを、ちょいちょい聞かれるようになったのは、6月に入る頃だったか。
もう受験生なんだから、バイトはしねぇでいいっつったのに、馬男のやつは頑としてバイトをやめずにいやがって、それどころか、ゴールデンウィークに単発のバイトまで入れてやがった。
馬男は学校で目立ちたくねぇらしいけど、見た目が見た目だし、何もしねぇでも嫌でも目立ってっから、すでに目立ってるおれと苗字が同じってとこに、食い付く奴も多かった。
しっかし、おれと兄弟設定は、大家さんには通じても、学校じゃ通用しねぇ。
かまちょに、『おれと馬男の関係、何て説明したらいいんだよ?おんなじ藍田でよぉ』と、質問すると、『遠い親戚とか言っておいてください』と、適当なことを言いやがった。
かまちょは困るといつもこうだ。すげぇテンプレで適当な答えを言ってくる。
「っつか、今更アレだけど、馬男の本当の苗字って何だっけ?」
そう聞くと、かまちょはちょっと口ごもった。
「バイトなどは、全て藍田姓を使わせていただいております」
「使わせてる苗字じゃなくて、本名聞いてんだよ」
「……山田です」
「はぁ、山田か」
はい、出たよ!すげぇテンプレで適当な答え!何が”山田”だよ。おめぇのその適当な答えが、馬男の苗字を誤魔化してるって言ってるみてぇなもんじゃねぇか。
っつか、かまちょが馬男の苗字を誤魔化す必要ってなんなんだよ?馬男はかまちょの友達の遠縁?……なんだよな?その友達ってのが、誰かバレると困るってことか?
……馬男、一体あいつ、何者なんだ?
「……」
おれはなんだかすげぇ気になって、馬男の素性を調べることにした。あのかまちょが隠そうとしてんだ。ぜってぇ何かあるに決まってる!
っつか、前の学校は本名で通ってたんだろ?
おれはツテを頼りに、馬男の前の学校を調べてみた。そしたら、馬男は本当に、山田姓で学校に通ってたことがわかった。
嘘だろ!かまちょのあの反応!馬男の苗字は、きっと山田じゃねぇ!いや、絶対なんかあるって。こんな時、かまちょに頼めばすぐ調べてくんのに……今回ばかりは、かまちょに頼めねぇ。藍田 が使ってる影は、翔 っていう名前の集団で、こちらが提示する報酬に、翔の頭 が納得すれば、どんな依頼も受けるって聞いたことがある。
……いやいや、翔に頼んだら、かまちょに妨害されんだろ?
「衣織くん、難しい顔してどうしました?」
生徒会室でうなっていたおれに声を掛けてくれたのは、副会長の瑠偉 先輩だった。
瑠偉先輩は、神猛学院高等部生徒会の地獄耳とか言われたサクラ先輩の後釜だ。情報通の瑠偉先輩なら、馬男の本当の苗字を探るヒントをくれるかもしれない。
「四月から入った三年の藍田って人、知ってますか?」
「はい、知ってますよ。すごく優秀な人みたいですね。しかも!あの見た目ですからね。後輩から大人気だと聞いてます。まだ誰のお手付きでもないようなんで、これからビッグカップルが生まれる予感で胸アツです。藍田くんは見たところ……そうですねぇ、無口な一匹狼攻めってところでしょうか。ああいう人が恋に落ちたら、受け溺愛になったりするんですよねぇ、鼻血」
「いやあの、その藍田先輩のことなんですけど」
「え?!まさか!衣織くん、狙ってるんですか?藍田くんと衣織くん、遠い親戚って言ってませんでしたか?いや、それより!去年の夏前までのかわいい衣織くんならお似合いでしたでしょうが……って、え?!まさか……藍田くんを攻めるつもりですか?」
「いや、そうじゃなくて」
