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第三話
ヴァネッサの行動は早かった。
我が社の担当者と話し合いを終えたケインを捕まえて、仕事にかこつけて名刺を渡したらしい。裏にはプライベートの携帯番号とSNSのIDが添えられたものを。
ケインは快くそれを受け取って、微笑みまで返してくれたことを、詳細に教えてくれた。
しかも彼はヴァネッサに「必ず連絡する」と約束までしたらしい。
「……ヴァネッサ、本気なのか?」
「もちろんよ。子どものころから素敵なお嫁さんになるのが夢だったんだもの。彼のような上玉を逃す手はないわ」
「だけどケインはクズ野郎だよ?」
「あら、でもその欠点を補うほどの財力と魅力が彼にはあるわ。クズな性格なんて些細なことよ」
浮かれた調子で話すヴァネッサを見ているうちに、段々とイライラがこみ上げくる。
ケインのことを、まるで自分のステータスを上げるためのモノとしてしか見ていないヴァネッサが腹立たしいのか。
それともプライベートの連絡先をゲットして喜ぶケインに苛立っているのか。
自分でもよく分からない感情が、胸の中に渦巻いていた。
「後悔したって知らないよ?」
警告の意味を込めて、ヴァネッサに忠告をする。
「あら、大丈夫よ。それともアタシがケインをゲットすることが、そんなに嫌なのかしら?」
「そんなわけないだろう。むしろ君のことが心配なんだ」
ケインのせいであんな思いをするのはオレ一人で充分。
そう思っての忠告だったのに、ヴァネッサは一笑に付すばかり。
「後で泣いたって知らないからな」
「一応忠告は聞いておくわ。でも見てなさい。私は絶対に泣かないんだから」
その言葉どおり、ヴァネッサが泣くことはなかった。
毎日のようにケインと連絡を取り合って、今度の週末はディナーの約束まで取り付けたらしい。
この世の春を謳歌するような言動に、オレのイライラが徐々に高まっていくのを押さえられなかった。
**********
ヴァネッサからランチのお誘いがあったのは、それからすぐの休日のこと。
以前の宣言どおり、ケインと週末のディナーを楽しんだらしい彼女は、ずっとそのことばかりを話題にしていた。
「それでね、ケインってば都会の生活に飽きて田舎暮らしがしたくなったんですって」
「ふぅん」
正直言って、全然面白くない。
何が悲しくて、別れた男との恋バナを聞かされているのだろう。
ヴァネッサだってそれを知っているはずなのに、どうして俺の前でこんなことを言うのか。
不機嫌極まりない気持ちで、ランチプレートに付いてきたサラダのセロリをフォークでブッスリと刺して、バリバリと咀嚼する。
「都会っていろいろ忙 しないみたいですもんね。アタシはこの町から出たことないからわからないけど。アークはどうだった? 街での暮らしは楽しかった?」
「別に……オレは田舎の方が好きだな」
「まぁ偶然! ケインもそんなことを言っていたのよ! でねでね、ケインはここがとっても気に入ったから、家を建てて永住しようと思ってるらしいわ」
「へぇ」
なんの娯楽もない田舎に住み続けたいなんて、ケインの気がしれない。
あいつにはもっと、華やかで何事にも洗練された都会の方が似合っている。
こんなちっぽけな町で燻っていい人間じゃないってのに。
大きな息を吐いて、今度はニンジンをブッ刺した。
「何よ、適当な返事してさ。人の話はもっと真剣に聞きなさいよね!」
「はいはい」
そんなことを言われたって、不愉快極まりない話を延々聞かされ続ける、オレの身にもなってほしい。
「ケインは将来犬を飼いたいって言うのよ。毛がモフモフした大きな犬ですって」
「へぇ……」
毛がモフモフの犬と聞いて、また心がツキンと痛む。
その話題はオレも以前、ケインと話したことがあったからだ。
『今住んでるアパートはペット禁止だから飼えないけど、いつか犬を飼ってみたいんだ』
『へぇ。どんな犬がいいの?』
『ハッキリと決まってはいないんだけど、モフモフした大型犬がいいな』
『大型犬はいいね。いつか飼ったら、俺も一緒に散歩していい?』
暗に未来の話をされて、胸が高鳴った。
ケインはこれから先もずっと、オレと一緒にいてくれるつもりなんだ……そう思っただけで、温かいものがこみ上げてきた。
『うん。二人で一緒に散歩に行こう』
笑顔で約束を交わした数日後、オレは真実を知ったのだ。
あんな言葉、ケインは最初から守る気なんてなかったに違いない。その場しのぎのリップサービス。それに踊らされて喜んでいたオレは、なんて滑稽だったことだろう。
