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第52話

「なッ……!? どうなってやがるんだ、いったい……」  驚きながらも氷川は本能的に受け身反撃の繰り出せるような姿勢をとっていた。  そんな気配を横目に感じながら、それでも紫月の方は思うように動けないのか、ぐったりとソファに横たわったままだ。 「誰だ、てめえッ……!?」  氷川の怒号が薄ら狭い部屋に響き渡り、その声が引き金となって急に頭がガンガンと痛み出した。徐々に意識がはっきりとしてくるごとに、頭痛のみならず全身に受けた打撲があちらこちらでジクジクと鈍く痛み出す。暴行のショックと薬の作用がぐちゃぐちゃに入りまじって、身体が溶けてしまうんじゃないかというくらいに熱く感じられ、ダルくてどうしょうもなかった。  もはや裸体を隠す余裕もなく、紫月はソファにうなだれ掛かったまま、事の次第すら追えずに朦朧としていた。  かすむ目の前には氷川の脚元がぼんやりと窺えるのみだ。  おぼろげな意識の中で、どうやら見張りをしていた桃稜の連中が全滅してしまったかのような気配だけを感じた。外で待っている間に仲間割れの小競り合いでもおっ始めたのか、それとも通行人かなにかと一悶着あったのか。とにかく何故そんな事態になっているのかということも、はっきりとは分からなかった。  望み薄な期待だが、まさか誰かが助けに来てくれたとでもいうのだろうか。それとも大騒ぎをしているのがバレて、警察にでも通報されたのか――  新学期早々に警察沙汰だなんて、とんでもない災難だ。ひょっとしたら停学なんていう流れも有りかも知れない。これ以上の面倒事はご免だと思えども、この状況では逃げるのは到底無理だろう。  漠然とそんなことを考えていた紫月の意識を揺さぶったのは、思いも掛けないような台詞だった。 「桃稜の氷川ってのはお前か――?」 (――!?)  聞き覚えのある感じの声が、機嫌の悪そうに低い声音でそう言った。  この声、まさか……!  紫月はギョッとしたようにそちらへと目をやった。  だがダウンライトの光が直撃してきて、ひどい逆光に目眩がしそうだ。相手の顔も確認できずに、けれどもその男の手から桃稜の学ランをまとった男の身体が、ぐったりと床に放り出されるのだけがはっきりと見て取れた。  どうやら警察ではないようだ。  警察でないどころか、この声の主はまさか――  まさか、あの転入生の鐘崎遼二ではないのか?  どうしてヤツがこんなところに居るんだ。  いや、待て。さっきからヤツのことばかりを思い浮かべているからそんなふうに聞こえるだけなのか。もしも今、ここにヤツが助けにきてくれたら――などと思う気持ちが幻を見せているだけなのかも知れない。  次から次へと浮かんでは消える夢見がちな妄想に、紫月は思わず苦笑いのこみ上げる思いがしていた。  まったく!  俺はなんてお気楽野郎なんだ。こんなひでぇ状況でもそんなことを考える余裕があるなんて……我ながら完全にイカれてやがる……!  そう思うと、情けなさにますます苦笑がとまらない。自らを嘲笑するかのように、紫月は涙まじりの笑みをこらえていた。だが、次の瞬間から交わされ始めた会話に、夢と現実が交叉するような感覚を覚えて、ぼんやりとそちらを見上げた。

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