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第38話

 愉快に、軽快に繰り返される少々音程の外れた歌声に笑い声。そんなものが遠く近くで焦燥感を煽る。  誰も助けになど来ない。  誰もこの状況に気付く者などいない。  そんなことはハナから分かり切ったことだ。  絶望感を突き付けるかのように氷川の口からこぼれた言葉に、紫月は酷い痛みをこらえながらもそちらを睨み付けた。 「なあ一之宮、俺がこの前お前のケツを掘らせろっつた例の条件……。ありゃ別に酔狂とか戯言とかいうもんじゃなくってよー? ほぼ本気だったっつーか、実のところ言うとさ、てめえのことは随分前から狙ってたって方が正解なんだぜ?」 ――――!? 「高坊ンなった頃からだったか、度々街中で見掛けるようになったてめえを見て思ったんだよ。女連中からはいい男だイケメンだって持て囃されてるってだけでも腹立つってのに、腕っぷしも強えときたもんだ。正直、イケすかねえ野郎ってのが第一印象だったな? あの頃はてめえンことが目障りでしょーがなかったよ。いつかコイツをねじ伏せてやりてえとかも思ったな。喧嘩で倒すだけじゃ何かが足りねえ。腕力で屈伏させるだけじゃつまんねえ。何だろうなー、てめえのすべてを打ちのめして叩き潰しちまいてえって、俺りゃー、ずっとそう思ってた――」  掴まれた顎に食い込むばかりの指先の力がキツくて痛い。  ベラベラと頭に響く台詞もウザい。  ニヤけた口元がまるでキスをせんとばかりに近付けられたのに、紫月は再び腹上の氷川を蹴り上げた。 「寄るんじゃねえっ……! ふざけたことをベラベラ抜かしやがって……! 俺に触んじゃねえ……ッ! それ以上近寄ったら――」  殺すぞ――――  ズタボロの身体を引きずりながらもソファの上で半身を起し、そう言わんばかりに凄む紫月の様子を、氷川は呆気らかんと見下ろしていた。 「はっ、はは……なんだてめえ。この前とはえれー違いじゃねえかよ? こないだン時は随分と余裕ブッこいてたくせして、やっぱ、ありゃ強がりだったってか? 何だかんだ言っても周りにゃてめえの仲間がいる。仲裁役の白帝の連中もいたあの状況じゃ、俺にホられることもねえってタカ括ってやがったわけか? で、実際ヤらちまうとなったら本気で焦るってどーゆーのよ?」  情けねえヤツ、とでも言いたげな顔をして嘲笑たっぷりに見下ろしてくるのを、苦々しい思いで見つめていた。  冗談じゃねえ、誰がてめえなんかと――そう思いながらも、相反して身体の芯が熱く火照ってやまないのをとめらずに、紫月は苦汁を飲み込むように唇を噛みしめた。

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