「ほうほう。藍田くんは完全なる攻めだと思い込んでいましたが……あの藍田くんが受け!?……いや!うん。うんうん!なくはない!いや、むしろ有り!逆にいいですね!藍田くんと衣織くん!攻めと攻めの、どちらが攻めるかの攻防戦ってやつですね?!萌え!え?まさか、衣織くんがネコ希望とかないですよね?私の持っている情報では、衣織くんは可愛かったあの頃からバリタチってことになってるんですけど」
「いや、そうじゃなくて」
「うんうん、そうでしょうね。いやぁ、衣織くんが本気で攻めたら、あのイケメンの藍田くんだって可愛らしいネコちゃんに……」
「いや、そういう話じゃなくて!瑠偉先輩!聞いて!」
「ああ、失礼しました。え?なんでしたっけ?」
「藍田先輩って、本名、ですか?」
「え?あれ?遠い親戚じゃなかったんですか?」
「みんなに聞かれて面倒だったからそう言ってただけで、本当は違うんです」
「そうだったんですか。まあ、この学校、いろんな事情で偽名使って通ってる生徒もいますからね。あー、ちょっと待ってください。っていうか、本名を知って何に使うんですか?個人情報ですからね」
「あぁ、えっと……生徒会費の取り立てです!」
「ああ!そういえば、藍田くんは学費免除組でしたね。生徒会費も免除なんじゃないですか?」
「いいえ。もらわないといけないものがあって」
「そうでしたか。滞納はいけませんね。ちょっと待っててください」
瑠偉先輩は、副会長室に入ってしばらくしてから出てくると、タブレット片手に『藍田くんの保護者は、実のお兄さんですね。鎌ケ峰遥 さん、ですか』と、言った。
「え?」
かまがみね、よう?
「お兄さんの、鎌ヶ峰遥 さんが保証人になってます。藍田くんの本当の苗字は、鎌ヶ峰ってことになりますかね」
「ちょっ、いや、その人本当に、実の兄、ですか?」
「ええ。戸籍も付いてますので実のお兄さんで間違いないですよ。どうしました?」
「いえ……ありがとうございました!瑠偉先輩!」
かまちょの下の名前、忘れてた!そうだ。かまちょの名前、鎌ヶ峰遥だ。遥 が兄で……邑 が、弟?!名前の響きからすると、ありえる!
あいつらが、実の兄弟?!
おれは、すぐに静生に電話をかけた。
『おー、いお。珍しぃな、電話してくっとか。どした?』
「すず、いる?」
『すず?ああ』
「代わって」
静生はすぐに、静生の影の"すず"に電話を代わった。
『三様、お久しぶりでございます』
「邑は、鎌ヶ峰の家業は継がねぇのか?」
『え?』
「かまちょの弟の邑のことだ」
『あれ、邑、三様に話したんですか?内緒にしていて欲しいと申しておりましたのに』
「やっぱり!あいつ、かまちょの弟か!」
『え……』
おれはそのまま電話を切った。
馬男……あいつ、本当にかまちょの実の弟だったのかよ!?
おれは、そのまま三年B組の教室に行って、馬男を会計室に連れ出した。
「どうなさったんですか」
「てめぇ……本当の狙いはなんだ?」
「え?」
「金で雇われたなんて嘘だろ!」
かまちょに頼まれて、おれの嫁のふりをしてたってか?だからかまちょは、こいつがおれの本当の嫁になることはねぇって、自分がふさわしい相手を探してくるって、珍しくムキになってたんだ!こいつら付き合ってるんじゃなくて、兄弟かよ!
……確かに、実の弟を、おれの嫁になんかしたくねぇわな。
「……」
「バレてんだよ。おめぇがかまちょの弟だって」
そう言うと、馬男はビクッと体を震わせた。
「っつか、最初っから、かまちょの弟って言やぁ良かったじゃねぇか」
どこに隠す必要あったんだよ?隠されると、なんかやべぇこと企んでんじゃねぇか、とか、疑いたくなんだろうが!かまちょがおかしな企みなんかしねぇだろって、そこは信じてっけど!
