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第四話
「何も知らないくせに勝手なことを言うな! 君に何が分かるって言うんだ!!」
「あら、ケインの心はあなたよりわかってるつもりよ。だって私、聞いたもの。ケインの本当の気持ちを」
「……え?」
「彼はどうしようもないクズ野郎だけど、それでも一応ちゃんとした言い分もあるのよ。それを聞かずに逃げ回って、挙げ句の果てに別の恋愛に逃げようとしたあなたは、臆病者以外の何者でもないでしょう?」
「それは」
「ねぇアーク。アタシがあのとき、本当に傷付いていなかったとでも思った?」
あのとき……そう言われて、苦い思い出が蘇る。
ヴァネッサはきっと、オレが別れを切り出したときの話をしているのだ。
「あのときのあなたはまだ酷く傷付いていて、今にも壊れそうだった。放っておいたら死んじゃうんじゃないかって本気で思ったから、アタシはなんでもない振りをして、あなたを慰めたのよ」
そうだ……随分と勝手ばかり言うオレを、ヴァネッサは見捨てることなくずっと励まし続けてくれた。
おかげでオレの傷は少しずつ癒えて、ようやくケインのことも過去の出来事として考えられるようになっていたのだ。
あのとき慰めてくれたヴァネッサには、感謝してもしたりないくらいだというのに……。
「けどね、アタシが本当に平気だったと思う? アタシはアークが本当に好きだった。その気持ちは今でも変わらないわ。なのに当のあなたがいつまでもそんな調子じゃ、あの日のアタシが報われないの」
「ヴァネッサ……」
「アタシだけじゃない。あなたが今まで付き合ってきた人たち全員に、あなたはとっても失礼なことをし続けてきたって自覚があって?」
「それは……」
「アタシの心を踏み躙ったことを悪いと思うならば、あなたもそろそろ向き合いなさい」
「……ケインに?」
「違うわ。自分の心によ」
ヴァネッサはすっかり温くなった紅茶を一息に飲み干して、言葉を続けた。
「口ではケインを嫌っているように言うけれど、あなたの心はまだケインに囚われているわよね」
「そんなことは」
「今さら嘘はつかないで。それとも自覚がないだけかしら。ともかくあなたは未だにケインとのことに決着がついていない。それはケインも一緒。二人で同じところに留まり続けて前に進めないなんて、馬鹿馬鹿しいとは思わない?」
「それは……」
「一度、話してらっしゃいよ。ケインと二人きりで。今度こそ、お互いの思いを、腹を割って話すのよ。アタシに迷惑をかけたと思うなら、そのくらいのことはやってちょうだい」
「だけどオレはケインの連絡先は知らないし……会社に来たときにプライベートな話題を振るのは気が引けるよ」
「大丈夫! 連絡先ならアタシが知ってるから。今すぐケインに電話しようか?」
「ちょっと待って! そんなこと突然言われても……心の準備も必要だし……」
「それがアークの悪い癖よ! そんなこと言ってたらあなたは二の足を踏んで、なかなか行動しないでしょう? でも大丈夫! アタシがちゃんと段取りを付けておいたから」
「段取りって?」
「お待たせ、ケイン。さぁ、二人で思う存分話し合ってちょうだい!」
ヴァネッサの言葉に驚き、弾かれたように振り返ると、そこにはバツが悪そうな表情を浮かべたケインが立っていた。
「ケ……イン……」
オレは呆然と、ケインも何を話したらいいかわからないような顔で、お互い見つめ合うしかない。
気まずい雰囲気を壊したのは、一人あっけらかんとしているヴァネッサだった。
「アタシはもう帰るから、二人でじっくりと腹を割って話し合ってちょうだい!」
そんな無責任なことを言うと、バッグを持って立ち上がる始末。
「ちょっ! ちょっと、ヴァネッサ!」
「いいこと。この五年間の空白を、全て取り戻すのよ。じゃないとあなたたちは前に進むことができない。これ以上、アタシのように二人の犠牲になって悲しむ人が出ないように、ちゃんと話しをするのよ」
オレを置いて去ることは、彼女の中では決定事項だったらしい。
手を振りながら颯爽と去って行くヴァネッサの後ろを、オレたちはしばらくの間見つめ続けた。
「……あの、座っても?」
先に口を開いたのはケインの方だった。
かなり強引だったとは言え、ヴァネッサにここまでお膳立てされたのだ。
もうどうにでもなれという気持ちで、オレは黙って頷いた。
「……元気そうで、何よりだ」
「あぁ……ケインも……。あの……今日はどうしてここに?」
「ヴァネッサに昨日、ここでアークと会うから必ず来いって言われたんだ」
昨日から仕組んでいたなんて!
