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第74話

 その日、授業が終わると、鐘崎は朝方と同じく当たり前のように紫月と共に下校した。家の門をくぐるのを見届けるのが使命だとでもいった具合に、やはり朝と同じく常に車道寄りを歩き、いろいろなものから守るかのように気遣いを忘れない。ぶらぶらとゆっくり歩いて十五分足らずの道のりだが、紫月にとっては意外過ぎる展開というか、夢のような現実に心拍数は上がりっぱなしだった。  そして次の日も、そのまた次の日も当たり前のように鐘崎の送り迎えは続けられた。確かに方向が一緒だといえばそうだが、まるっきり通り道というわけではない。九の字型に遠回りをしなければならないような道のりを、まるで苦もなく平然とエスコートを続ける鐘崎の様子には、さすがに剛と京も唖然としたように首を傾げ気味だ。  だが、鐘崎はそんなことにもごく爽やかな笑顔で平然と対応し続け一週間が経ち――そして十日も過ぎた頃になると、まるでそれが当たり前という認識を植え付けてしまったから不思議だった。  時には剛と京も揃って紫月の家まで付き合っては、道場のある母屋とは離れに建てられた紫月の部屋へ寄って行くこともしばしばで、おやつを頬張りながら和気藹藹とした時間を過ごすのも日常の一駒となった。そんな時も何故か鐘崎だけは部屋に寄らずに、紫月を送り届けるとそのまま帰ってしまうことも多かったが、剛らにしてみれば転入したてで気を使っているのだろうくらいにしか思っていないふうだった。ただ紫月にとっては、そんな鐘崎の態度がひどく残念に思えてならなかったが、それでも次の朝になれば必ず門塀に寄り掛かりながら待っていてくれる彼を思えば、皆でいる時は少なからず遠慮もあるのだろうなどと、自らに言い聞かせるようにしていた。  一方、紫月がそんなふうに穏やかな幸福感に浸っている同じ頃、桃稜学園の氷川の方は、それとは真逆の焦れた思いを持て余していた。  いきなり現れた見知らぬ男――鐘崎遼二にいとも簡単にのめされて、逃げるように立ち去らざるを得なかった屈辱を思い返しては、苛立つ日々が続く。仲間たちは警察にしょっ引かれて停学云々の大騒ぎとなり、そんな中で何故自分にだけお咎めが降り掛かってこないのかが分からずに、それ自体にも苛つかされていた。  登校すれば、まるで上手く逃げやがったというような負のレッテルを貼られたも同然の視線を浴びているようで、正直いたたまれない。あえて誰もそうは口にしないのが、より一層みっともなく思えてならなかった。  番格といわれて、一応は持ち上げられてきた氷川にしてみれば、この上なく堪え難い状況に違いはない。何もかもに苛立つ毎日を送る中で、共に難を逃れた仲間の一人から、あの時の男の正体を聞きづてにしたのは、つい近日のことだった。 「――転入生だ?」  まるで高級ホテルのエグゼクエィブルームを思わせるような自室のソファにふてぶてしく背を預けながら、携帯片手に仲間からの情報に目を吊り上げた。 『ああ、この四月に香港から転入してきたとかって話だぜ。名前は、えーっと……鐘崎だ。鐘崎遼二とかいうらしいぜ。四天でそいつと同じクラスだって奴らをとっ捕まえて訊いたんだけど、何でも結構な金持ちのボンボンらしいって話! 今は一之宮や清水(剛)、橘(京)たちとツルんでるみてえだよ』 「香港から――ね?」  通話を終えた氷川は、それを聞いて間髪入れずに、携帯画面に映し出された別の連絡先を開くと、その名をじっと見つめた。  中国人名で記されたその人物は、父親の経営する貿易会社の香港支店を取り仕切っている上層部の精鋭だ。  現地に詳しい彼ならば、何か情報を手に入れられるかも知れない。鐘崎という転入生が香港の富豪の子息だというのなら、近隣企業等を調べてもらえば、そんな噂は案外簡単に入ってくるだろう。そう踏んだ氷川は早速香港にいるその男へと連絡を入れた。

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