「弟と言えば、三様は絶対、反対なさると思いました」
「……」
確かに。最初にかまちょの弟って知ってたら、おれは絶対、嫌がってたと思う。
「嘘までついて、何で嫁のふりなんか……」
「兄の役に立ちたかったのです。どうかこのまま、三様が本当に迎えたい男嫁様に出会うまで、私に三様の男嫁様のふりをさせておいて貰えないでしょうか」
馬男は、おれにガバッと頭を下げた。
「いや、こっちもそのほうが助かっけど」
そう言うと馬男は、今まで見たことねぇくれぇ満面の笑みで『ありがとうございます!』と言うと、また深々頭を下げた。
こいつ、こんな風に笑えんのか。
馬男が、今までとは別人みてぇに思えた。おれは本当のこいつのこと、なんも知らなかったのかもしんねぇ。
「礼を言うのはこっちだ。ありがとな。ホント……なんつぅか、今まで悪かったな」
『態度悪かったよな。すまねぇ』と頭をかくと、『いえ!そうさせていたのは私です!三様を騙していたのですから……本当に申し訳ありませんでした』と、馬男はもう一度頭を下げた。
『ま、そうだな。じゃあもうこれで、お互い文句は言いっこなしだ。それでいいか?』と聞くと、馬男はまた満面の笑みで、『はい。ありがとうございます』と、頷いた。
「こうなってみっと、おめぇがかまちょの弟で良かったわ。那乃葉んこと、ぜってぇ何とかすっから、それまで頼むな。っつか、おめぇこの前断りやがったけど、おれが当主んなったら、かまちょと一緒に、おれの影になったらいい。一生金には困らせねぇぞ」
「……」
「ん?」
「いえ……私は、忍びの修行を降りた身です。三様の希望には添えません」
「じゃあ、影としてじゃなく……」
「あの!このままでいることを許してくださって、本当にありがとうございます!授業もあるので、これで失礼します」
馬男はおれに一礼して、会計室を飛び出して行った。
……やっぱりあいつ、おれの家臣にはなりたくねぇってか?おれ、ぜってぇいい当主になっと思うのに。くそ!
馬男がかまちょの弟ってわかったその日の夜、かまちょから、馬男がおれの仮の嫁んなるまでのいきさつを聞いた。
馬男は、忍びとしての能力は、お世辞にもすごいわけじゃなかったけど、小さい頃から頭はすこぶる良かったらしい。翔一族として、小さいうちから忍びの修行をやらされてきたけど、修行より家で勉強しているほうが好きな子供だったという。
忍びの修行がつらくて仕方ないって、かまちょに泣きながら訴えてきたもんで、かまちょは、馬男は頭がいいから一族の修行をさせるよりも勉強をさせてやって欲しいと、親に頼み込んでやったそうだ。
そのおかげで馬男は、中学から有名校に通えることになって、翔の里を下りて、一人暮らしを始めた。
翔の里を下りる時、鎌ヶ峰を名乗ることは許さないということになり、山田っていう仮の苗字を名乗ってたという。
そんな弟を、かまちょは何かと気にかけてて、馬男は、そんなかまちょにすごく恩を感じていたらしい。何かっつぅと、自分も兄さんを助けられたらいいのにと言っていたという。
そんなだから、この前の夏休み中、おれと一緒にバイトを増やしたかまちょの状況を知った馬男が、かまちょを助けるため、うちの家事をしに来てたそうで……。
夏休みの間、飯がいつもより断然美味かったのは、馬男が作ってたからだったんだ。夏休みに出たあの納豆汁、作ったの、馬男だったんだ。
で。おれが雨花に振られて、次期戦の参加が危ぶまれてるっつぅ話を、かまちょが馬男にしたら、馬男はすぐに、自分がおれの男嫁になるって言い出したんだそうだ。
「おめぇへの恩返しで、あいつ、おれの男嫁になるって言い出したのか」
「そうだと思います。邑は、三様が男嫁様を見つけられず、次期戦にご参加出来なければ、私も困ると思ったのでしょう。兄弟ですので、恩を返すなど、そんな必要はないと散々言ったのですが……」
「まぁでも、ぶっちゃけ、どんだけ金積まれたって、男の嫁になれなんつう話、受けるかねって疑ってたんだ。おめぇへの恩返しってんなら、そっちのほうがすんなり納得出来んな」
「そう、ですよね。……あの、三様!そんなことですので、くれぐれも本気で男嫁様をお探しください!邑は昔から勉強が好きで……小さい頃から、将来もずっと勉強をし続けたいと申しておりました。大学教授にでもなって、大好きな勉強で食べていけるようにさせてやりたいと思っております。邑は三様のお嫁様に、ふさわしい者ではありません」
