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第56話
反撃どころか腹見せの台詞さえ出てこない。喉がカラカラに乾いて、焼けつくようだ。
そんな緊張感を打ち破ったのは、突如物々しげに飛び込んできた仲間の叫び声だった。
「氷川さんッ……! ヤバいっす! サツが……っ、隣の飲み屋のオヤジがお巡り呼びやがった!」
先刻、邪魔扱いして外に追いやったはずの彼らに救われる形となったのも、皮肉この上ない。だが今はそんなことを言っていられる余裕などなかった。
一瞬ゆるめられた男の腕を無我夢中で振り払うと、
「ッ……!」
本来ならば、「覚えていやがれ」のひと言くらいは吐き捨てて当然のところ、そんな余裕すらないままというのも信じ難い。
氷川は自らの脱ぎ散らかした服だけを拾い上げると、一目散にその場を立ち去って行った。
その後ろ姿を険しい表情で見据えながらも、今は紫月のことが最優先だ。残された狭い空間には未だ意識を失ったままの氷川の仲間が一人転がっている。店外で意識のある者も、苦しそうにうめきながら何とか逃げ出していく気配が窺える。
混沌とした室内には引き裂かれた血濡れのシャツや学生服が散乱している――。鐘崎はそのすぐ側のソファの上に全裸で放置されている紫月の元へと駆け寄った。そしてすぐさま身体を抱き起こせば、その酷い有様に瞳を歪めずにはいられなかった。
「一之宮! おい、しっかりしろっ」
焦燥感を抑えて、先ずは容体を確認するのが先だ。致命傷がないか、脈はあるのか、そういったことを素早く診てから、軽く頬を叩いて呼び掛ける。
「一之宮! おい、紫月ッ!」
「……あ……?」
意識があることに胸を撫で下ろし、傷だらけの彼を抱き上げると、遠くから近付いてくる物々しい気配に警官の到着を悟って、鐘崎は急ぎその場を後にした。
◇ ◇ ◇
それからどのくらいの時間が経ってからだろう、紫月が意識を取り戻したのは静寂の中でだった。
ぼんやりと視界に映り込むのは見慣れない天井の白色、澄んだ空気が心地よく思えるのは適宜に整えられた空調のせいだろうか。
肩から全身をすっぽりと包み込むような居心地のいい感覚は、手入れの成された広いベッドと糊のきいた清潔なシーツ、それに洋物映画に出てくるような大き目の枕のせいだ。
ふと、視線を動かした先には品のいい柄のカーテンの隙間から垣間見える、早朝を告げるような蒼い闇。ぼうっとその色を見つめながら、不思議と安堵感に包まれる気がしていた。
ここは何処だ――
少し窮屈な違和感を感じて額に手をやれば、手厚く包帯が巻かれているような感覚に気が付いて、紫月はハッと瞳を見開いた。と同時に瞬く間に忌々しい記憶が脳裏を巡り、先刻からのことが鮮明に蘇る。
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