当時の感情がまざまざと蘇ってきて、鼻の奥がツンとした。
ヴァネッサはそんなオレをじっと見つめた後、小さなため息をついた。
なんだよ、その態度は。
ため息つきたいのはこっちの方だ。
そんな気持ちが態度に出てしまったのだろうか。ヴァネッサは眉をキッと吊り上げて
「何ムスッとしてるのよ」
なんて詰るように言ってくる。
「別にそんな顔は」
「してるじゃない。ねぇアーク、やっぱりあなた、まだケインのこと」
「やめてくれ!」
ヴァネッサが何を言いたいのか見当は付いた。
だけど言葉を最後まで聞きたくなくて、オレはつい大声を上げてしまった。
二人の間に、重苦しい空気が流れる。
「……ごめん」
と謝罪したのはオレの方だ。
「大声を出して、本当にごめん。だけどオレがケインとをどれだけ嫌っているか、君にも話したはずだ。だからもう、オレの前でケインの話題を振るのは辞めてくれないか」
「……わかったわ」
ヴァネッサは案外簡単に引いてくれた。
いつもの彼女なら、もっと自分の意見を捲し立てるはずなのに。
それをしないということは、オレの言葉に納得してくれたと言うことか。
「嫌な話を延々と聞かせてしまって悪かったわね」
「いや……わかってくれたなら、それでいいんだ」
「えぇ、充分理解できたわ。アークがケインをどれだけ嫌っているか。加えて言うならなんの未練もないこともね」
「……」
「そういうことで間違いないわよね?」
「……あぁ」
発した声は、喉の奥で引っかかったような、妙にかすれたものだった。
気付いたら膝の上でグッと拳を握りしめていた。
「じゃあアタシが何をしたって平気よね」
「……何する気だよ」
「アタシ、ケインにプロポーズするわ」
「はぁっ!?」
突然の発言に驚いて、思わず席を立ってしまった。
ガタンと大きな音を立てた椅子に驚いた客たちが、一斉にオレたちを注目する。
心の中で舌打ちしながら、静かに着席してヴァネッサに真意を確認した。
「本気か?」
「当たり前よ。こんなこと冗談で言う人間じゃないって、アークなら知ってるでしょ?」
たしかに彼女はそういう性格だ。一歩間違えばプロポーズとも取れる告白してきたときも、随分とふざけた調子ではあったが、彼女は真剣だった。
「ケインとアタシ、結構相性がいいみたいなのよ。ディナーの席でも随分と話が弾んだわ。彼の将来設計まで教えてもらえたんだもの。手応えは充分感じているのよ」
「だけどケインは」
「クズだって言うんでしょ? でもね、アーク。ケインは本当にクズでどうしようもない男だったの?」
「え……」
「あなたはたしかに、酷い会話を耳にしてしまったのかもしれない。ケインのやったことは許されるものじゃないわ。アタシがアークの立場でも、罵倒して往復ビンタに蹴りくらい入れたかもしれない」
「いや、オレはそこまではしなかっ」
「黙らっしゃい。人の話を最後まで聞かないのがアークの悪い癖よ。……あのときだって、ケインの話を最後まで聞いてあげればよかったのに」
「最後まで……?」
「あのときのことをよく思い出して」
促されて、当時の記憶を掘り起こす。
たしかケインとその仲間たちの話を聞いて怒りに狂ったオレは、ケインを殴りつけたんだ。
それ以上でもそれ以下でもない。
と考えて、ふと思い出した。
――そういえばケインは何か言いかけたような……。
『アーク、話を』
そうだ……たしかにケインは、オレに何かを言いかけていた。けれどオレは、もう何も聞きたくなくて、あいつに向かって怒鳴り散らしたんだ。
「ケインはあのとき、アークに伝えたい言葉があったのよ。なのにあなたってば、ケインになんの弁解も許さずに、街を去ったそうじゃない」
「だってそれは……」
これ以上惨めになんてなりたくなかった。
ケインに愛されていない現実を突きつけられるのが怖かった。
だから逃げたんだ。
ケインが決定的な一言を告げられたくない一心で、オレは街を出た。
聞かなければ、これ以上心は傷付かずに済む。
そうして五年かけて、ようやくズタズタに引き裂かれた心が癒えたっていうのに。
よりにもよって、ケインは再び俺の前に姿を現した。
会社を訪問するたびに、オレに視線を投げかけてくることは気付いていた。
何か言いたげな雰囲気を察していたが、オレは絶対に彼を見ることはなかった。
今さら話すことなんて何もない。
今ごろになって決定的な一言を告げられたくない。
だから再会してもずっと、無視し続けてきたっていうのに。
「アークは本当に臆病者よね」
ヴァネッサの言葉に思わずカッとした。
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