かまちょはそんな風に言ったけんど、本当はおれのほうが、自分の優秀な弟の相手には、ふさわしくねぇって言いたいんだろうと思った。
おれの嫁になんざなったら、馬男の夢が叶えられなくなるかもしんねぇもんな。あいつが、おれの家臣になりたがらねぇのも納得だ。あいつにはあいつの、しっかりした夢があったんだ。
「わかった。本気出して那乃葉を嫁にすっから」
「私も、全力でお手伝い致しますので」
「ああ」
馬男……あいつ苦労してきたんだな。
生まれる家は選べねぇ。それは、おれもおんなじだ。
藍田 の家に生まれなきゃ、わざわざこんな躍起になって男嫁探しなんてしねぇでも、生活してる中で好きになったやつと、結婚出来たんだろう。
条件なんか必要なくて、ふさわしいかどうかなんてそんなん考えもしねぇで、ただただ心のまんまに、好きだって思ったやつと添い遂げられたんじゃねぇかな。
だけどおれは、藍田 のうちに生まれちまったんだ。
それはもうどうにもなんねぇ。
馬男は、いい兄ちゃんがいてよかったよな。家から解放されたんだ。そりゃ恩も感じるだろうよ。
おれも藍田 から出ようと思えば、いつでも出られんだ。だけど、おれは自分で藍田 を継ぐって決めた。藍田 守って、次の当主に引き継いでいくのがおれの役目だって、小せぇうちから思ってた。それがおれが、ここに生まれた意味だって。
父ちゃんが、当主として仕事してる姿はホントかっこ良くて、おれもぜってぇ父ちゃんみてぇになるんだって思ってた。今もずっと思ってる。
父ちゃんの仕事を継ぐには、男嫁を見つけんのはぜってぇだ。でも、男嫁が見つかんねぇからって、そのまんま馬男を嫁にするなんてことはぜってぇしちゃ駄目だ。おれが当主になるために、間違っても馬男に夢を諦めさせちゃなんねぇ。世話んなってるかまちょんためにも、馬男の夢、叶えてやりてぇ。
おれは改めて、ぜってぇ那乃葉を嫁にする!と、自分に喝を入れた。
那乃葉が短期でおれと同じカフェのバイトを始めてから、2週間が経った。
那乃葉の教育係は、同じ学校の先輩だからという理由で馬男がやらされてて、2週間の研修期間を経て、那乃葉は独り立ちを許されたらしい。
馬男とおれは基本シフトが被ってねぇから、同じカフェでバイトを始めたっつっても、馬男に仕事を教わってる那乃葉とは、まだ一緒に働いたことがなかった。
「衣織くん!おはよ」
おれが教室についてすぐ、那乃葉に肩を叩かれた。今日も相変わらず那乃葉は可愛い。顔も仕草も。
「お、おはよ」
「ねぇねぇ衣織くんさ、今日バイト入ってるよね?」
「うん」
「ボクも今日入るんだよ!ようやく衣織くんと一緒に入れる!」
「え?」
「え?何、その反応!嬉しくないの?」
「いや、嬉しい、けど……今日、入る予定だったっけ?」
「ううん。代わったの」
「え?誰かに代わって貰ったってこと?」
おれがそう言って顔をしかめると、那乃葉はちょっとビビった顔をして、『ううん、代わって欲しいって、言われたから』と、目を泳がせた。
……嘘じゃねぇの?それ。無理矢理誰かと交代したんじゃねぇだろうな?
「そっか。それならいいけど。知ってる僕と一緒に入ったほうが気が楽だからって、無理矢理誰かとシフト代わってもらったのかと思って、ちょっとびっくりした」
そう言うと、那乃葉は『そっか』と言って、さらに目を泳がせた。
ぜってぇこれ、無理矢理誰かと交代しただろ?おれも、那乃葉と一緒に入れるのは嬉しいけど仕事だし。誰かに迷惑かけてまで、一緒に働こうとか思わねぇんだけど。
おれがジッと那乃葉を見ると、那乃葉は目を伏せて頭を下げた。
「あの……ごめんなさい!本当は、衣織くんが言った通りなんだ」
お、素直に白状した。うんうん。嘘つこうとしたのはいただけねぇけど、素直に白状したから良しとしよう。
「でも、ちょっと違う」
「ん?」
「衣織くんと一緒だと気が楽だからってわけじゃなくて……衣織くんが働いてるとこ、見てみたかったから」
上目遣いで見てくる那乃葉……くそ可愛!そんなんされたら、何でも許そうって気になるじゃねぇか!
