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第57話

 それが昨夜の出来事だと意識できたのは、窓の外の蒼色が朝を思わせるからだろうか、ぼんやりとそんなことを考えていた――ちょうどその時だった。まるで高級ホテルのスイートルームと見まごうような広い部屋の扉が開いて、誰かが室内へと入って来る静かな気配を感じた。 「気が付いていたのか?」  穏やかに発せられたその声音に驚いたのは、それが誰あろう転入生の鐘崎遼二のものだったからだ。 「……鐘……崎…………」  ではここは彼の家だということだろうか。それを肯定付けるように静かな声が、「安心しろ。ここは俺の部屋だ」こちらから何を訊く前にそう言った。  ゆっくりと近付いてくる鐘崎の手には茶器や薬の類が乗せられた盆がひとつ、何故かそんなことが目に付いて意識が揺さぶられる。 「具合はどうだ?」 「……え、ああ……うん……」  慌てて身体を起こせば、ズキリと節々が痛むような気がしたものの、思いも掛けずにすっきりとした感覚は、清潔な寝巻のお陰だということに気付かされる。  入院着のような着物仕立てのゆったりとした袷が心地いいのも、まるで風呂に入った後のような爽快感も、すべてはこの鐘崎が手厚く手当を施してくれたからだということが漠然と理解できる気がしていた。  彼は手にしていた盆をベッドサイドのテーブルに置くと、そのすぐ脇にあった椅子へと腰を下ろした。 「何も心配することはない。全身の打撲が酷いが、内臓や骨に異常はなかった。額が切れた箇所を少し縫ったが脳には影響ないということだ」  端的な説明は、やはり彼が手当をしてくれたことを指しているのだろう。では、昨夜あの場所に彼が現れた気がしたのも事実だったということだ。  朦朧とする記憶の中で、厳しい表情をした彼が氷川と対峙しているところまでが夢幻のように思い出された。だが、正直なところそれが本当に夢なのか現実なのかは定かではなかった。その後すぐに気を失ってしまったということなのだろう、困惑したようなこちらの様子を気遣ってか、鐘崎はもうひと言を付け足した。 「信用のおける俺の主治医に処置してもらったから安心していい。お前の家には剛と京に言って当たり障りのないように連絡を入れてもらってある。一晩家を空けたことで親父さんが心配されることもないだろう」  だから何も気に病まずにゆっくり身体を休めろと言われているようで、紫月は安堵しながらも驚きの方が先にたってか、大きく瞳を見開いたまま自分を見つめる男を凝視して動けずにいた。日本に来たばかりのはずの彼に、掛かり付けの主治医などがいるのかという、普通ならばすぐに浮かびそうな疑問もこの時は考えも及ばなかった。  椅子に腰掛けた鐘崎が、まるで熱を測るかのように額を撫でてくる。

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