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第36話

 床に突っ伏した髪がグイと引っ張り上げられ無理矢理に上を向かされて、朧げな視線の先にモヤがかかったような、よどんだ空気が微かに感じられた。そのモヤの向こうから自らを見下ろしているのは氷川の笑顔、満足そうに薄ら笑いを浮かべた口元がゆるんでいる。 「さすがのお前も降参か? ちょっと手荒にし過ぎちまったってか? 可哀想だからお薬でも嗅がせて楽にしてやろうってね――」  ニヤけまじりにそう言う声と、先程からこの男が弄っていた小瓶の蓋がゆっくりと開けられる音が耳元で前後した。遠く近く、霞んだり近寄ったりしながらキュッキュッと蓋がひねられる音だけが鮮明に飛び込んでくる。  次第に脳天がしびれるような甘いニオイに鼻をくすぐられ、それと共に記憶がぼんやりと往来する感覚が激しくなっていくのを感じた。  バクバクと速まる心臓音、それにつられるように身体中の脈打つ音も増加するようだ。  尋常ならぬ勢いで全身が熱く疼き始める。  流血に混じって汗が噴き出した襟元を掴み上げられるままに、紫月は朧げに氷川の顔を見上げた。 「そんなに暑いか? 汗びっしょりかいて苦しそうだな、一之宮。なんなら脱がしてやろっか? 楽ンなるぜ――?」  頭上に浴びせられるニヤけた言葉と共に、先程からずっと氷川が掌で弄んでいた小瓶が視界に入りきらないくらいの至近距離に付き出され―― 「――これ、何か分かるか?」  かすむ瞳で懸命にそれを見やれば、妖しげな英数字の組み合わされたラベルが、目の前でぼんやりと揺れているのが確認できた。 ――破裂しそうな程に脈打つ何かが身体中を這い回る。  バクバクとした音は心臓音か血脈か、それらが次第にゾワゾワとした奇妙な感覚にとって代わるのを感じて、紫月はカッと瞳を見開いた。  朦朧とする感覚を振り切ろうと必死になれど、気付けば氷川が自らの腹の上に馬乗りになっているさまに、ギョッとしたように彼を見上げた。 「この前の続き、ヤらしてもらおうと思ってさ?」 「……っなに……ッ!?」 「此処はな、一之宮。周りにゃカラオケスナックやパブばっかりの好立地っての? 多少うるさくしてもぜーんぜんオッケーなのよー。ま、せいぜい安心してよがらせてやろうってな? 心ばかしの俺の気遣い、有難く受け取れや」  目の前で揺れる小瓶が鮮明に映し出される。 「何……言ってんだてめえッ……! っざけてんじゃねえぞっ! ……何しやがったんだクソ野郎……ッ!」 「怒るなよー。言ったろ? 俺、やさしい男だからさー、お前にもイイ思いさしてやりてーって。こいつぁーね、とびっきりイイ気持ちになれる極上品だ。ちゃーんとテスト済みだから安心していいぜ? マジ、天国にイかしてやっから」 「……ッざけ……っうぁっ……!?」  突如、乱暴に右の手首を掴み上げられて、今まで氷川が弄んでいた『小瓶』を握らされた。

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