「そっか。でももうそんな理由でシフト交代したら駄目だぞ。誰かに迷惑かけることになるんだから」
「うん。ごめんなさい。でも大丈夫!この先のシフトは、衣織くんと一緒にしてくださいって、店長に言ってあるから。次のシフトからは、衣織くんと一緒にしてくれるはずだよ」
「そっか」
そう言って、那乃葉の頭をポンッとすると、那乃葉は自分の頭を撫でて、嬉しそうに笑った。
……ぜってぇ那乃葉、おれのこと好きだろ?
その日は、那乃葉の教育係だった馬男も、同じ時間にバイトに入ってた。那乃葉の独り立ち初日ってことで、那乃葉の助っ人として出勤するよう、店長に言われたらしい。
おれが独り立ちした時、そんな手厚いことしてもらったっけ?那乃葉が可愛いからって、店長、えこひいきしてんじゃねぇの?っつか、店長がどんだけかわいがろうが、那乃葉はおれの嫁になる予定だけどな!
っつか……馬男とカフェで会うのは、二度目、くらいか?カフェの制服を着た馬男は、シュッとしたただのイケメンだ。その馬男の隣に立って、こちらにニッコリ笑いかけた那乃葉のカフェの制服姿は、とにかく安定の可愛さだった。店長がえこひいきしたくなるのもわかっけどな。
「藍田先輩、よろしくお願いします」
那乃葉が馬男に頭を下げると、馬男は『はい』と、ニッコリ笑った。
馬男がこんな風に笑うんだって知ったのは、馬男の正体を知ってからだ。それまでは、馬男をことごとく無視してたし、家の中でもなるべく会わないようにしてきたから……。でも、馬男の正体を知ったあの日から、家でも馬男と話すことが増えていた。馬男もおれも末っ子だからか、なんだかノリが似てると思う。最近、一緒にテレビを観るようになったら、笑いのツボが完全に一致してるのもわかったし。それに、頭がいいっていう馬男に、宿題教えてもらった時は、すんげぇわかりやすかった。馬男は確かに、大学教授とか先生って職業に向いてると思う。
なにより馬男のことをすげぇって思ったのは、いつも機嫌が良いところだ。おれなんか、寝起きとか眠いとか、そんなことで不機嫌になるっつぅのに。一緒にいる時間が増えた馬男は、いつでもにこやかだった。そんなところも、誰かに教える立場の人間にはいい素質だと思う。
「はい。今日は独り立ちということで、一歩引いたところから見守っています。頑張ってください」
馬男は、誰にでも基本、丁寧語で話す。そんなところも、先生に向いてると思う。
「あの……ずっと聞きたかったんですけど、藍田先輩って、衣織くんとどういう関係なんですか?同じ苗字だから、気になってて」
那乃葉がそんな質問をするとは!やっぱり那乃葉は、おれのことが好きとみた!
馬男が返事に困るだろうからと思って、おれは二人の話に割って入った。
「僕の世話係の弟で、今、同じところに住んでるんだ。苗字が同じなのは、まぁ、色々あって」
そう紹介すると那乃葉は、『え?!藍田先輩、衣織くんの使用人さんだったの?そうなんだ?改めましてよろしく』と、急にため口んなって、馬男に手を差し出した。
馬男は『よろしくお願いします』なんて言って、那乃葉の手は取らずに、深く頭を下げた。
「ああ、そっか。ご主人様の友達と握手なんてしちゃ駄目か。ごめんなさい。気付かずに」
那乃葉はそう言って手をひっこめた。
おれは那乃葉のその言葉を聞いて、『いや、うま、あ、藍田先輩は使用人じゃない。藍田先輩の兄も、身の回りの世話をしてくれてるけど、僕の使用人ってわけじゃなくて』と、咄嗟に反論していた。
「衣織くんの身の回りの世話をしてるんでしょ?それって使用人じゃないの?」
「あ……何ていうか……使用人とか言うと、何か、偉そうに聞こえるだろ?そういうんじゃないんだ」
そう言うと、那乃葉はクスクス笑った。……可愛い。
「だって、衣織くんが藍田先輩の主人なんじゃないの?偉くていいのに」
那乃葉は、『優しいご主人様に仕えることが出来て幸せだね』と、馬男の腕を軽くポンッと叩いた。
それを見て、何かちょっとムッとした。
え?何をムッとしてんだ?おれは……。
那乃葉は、『うちにもお手伝いさんがいるけど、お父さんがよく言ってるよ?主人らしく振る舞えって。使用人に舐められるような態度は取るなって。使用人に舐められると仕事をサボるようになるからって』と、そんな話を始めた。
かまちょは、おれの世話をしてくれてるけど、"使用人"なんて言葉を当てはめて欲しくない。かまちょは藍田の家臣ってわけじゃないし、もし藍田の家臣だったとしても、家臣を"使用人"呼ばわりしたくない。
何かモヤモヤして反論しようと思ったら、『ほら!仕事!仕事!』と、店長にフロアに押し出された。
まぁ、わざわざ反論するほどのことでもねぇのか?