ヴァネッサの用意周到さに呆れるやら腹が立つやら、正直複雑な気持ちだ。
「アークに会って、あのときのことをちゃんと説明しろって怒られたよ。俺たちのせいで、彼女には随分と迷惑をかけたようだ」
「それは……オレが勝手にやらかした罪だ。ケインには関係ない」
「いいや、一番悪いのは俺なんだ。俺が……あのとき、賭けの対象にアークを選んでしまったから……」
「そのことはもうどうでもいい。まんまと乗せられて腹は経ったけど、今はもうなんとも思っていないから」
「アーク……」
「なぁケイン。五年が経って、あのことは過去のものになったんだ。オレはあれからいろんな出会いを繰り返して、恋人だってできた」
オレがそう告げると、ケインは酷く辛そうな表情で唇を噛みしめた。
「ヴァネッサから聞いていると思うけれど、彼女とも以前付き合っていた。オレの中ではもう、ケインとのことは済んだこと。だからこれ以上話しをする必要なんてないんだよ」
オレがそう言うと、ケインは長い沈黙の後フゥッと小さく息を吐いた。
「……わかった。アークがそう言うなら……。けれど聞いてくれないか。本当に今さらだけれど……あのころ君に伝えられなかった全てを聞いて欲しいんだ」
コクリと首肯すると、ケインはゆっくりと口を開いた。
「あのころの俺は酷く傲慢で、いけすかない男だったと思う。人よりも少しばかり見目がよくて、勉強もできた。スポーツも万能で、家は金持ちと来ている。子どものころから人々に賞賛され続けて、思いどおりにならないことなんて何一ついなかったんだ」
他人が望む全てのものを簡単に手に入れてきたケインは、大学に入るころには自分を取り巻く状況に飽き飽きしていたらしい。
それはケインが当時連んでいた友人たちも同じだったようで、彼らはいつも刺激を求めていろいろな遊びをしていたそうだ。
「大学最後の年……仲間の一人が言い出したんだ。全然絡みのない人間に声をかけて、そいつが落ちるかどうか賭けてみないかって」
刺激に飢えていた彼らにとって、それは魅力的な提案に思えた。全員が賛同して、すぐに遊びが始まった。
「俺たちは絶好の暇潰しができるし、選ばれた相手だっていい夢が見れる。本気でそんなことを考えていた。そして仲間がどんどん遊びをクリアしていき、ついに俺の番になった」
お前は誰をターゲットにするんだよ、と聞かれてケインは考えた。どうせなら、一番ハードルの高い相手にしてやろうと。
「そのとき偶然アークが通りかかって……俺は君選んだ」
「オレがすぐ堕ちそうに見えた?」
「いいや、その逆だ。アークは俺たちと違って真面目一辺倒で、同性どころか異性とだって恋愛なんてしたことなさそうに思えた。だからこういうタイプを堕としたら仲間内でヒーローになれるんじゃないかって、そんな浅はかなことを考えた」
そしてケインは俺に近付いた。
まずは甘い言葉で俺を口説き、付き合おうと告げたのだ。
「けどオレは……」
「そう。即座に断ったよね。あまりにも決断が早すぎて、さすがの俺も驚いたよ」
当時のやりとりを思い出したのだろうか。ケインは微かに苦笑した。
「でも逆にそれがよかった。全力でアークを堕としに行こうって俄然やる気が増したから」
賭けを面白くするために、仲間からヒーロー視されるために、ケインは全力で俺にぶつかってきた。
構内で会ったときはすぐに駆け付けて、いつでも俺を想っているふうな演出をする。甘い言葉を吐くのも忘れない。
そうして全力で追い回しているうちに……ケインの心に、不思議な感情が芽生え始めたのだ。
「それが何か、最初はわからなかった。けれどアークを見かけただけで心が弾んで、話をすると楽しくて仕方なくなってきたんだ」
素っ気なさそうな態度を取りながらも、ケインの囁きに困ったような笑みを浮かべるようになった俺に、ケインの胸は高鳴りを覚えたらしい。
話してみれば案外会話も合う。
一緒にいることがちっとも苦痛じゃないと感じるようになっていた。
これまで感じたことのない高揚感。
気付けばケインは、俺を追うことに夢中になっていたそうだ。
「そのうち俺は賭けのことなんてすっかり忘れて、アークを求めるようになっていた。そしてついに告白を受け入れてもらえて……あのときは最高に嬉しかった。この世にこんな素晴らしいことがあるのかと、心の底から歓喜した」
しかし同時に、ケインはあることに気付かされる。
「仲間たちの間でこれは単なる遊びでしかなかったことを思い出したんだ。くだらない賭けの話がアークの耳に入ったら、どれだけ軽蔑されるだろうって……それだけが怖かった」
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