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第62話
だが少し冷静になれば、そんな都合のいい展開などあるわけがないとも思う。紫月にとっては困惑を通り越して驚愕なくらいだった。そんな戸惑いを他所に、鐘崎はもう一度同じことを訊いてよこした。
「嫌か――?」
「え、あの……嫌なわけねえよ……お前にはすげえ世話になったし……その……」
「そんなことはどうでもいい。恩に感じる必要もねえ」
単純に『俺』にこうされるのが嫌なのかどうかを訊いているんだといわれているようで、紫月は胸の奥がキュッと熱くなるのをとめられなかった。
意識せずとも目の前の男を待ちわびるように瞳を閉じる。それをイエスと受け取ったのか、鐘崎はより一層二人の距離を縮めてみせた。
「――ここ、いいか?」
唇を撫でられる仕草で、それがキスを意味しているのだと分かる。だが、今更それを訊く必要があるのかと思うほどに、既に唇と唇が軽く触れ合う位置で、低い声がそう囁いた。
少しかすれ気味の問い掛けは、まるで『欲しい』と言っているようで、色気などという言葉では表し切れない程でもあって、ともすれば淫らの一歩手前のような濡れた声だ。クラクラと眩暈を誘うほどに官能的でいながらして、余裕がない。その裏腹な感じがどうにも堪らなくて、全身がゾクゾクと震えた。
『いい』とも『ダメ』とも反応できずに、紫月の口からは嬌声ともつかない甘い吐息が漏れ出している。
「鐘……だ……め……俺、……鐘崎っ……あ……ぁっ……っ」
「ん……? ダメなのか?」
「違っ……! そ……うじゃなく……て」
「――じゃあ、何だ?」
「ダメな……んてっ、あるわけ……ねえけど……はぁ……っ」
鐘崎は、声にならない淫らなその吐息を呑み込むように唇を重ね合わせると、一気に深い口づけで奪うように舌を絡めた。そして次第に激しく貪りながら両の掌で頬を掴んで顔を交互し、濡れた音のキスを繰り返しながら彼の上へと覆いかぶさり――
「――俺が鎮めてやる」
ゆっくりとした調子の低い声音が囁けば、紫月の肩先がビクリと跳ねた。
「鐘崎……ッ」
「その薬は強力なんだ。ちょっとやそっとじゃ治まんねえし、お前が自分で鎮めるのは無理だ」
「……あ、……けど……」
「いいから――じっとしてろよ」
淫らで、甘くて、欲しくてたまらない。このままどこまでも乱されてしまいたくなる。
そう思っているのは自分だけではないのだろう、鐘崎と紫月は互いに無言ながらも相手の胸中が手に取るように感じられていた。
「鐘崎……ごめ……、俺、どこまでもお前に迷惑掛けちまってる……」
「迷惑だなんて思っちゃいねえ。余計なことは考えなくていいから――ほら、手貸せ」
まるで『掴まれよ』とでも言うように手を取られ、彼の大きな背中へと導かれる。
「……ごめん、マジで……」
でも、でも今はお前に甘えていたい――
「謝るなよ。何度言えば分かる――」
低い声はそこはかとなくやさしい。
「ん……」
紫月は万感極まったように押し寄せる波の感覚に身をよじりながら、想いを寄せる男のもたらす欲情の渦の中へと堕ちていった。
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