今まで同じカフェで働いてたのに、馬男の仕事っぷりを、こんなじっくり見たことがなかった。同じ時間に入らねぇようにしてたし、馬男には近づかねぇようにしてたし。
馬男は、那乃葉の仕事をフォローしながら、誰かがやるだろってことを、あとからあとから片付けていく。
たとえば、カトラリーや備品の補充とか、ちょっとしたところの掃除とか、座席のメニューを揃えるとか、なくなりそうなお冷を作ったりとか……。
どれも、誰かの仕事として決められたものじゃなくて、気付いた人がやればいい……みたいな仕事だ。だけど、誰がやってもいい仕事だから、逆に誰もやらなかったりする仕事なわけで。でも誰もやらなかったら、いつかは絶対に困ることで……。
おれが働いている時も、いつの間にか減ってたお冷が増えていたり、備品も補充されてたけど、おれはこの時初めて、それをやってくれてる人がいるってことに気がついた。
いつも補充されてるのが当然みたいになってたけど、当たり前のように補充する人がいるから困ってなかっただけなんだ。
馬男がそんな人だったっていうことにちょっと驚いて、バイト仲間の中野さんに、『備品補充って、藍田さんがやってたんですね』と話すと、『やだ!衣織くん、知らなかったの?藍田くんは”おかんだくん”だからね』なんて、笑いながら、おれの腕をバンバン叩いた。
「おかんだくん?」
「え?知らない?藍田くん、細かいところによく気が付くし、何かほんわりしてるから、お母さんみたいだねって。”お母さんみたいな藍田くん”を略して、おかんだくんってみんな呼んでるんだよ」
知らなかった。そんなの……。
「見た目あんなかっこいいのに、中身はおかん系男子とかいいよねぇ。ギャップ萌え!」
中野さんはそう言って、『衣織くん、藍田くんと親戚で同じ学校なんだよね?神猛って男子校でしょ?ねぇ、藍田くんって彼女いるのかな?』なんて、聞いてきた。
「え?いや、彼女とか作る気なさそうですけど」
おれは、何故か焦ってそう返事をすると、自分の持ち場に急いだ。
「……」
馬男……こんなとこでもモテてたのか!
っつか、おれ、何言っちゃってんだよ。おれには那乃葉がいるんだし、馬男が誰かと上手くいくなら、それでいいってか、喜ばしいことじゃねぇか。いや、でもまだ馬男には、おれの男嫁候補でいてもらわねぇと困るわけだし!そうだ、そうだ。彼女を作んのは、もう少し我慢してくれ、馬男!
一緒に働いてみてわかったけど、那乃葉はどうやら、手先は不器用なわりに、人は器用に使うらしい。中野さんに聞いた話だと、那乃葉のバイト初日に教育係をしてくれた人が、那乃葉のあまりの不器用さ加減に困っていたのを見た馬男が、自分が教育係をやりますと申し出てくれたという。
それを聞いて、馬男に『ありがとな』と礼を言うと、馬男は、『宇賀さんに辞められては三様が困るでしょうし。それは兄も困るでしょうから』と、頭を下げた。
そのあとも二人の様子を見ていると、那乃葉は自分が出来ないことを、うまいこと馬男に押し付けているように見える。
那乃葉は可愛い。可愛いけど!おれ、そういう小ずるいことするの、ホント無理!
「那乃葉」
「ん?」
「これくらい出来るようにならないと」
見るにみかねて、また馬男に仕事を押し付けていた那乃葉にそう言うと、『先輩って、何でもやってくれるからついお願いしちゃってた。ボクがご主人様の友達だから、断りづらかったのかな。そういうの、気付かなくてごめん』と、おれに頭を下げた。
「いや、だからうま……いや、先輩はうちの使用人じゃないから」
そう言うと、隣にいた馬男が『私が差し出がましいことをしてしまったがために、申し訳ございません』と、おれと那乃葉に向けて頭を下げた。
「ううん、いいよ」
那乃葉は、馬男に満面の笑みでそう返事をしたけど、おれはその返事にもムカッとした。
おれは那乃葉を置いて、馬男を店の休憩室に押し込んだ。
「三様?」
「おめぇ、いくらおれが那乃葉狙いだからって、おめぇが那乃葉の言いなりになる必要ねぇんだよ!さっきだって、なんでおめぇが謝って、那乃葉がいいよとか言ってんだ!おめぇが謝ることなんざ、ひとっつもなかっただろっ!」
「……申し訳ございません」
「だから、謝んな!……って、わりぃ。今のはおれが謝らせたよな」
「三様……」
「おめぇはちっとも悪くねぇのに、那乃葉に謝ってんの見てたら何かすげぇ腹立ってきて……。わりぃ。おめぇを責めんの、おかしかったな」
「いえ……ありがとうございます」
「なんでそこで礼言うかな」
「え?違いますか?……いえ、ありがとうございます、で、合ってますよね?」
そう言って、ふっと笑った馬男に、おれも笑っちまった。
「宇賀さんに関しましては、教育係として認めてもらいたいがため、宇賀さんに失敗させてはならないという思いがあったんです。私の損得勘定で、つい手を出し過ぎてしまいました。申し訳ございません、で、こちらも合ってるんです」
「おめぇ……」
「これからは、手を出し過ぎないように気を付けます」
「……ありがとな」
「いえ……私のほうこそ、ありがとうございます。宇賀さんに手を出し過ぎてしまうのは、宇賀さんを信じてないということになりますね。三様の選んだ方に……本当に、失礼致しました。宇賀さんを信じます」
馬男はそう言っておれに頭を下げて、そのあとすぐ帰っていった。那乃葉はもう大丈夫だって、店長に言って……。
那乃葉はこれで本当に独り立ちだ!なんて喜んでたけど、そのあとの働きっぷりを見る限り、おれには那乃葉が、一人でしっかり働けているようには思えなかった。馬男がいなくなったあとは、別の人に大変な仕事をやらせて、自分は簡単な仕事ばっかりやってるように見えたし。
おれは中野さんに、那乃葉はいつもあんな感じなのか聞いてみた。
「ああ、宇賀くんね。衣織くんの紹介だっていうから黙ってたんだけど、入ってからずっとあんな感じだよ?おかんだくんが、めちゃくちゃフォローしてたから何とかやってきてた感じ。でも、あの見た目だから客のウケはいいみたいで、あの子目当ての客もいるんだって。可愛いから見てるだけなら癒されるよね。だから店長、何も言わないみたい。短期採用だしね。一緒に働くほうはアレなんですけど……っていうか、今までおかんだくんがしてた彼のフォロー、これから誰がするわけ?衣織くん、よろしくね」
中野さんの意見は、店長も同じだったようで、もうしばらく那乃葉は、馬男から研修を受けることになったと、あとから聞いた。
それからしばらく経ったある日、馬男が事故にあって病院に運ばれたので夜は遅くなると、かまちょから電話が入った。命に別状はないという連絡が入ったけど、入院するということなので、結構な怪我を負ったようだと言う。心配はいらないと言うかまちょに、おれも病院に行くと伝えて、おれは馬男が運ばれたっつぅ病院に急いだ。
馬男……どんだけの怪我したんだ?命に別状ないっつったって、あいつの夢は大学教授になることなんだぞ!変に頭を強く打ってアホになってたり、どっか体が動かなくなったりしてねぇだろうな!あいつ、今日カフェでバイトだったよな?どこで事故ったんだよ?
おれが息を切らして病院に着いた時、おれを出迎えたのは、ニコニコ顔の那乃葉だった。
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